132話 マジックトリガーの真実
アスト達がアーロイン学院にて激戦を繰り広げている時、そこから遠く離れたこの場所でも壮絶な激戦が繰り広げられていた。
カナリアとライハとカチュア。3人の魔法使いが己の魔力をぶつけ合う。
「ライハ、いくわよ!」
「うん」
戦闘開始。すぐさま後衛にライハ、前衛にはカナリアが出る。
以前のクエストで一通りのフォーメーションを試してみたがこれが一番しっくりくる。銃撃が出来るライハは後衛、剣を使うカナリアが前衛の単純なもの。
単純な故に欠点が少ない。変に奇をてらうとボロが出るに決まっている。付け焼刃に頼るよりも出来ることを冷静に分析して自分の得意な位置取りをした方が良い。
欠点を挙げるとすれば、その豊富な魔力と使える魔法術式の多さからカナリア自身も「サポートタイプ」……主に同じ前衛の仲間を支援して共に攻める形が一番力を発揮できるタイプだと自覚している。
今のフォーメーションは最高の状態とは言えない。強力な魔法を使って単騎でも敵を圧倒できる……「アスト・ローゼン」という重要なピースが一つ欠けている。
けれど、贅沢は言えない。戦場でいつも自分たちが最高の状態で戦えるわけがない。これは尊敬する父が言っていることだ。
『今出せる全力を出し切り、それでも足りないなら限界を超えろ』
父の言う通りそれしかあるまい。エリアリーダーと戦った時は敵わなかったが、そう何回も負けるわけにはいかない。たとえどんな相手でも。自分より格上だろうと。
「星の生命よ脈動せよ 我が手に集まれ重力の核 『グラビティ・コア』」
カチュアが2節の重力魔法を発動して開戦。ガイトの情報通り、やはりカチュアは『重力魔法』使いだ!
カチュアの手から二つの「黒い球体」が現れた。球体からは強力なエネルギーが迸る。見るからに触れるだけでヤバそうだ。
「カナリア。あれに当たったらマズイ」
「んなこと言われなくてもさすがにわかるわよ…………くるわっ!」
カチュアはその球体を操ると、カナリア達に向けて狙いを定める。
「重力球よ、走れ」
ドンッッッッ!!!!!!!!
発射。目にも止まらない速度で黒い球体─「重力球」は撃ち出された。
だが、あれが襲ってくることくらい誰でも予想できる。カナリアとライハには回避の準備がすでに成されていた。撃ち出されるのを感じると各々横に走って回避する。
重力球は外れて空を切る。地面へと直撃。
ズンンンンンンンンンンッッッ!!!!!
激しい土煙が巻き上げられる。隕石でも落ちてきたのかと思ってしまう。ただの球体をぶつけるだけでは決して起こり得ないレベルの衝撃も体を走り去っていった。
重力球はすぐに地面から浮上。一つずつに分かれてカナリアとライハを追いかける。宙を浮いて進んでいるのに触れてもいない地面がベキベキベキッと抉れていく。これは当たるだけヤバイどころではなく近づくだけでもタダではすまなそうだ。
しかもこの重力球、一向に消える様子がない。この魔法は「永続型」の魔法だろうか。
魔法にはいくつかの種類の術式がある。
『ファルス』などの「身体強化型」。
通常攻撃魔法の「攻撃型」。
治療用の魔法などの「回復型」。
罠のように事前に発動しておき、相手が特定の行動を起こすことで効果を発揮する「誘発型」。
結界や防御魔法など、発動後に魔力さえ注ぎ続けていれば常に発動状態を留めておける「永続型」。(防御魔法の場合は「防御型」とも言う)
魔法無効化などの通常の魔法術式では見せることのない効果を持つ「特殊型」。
カチュアの発動して出てきた重力球は常に自分達を追尾してきている。魔法の発動時間が特別長いと言われればそれまでだが、経験からして発動者が魔法を操作して動かすことのできるものは大抵「永続型」だ。あの重力球はカチュアの魔力が続く限り自分達を追い続けるだろう。
それならば……!
カナリアとライハは目を合わせるとコクリと頷く。お互いがこの重力球をどうするべきかの認識を同じくする。
「水の精霊よ力を与えたまえ 敵を討つ矢となりて 放たれよ水の連弾」
「駆け抜ける雷 突き刺す紫電 荒れ狂う八つの雷光」
3節を唱える。逃げていたのが一転、クルリと回って追ってきている重力球に向き直る。カナリアは【ローレライ】の切っ先を、ライハは【イグニス】の銃口を向ける。
「『ウォーターハウル』!!」
「『オクトレール・ビーガイン』」
バガンッッッ!!!!!!
15の水の連弾が、8つの雷属性の魔力弾が、重力球を破壊する!
重力球1つに対してこの過剰攻撃。魔法知識のない者は無駄のありすぎる対処だと笑うかもしれない。しかし、カナリアとライハには最初からこの魔法に対して手加減できるわけがなかった。
(やっぱりこの魔法……!)
(出力が、強い)
カチュアの2節の『重力魔法』。カナリアとライハ、それぞれの3節の『水魔法』と3節の『雷魔法』。
それが相殺されていた。重力球1つに15の水の弾、もしくは8つの魔力弾を全て当てないと破壊しきれなかった。
カチュアの魔力が2人の魔力よりも強すぎるということもある。
だが、それ以前にこれこそが『重力魔法』の力だ。低級魔法でも高出力。2節ですら気の抜けない力を持っている。
2人はそれがわかっていたからこそ遠慮なく3節で迎え撃った。この判断は正解だった。下手に2節の防御魔法や攻撃魔法で迎え撃っていれば今頃どうなっていたことか。
『重力魔法』の弱点としては魔法自体が発動にかなりの難度を有していること、低級魔法を発動するにも大量の魔力を必要とするところだが……カチュアの3年生としての経験やそれまでの修練でこれらはカバーされている。魔法の発動失敗は期待しない方がいい。
となれば。このように多く魔力を消費して戦うタイプの魔人との戦闘でのセオリーは「持久戦」。
相手が使ってくる魔法に対して適切な対処をしていき「魔力欠乏」を狙う。魔力欠乏状態となればどれだけ強力で都市を破壊するレベルの魔法を使う魔女だろうと無力となる。
なのだが……
(今の学院の状況がわからない。それにこいつの狙いは完全に時間稼ぎ。持久戦を選んだ瞬間にこいつの勝ちみたいなもの。だからこそ出張ってきたんだろうけど)
実に嫌らしい。持久戦を選びたい相手に時間稼ぎの作戦を授けるとは。
次に、選びたくないが推奨されているのは「接近戦」と「相手の出力を上回る魔法を発動すること」だ。
接近戦。これは魔女全般に対してのセオリーだ。けれど、『重力魔法』相手に接近なんてするのは恐ろしい。
喰らえば一発で重力によって捕らえられる危険のあるこの魔法相手に接近するのなら、相手の反応を超えるレベルの速度で移動するしかない。よって却下といきたいところ。
高出力の魔法を撃つ。これは単純だ。強い魔法を撃ってくるから近づけないのなら、こっちがそれより強い魔法を撃って一撃で沈めればいい。
可能性があるとするならば、
(あたしの中で最強の魔法─『ツインウォーター・ドラゴニアス』。それかライハの『イグニスファイド・レールガン』)
6節。それなら。
けれど、これも分が悪い賭けだ。カチュアがどれほどの節の『重力魔法』が使えるか明らかになっていない以上、「6節程度」で満足できない。
高出力を持つ属性魔法を前にすれば自信のある6節でも不安を感じるのだった。
「世界は貴方を縛る 自由は奪われた 重力の檻」
カチュアはライハに向けて手をかざす。これでもかというくらいに「お前を対象に選んだ」とわかる。
「『グラビティ・レスト』」
「!」
魔法が発動した瞬間にライハは大きくその場からバックステップ。彼女がいた地点の地面が「沈む」。上から強い力で押し付けられているかのように。回避していなければライハは押し潰されて終わっていた。
3節でも受ければマズイ。
だが、魔法の範囲設定がかなり小さく設定されているおかげでバックステップだけで簡単に避けられた。
これはカチュアが魔法の範囲を小さくしていたというより、これでも最大なのだろう。強力な分、「魔法が影響を与える範囲」の面でも設定が難しい魔法なのだ。
「今よっ!」
魔法を発動してくれたおかげでカチュアに隙が出来た。こちらは2人なのだから1人に集中していればもう1人が隙を見て動くに決まっている。
接近は怖かったが、今しかないと思った。カナリアは【ローレライ】で刺突を繰り出す。
(詠唱はもう間に合わないでしょ。食らいなさい!)
もちろん魔力を纏わせて、『ファルス』も乗せての一撃。ノーダメージでやりすごせるものか。
が、カチュアは消えた。【ローレライ】は何もないところを突く。
何かの魔法道具……? と怪しんだが。
「カナリア、上!」
頭上を見上げる。いた。
奴は、空にいた。
カチュアは自分にかかる重力を一度遮断し、その後に上手くコントロールすることで宙に浮いていた。これは『重力魔法』なら詠唱なしでも行えること。彼女にとって空に位置を置くことすら造作もないことだった。
相手の「上」を取る。なんてシンプルなのだろうか。相手が上にいるだけなのに、これだけで有利だ。
もう接近戦なんて方法は通用しなくなった。相手だけが優位に立てる魔法の撃ち合いを押し付けられた。逃げるのも隠れるのも難しくなり小細工が効きづらくなった。
「『グラビティ・コア』」
またも重力球を発射。これも対処せねばなるまい。
「『ウォーターハウル』!!」
「『オクトレール・ビ-ガイン』」
破壊。問題はない。破壊できることはわかっていた。
「変化せよ星の法則 我に従え見えざる力 『グラビティ・プレッシャー』」
魔法発動。次は何が来るのか身構えるが……カチュアの手の平からは何の変化もない。
『グラビティ・レスト』のような魔法を警戒して念のためにバックステップ。
「! ─う、ぁっ!! くっ!」
回避できたか、と思ったが。横殴りに見えない力で押される。カナリアとライハは地面にゴロゴロと転がるようにして倒された。
横から重力を受けた。この魔法は「相手を指定する」というより大きな範囲に対してそれほど強力ではない重力変化を行う魔法か。範囲を大きくできた代わりに一撃はそれほど大したことはない。
しかし。カチュアの狙いは2人の体勢を崩すことだ。
「『グラビティ・コア』」
再度重力球を発射。今度は…………
(魔法が間に合わない……!)
詠唱時間が稼げないと判断するや否や2人はなんとかしてその場から飛び退いた。付近の地面に直撃。
「─ッ!!」
「!」
衝撃をモロに受ける。全身をシェイクされたみたいだ。しっかり距離を取れなければ完全な回避はできないらしい。
重力球は地面から浮上。だが、その時にはすでに2人とも詠唱は完了していた。また、破壊。
それをどれだけ繰り返しただろうか。重力変化を受け、体勢を崩された状態で重力球の発射。
何回かこなせば慣れてくるかもしれないが、重力変化が厄介だ。どこから襲ってくるのかがわからない。博打のような防御しかできなかった。隙を見てこちらも攻撃に出たが、重力球で相殺される。
「ジリ貧…………ね。これ、じゃ……」
「…………」
相手が空にいるせいで図らずも持久戦の場が整ってしまっている。それなのに疲れているのはこちらの方。カチュアに魔力欠乏の様子は微塵もない。まだまだ魔力的なスタミナはありそうだ。
「いい加減諦めたら? 貴方達では絶対に勝てない。魔法の力が違いすぎるのよ。つい最近学院に入って来たばかりの1年生が私の相手になるわけないじゃない」
攻撃の手を緩めて余裕そうに鼻で笑ってくる。
否定したいところだが言っていることは正しい。さすがは3年生。自分の有利を相手に押し付けるのが上手すぎる。常にイニシアチブを取るのは重要なことだ。それが出来ている。
対するこちらは向こうのしてくることに対処ばかり。全てが後手だ。相手の思い通りにしか動けていない。
けれど。だとしても。
「諦められるわけないじゃない……! あんたのせいでガイトやライハ、そしてカルナだって…………!!」
この怒りの炎は消えない。実力差を見せつけられても心が「戦え」と言ってくる。体が悲鳴を上げても心が「立て」と言ってくる。
こいつにこれ以上好き勝手させるものかと心が許そうとしないのだ。それはライハだって。
「心外ね。そこのライハ・フォルナッドに関しては私に感謝してほしいくらいよ」
「感謝? 意味がわからない。あなたに感謝することなんて何一つない」
こいつは何を言っているんだ。ライハは目を鋭くする。人から見ればまだ無表情に近いが付き合いの長い者からすればちょっとムッとなったくらいには表情を厳しくしていた。
「せっかく…………貴方の願いを叶えてあげたのに」
「? たしかにあの時のわたしはカナリアに負けたくなくて力が欲しかった。でも─」
「違うわよ」
カチュアは首を横に振る。ライハはてっきりアストを失いたくなかった自分に「マジックトリガー」という力を渡したことを言っているのかと思った。それが違う。では、何だ?
「感動の再会。ふふっ、今思い出しても笑える。ふふっ、ふくくっ」
「?」
「愛するパパに会わせてあげたのに。貴方、そんなことも気づかないで呆然としてたもの。ふふ、ああ面白い」
「何を……言…………………」
ライハは途中で言葉を切った。とある可能性が脳を焼いた。時が止まる。喉から声が出ない。足場が崩れたようによろめく。視界がグラグラと支えを失う。
そんなわけ、ない。違う。そう、信じたいのに……可笑しそうに笑う彼女を見ると真実を見せつけられた気分になる。
「どういうことよ!? あんた何が言いたいわけ?」
「待っ……まっ、て…………」
ライハは酸素を求めるように喘ぐ。答えを言わせないでとカナリアに弱々しく手を伸ばす。
カチュアはその姿を見てもう一度吹き出し、口を開いた。
「マジックトリガーはね。『ロスト12』で拉致された魔法使いの心臓部の欠片や脳の一部を使ったり限界まで体から無理やり魔力を抽出して作成された物なの。その子のパパ、とっくにバラバラに殺されて実験材料になってるのよ」
カナリアも声が出ない。ライハはとうとう膝から崩れ落ちた。顔を覆う。
「あのマジックトリガー『ライトニング』は貴方のパパの体を使って生まれた魔法道具。それを知らずにバカみたいに誘惑に負けて力に手を伸ばしてた貴方、最高に滑稽で笑えたわ!!」
「あ……………あぁ、…………あ………」
「よかったね。パパに会えて。ずっと会いたかったものね? 大好きだったパパに。でも、あれれ? そのパパ…………とっても小さくなっちゃってたね! ぷっ………あはははは!!」
きっと、まだ生きている。どこかで、まだ。そう信じていたのに。
こうも残酷に突き付けられるものなのか。酷い。酷すぎる。胸糞悪すぎる。なんだこれは。
ライハはボロボロと涙を流してようやく出せた声で泣く。精神を粉々に破壊される。
これもカチュアの得意な攻撃だった。人の心を掌握して破壊する力。その口撃とも言えるものにライハの心は再び晒される。そしてまたも抗えず死に絶える。
カチュアにとって一度心を壊した相手をもう一度壊すことなど楽勝だった。その者にとっての弱点を知っているのだから。
そこを徹底的に、より残酷に、突けばいい。相手のハートを容赦なく掴んで握り潰してしまえばいい。
ライハ・フォルナッドはこれで終わり。あとはカナリアだけだ。
そうカチュアは結論付けた。
はずだったのに。
「なに……?」
カチュアが見据える先─ライハは、涙を拭き取り、立ち上がり、カチュアを睨み返す。
おかしい。自分の想定では心を壊された者は立つことすらできない。戦う意思など到底持つことなど不可能だ。絶望しているのだから。
それなのに彼女は今、自分を睨んでいる。意思を保っている。
心が壊れたのは確かだ。なのになぜ……?
「あなただけは許さない。絶対に」
力強く二挺拳銃の【イグニス】を握りしめる。やはり虚勢ではない。涙の痕が乾ききる前に立ち上がれるとは。カチュアは素直に驚いた。
「もうパパには会えないのよ? あんな小さな機械になっちゃったから二度と─」
「何を言っても無駄。わたしはもう…………1人じゃない」
そこでカチュアは舌打ちした。ここでもあいつか。あいつが出てくるのか。
ライハはたしかに心を壊された。自分の最も大切にしている物を無遠慮に踏み荒らされ、ぶち壊された。
それでも立ち上がれたのは、アスト達がいてくれたからだ。
過去だけではない。過去に縋り続けるのはもうやめた。
自分には未来がある。「現在」を共に歩いてくれる仲間がいる。どれだけ辛くても、悲しくても、仲間がいてくれれば乗り越えられる。
「1人じゃない」。彼の言葉があったからこそ、自分は絶望せずにいられる。
「アスト・ローゼン……どこまでも鬱陶しい……!!」
カチュアは怒りを隠さない。呼応して魔力が増幅する。
その様子にカナリアは疑問を感じる。
「あんた……どうしてそこまでアストにこだわるの? カルナのことだってそうよ。なんでアストの周りばかり狙うの? アストに何か恨みでもあるの?」
これはアスト自身の推理だった。謎の魔人は明らかに自分の周りばかり狙ってきている。だから相手は自分に恨みを抱くような人物だと。
しかし、カチュアとアストの面識は限りなく少ない。彼の何が気に入らないというのか。
ガイトを、ライハを、そしてカルナを。あんな目に遭わせたのだ。それ相応な理由があるはず。それこそアストが何か取返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。
「アスト・ローゼン……あいつがあの方に気に入られたからよ」
「……………は?」
「アルカディア様は口を開けばあいつのことばかり。私のことなんかまったく興味を示してくれないのに。アスト・ローゼンのことになると人が変わられたように。…………あいつさえいなければ……! だからアスト・ローゼンを絶望させてやるのよ!」
自分にとってアルカディアは神のような存在だった。だからこそ彼は自分のことを気にしてほしい。それなのに……
♦
『アルカディア様。先日の試験結果確認されましたか? 今回も私は貴方様に次いで2位に─』
『あ、カチュア。ほら見て。アストくんの試験結果。彼、最下位だってさ。ふふっ、ほんとアンバランスだよね』
完璧な彼に近づこうと必死に勉強して、魔力操作の練習も誰よりも頑張って2位を取った。それでも彼の興味はアストのことだけだった。
『そんな者、気にしなくて良いのでは? どこにでもいる無能としか思えないのですが』
『少なくとも君よりはずっと面白い存在だよ』
『彼のどこにそんな……!』
『君は知らなくていい。この世界で彼のことが理解できるのは僕だけだし、僕のことを理解できるのも彼だけだから……』
バッサリと切り捨てる。大好きな彼がこちらには目もくれずアスト・ローゼンの資料ばかりを覗いている。自分には決して見せない表情を見せている。
自分だけを見ていてほしいのに。心の中に棘が増えていく。苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。
『ど、どうして彼ばかりを気にするのですか!? アルカディア様、貴方様ほどの方があんなどこの誰とも知れない馬の骨と関わるなんて、貴方様に悪影響が─』
『くどい。僕の前で彼に対する暴言は控えてもらおうか。第一、いつから僕にそこまで意見するようになったカチュア』
ようやく自分を見てくれた。でも、その目は険しい。今まで見たこともないほどに。面識もないはずのアストのことを貶されるのが許せなかったというのか。どうして?
違う。こんな目じゃない。自分が欲しいのは、こんなのじゃない。
『アストくんを絶望させるように動け、とは伝えたけど君がアストくんのことをどうこう言うのを許した覚えはない。少し黙れ。不愉快だ』
『も、申し訳ございませんっ!!』
すぐに頭を下げる。あれだけ彼の目を自分に向けてほしかったのに。彼の目を見たかったのに。もう床しか見えない。ああ、視界がぼやける。雫が落ちた。こんなひどい顔、見てほしくない。
アスト・ローゼン。お前さえ、いなければ……
♦
「そうしてカルナを狙ったのよ。クレールエンパイア付近で彼女を見つけた時に閃いたの。こいつをアスト・ローゼンにひっつけて最後はあいつ自身に殺させる作戦。上手くいきすぎて笑ったわ。貴方達見てなかったんでしょ? あいつが化け物になったカルナをその手で殺害するところ。あいつが泣き叫びながらカルナの体を斬り刻んでいた姿。最高の見世物だったわ!」
カチュアの高笑いが響く。
ガイトとライハを狙う作戦はアルカディアが指示したものだった。だが、カルナを狙ったのは彼の指示ではなく自分1人で起こしたことだ。
アルカディアには「勝手なことをするな」と怒られたが、あの時のアストの苦しむ姿を見られただけで満足だった。いい気味だと、あの日の夜はどれだけ笑ったことか。
カナリアは口を開けたまま唖然とする。
「そ、それだけ? たったそれだけで…………あんなことをしたっていうの? 冗談でしょ? 何かもっと大きな理由とか、あるんでしょ?」
好きな人が自分のことを見てくれないから、その彼の興味の中心であるアストを潰した? カルナを殺させた?
なんだその「小さな理由」は。
もっとあるだろう。「大きな理由」が。これでは、このままでは。カルナは、ベリツヴェルン家は、アストは、自分達はなんのために苦しんだというのか。
意味不明だ。そんな個人の感情だけでカルナは死んだというのか?
「私にとってはあの方こそが全て。あの方の望むことならなんだってする。貴方には『それだけ』でも…………私には重要なことなの。アスト・ローゼンは気に入らない。だから絶望の海で溺れさせてやるのよ!!」
「ふざけないで! あんた達のせいで、どれだけ……! どれだけ……!!」
リーゼが、自分達が、アストが、
「苦しんだと思ってるのよっ!!!!」
カナリアの怒りは爆発する。
アストは必死に自分達に見せないようにしていたが、ずっと苦しんでいた。
カルナが死んだ、というだけでも激しい悲しみがこみ上げてきたのに。それを自分の手で行ったというアストはどれほどの苦しみを抱えていたのだろうか。
想像なんてできない。彼にしかわからない。支えようにも、支えられない。怖くてそのことに触れられない。
だから、自分も許さないと決めたのだ。こんなことを仕掛けた奴を。
「カチュア・リールフェイズ。あんただけは……あたしとライハがここでぶっ倒す!!」
・詳細レポート「マジックトリガー No.1~12」
最悪の大事件「ロスト12」によって拉致された魔法使いの体で造られた禁断の魔法道具。素材となった魔法使いの所持「属性魔法」の魔力や術式がトリガー内に記録され、注射器の針を自身に刺してそれを注入することで誰でも「魔法」が使用できるようになる。全12種。
ただし副作用があまりにも強く、使用回数が3回を超えて見られる主な副作用としては強烈なトリガーへの依存、脳へのダメージ、意識障害や幻覚の発症。精子や月経の異常による生殖機能への影響。またトリガー使用後に極度の疲労感から頭痛・動悸・眩暈が引き起こる。一度に過剰使用または長い期間乱用し続けると、死亡する。




