116話 小さき弱き者よ
はっはっは、と高笑いグールスは去った。
最初から最後まで理解の追いつかない、嵐のような時間だった。
学内戦だって受けなければいい。あれは両者の合意があって成り立つものだ。でも、断ってしまえばカルナの血晶石が入ったロザリオは─
「アスト。立て」
「え……ジョーさん!?」
割って入った第三者。それは自分の今の師匠でもあるジョー・ハイビスだった。
そういえば、そうだった。今日は補習の後はジョーさんとの特訓の時間だった。それで、いつもの場所に現れない僕を探してくれていたのか。
ジョーはアストに手を差し伸べる。
「ジョーさん、助か─」
その手を取ろうとしたが、それは自分の手をすり抜ける。
ジョーの手はアストの胸倉を掴んだ。アストをそのまま引っ張り壁に追い込む。
「じょ、ジョーさん?」
「大体の状況は察した。お前に同情だってする。けどな。俺の弟子なら1つだけ覚えとけ」
ギリ……と胸倉を掴む力を強くする。ジョーも別人のように目つきを鋭くする。
「テメェ…………男なら簡単に頭下げてんじゃねぇぞ!!!! 自分を落とすだけの行為になんの意味がある!! ったく、情けねぇったらありゃしねぇ……!」
「え…………」
てっきり、自分を肯定してくれるのかと思った。
突然のことだったんだ。よくあそこであいつに手を出さなかった。よく踏み止まった。そう褒めてくれるのかと思った。
でも、ここでも否定された僕はまた怒りがこみ上げる。
アストはジョーの手を振り払う。
「僕が正しくなかったって言うんですか?」
「いいや、正しかったさ。お前はこの上なく正しかった。勝負でもねえのに暴力に訴えるのはクソのやることだからな。だが、正しすぎだお前は」
ジョーはいつもの変な口調ではない。何も飾っていない言葉を出す。
「理不尽で意味のわからねえことをベラベラと話すアホに対して、へこへこ頭を下げる。自分以外誰も傷つかねえよな? 賢い選択だ。賢すぎて反吐が出るんだよ。奴はアホでも、お前はそれ以上のアホだ」
「じゃあ……どうすればよかったんですか!!」
「受け身になってんじゃねぇ。跳ね返せ。それが理不尽な支配を抜ける唯一の方法だ」
ドン!とアストの胸を打つ。そこから熱いものが伝わってくる。
「理不尽を受け入れるな。意味のわからねえことは意味がわからねえと言え。ふざけるなと言い返してやれ。自分の力が足りねえなら何を頼ってでもテメェの支配なんか受けねえと言ってやれ。味方がいねえなら何をしてでも味方を作れ。なんとしてでも、相手の理不尽なルールに屈っしてんじゃねぇ」
激しい熱。まったく賢くない選択。バカげた行動。
時としてそれも必要である、と。
抗い続けろ。相手に弱さを見せるな。自分が諦めなければいいだけではないか。
諦めなければ……いい?
「そうだ。諦めない限り、本当の意味で終わることはない」
自分の行動を振り返る。
ただただ耐えて、相手の気が変わることを待っていた。そんなこと、起こるわけがないのに。
突然の理不尽。伏線も予兆もクソもない。自分からすれば突発的な出来事。
「もし、それでも戦わなきゃなんねぇ大事な物が懸かってるなら…………いつまでも相手の言いなりになってんじゃねぇ。テメェの意思で取り返せ!!」
「はい!!」
僕は走った。奴の下へ。まだ、いるはずだ。
魔法騎士コースの専用寮に近づいたところで、アストはグールスを見つけた。
グールスは1人ではなかった。
そこにいたのは……1年生。アストが魔法戦闘の時間で戦ったボルゴだった。
(ボルゴ……? ! そうか。そういうことだったのか)
今更。意味不明な「点」と「点」が意味明瞭な「線」となった。
自分がアレンに頼んで代わりに戦ってもらった魔法戦闘。たしかにあれはボルゴにとって屈辱な一戦だったに違いない。
これは、その腹いせだったんだ。
それならば。それならば、だ。これは全て回り回って自分のせいではないか、とも考えてしまう。
自分が最初からアレンに頼まず、自分の力だけで挑んでいればこんなことにはならなかった。少なくとも目を付けられることはなかったはずだ。
大きな力には、それを振るう「覚悟」がいる。
アレンの力は絶大だった。ここの生徒とは比較できないほどに。
しかし、そうなれば妬みだって生じる。アストという「無能」と、アレンという「強大な力」のアンバランスさが誰かを黒く染め上げる。
「どうしてあんな奴に、ここまで無様な目に遭わせられなければならないのか」、と。
もちろん、そう相手が受け取るのも相当理不尽なものである。負けたのはお前じゃないかと言ってしまえる。
されども。自分は、ただ「楽をしたい」という理由だけでアレンを頼ってしまった。そのせいで自分には分不相応な力を適当ではない場所で振るってしまった。
結局は自分の「弱さ」が招いたことだった。
じゃあ、どうすればいい?
「ん? お前……」
グールスがこちらに振り返った。なんだ、なんか用か? とすぐに薄ら笑いを浮かべる。なぜならアストの見っともない姿を目に映したばかりだから。どうせまた泣きついてくる。そう決めつけていた。
そうだな、セリフは……「学内戦だけは勘弁してください」。こんなところ。
それくらいは頭の中で想像していただろう。
「僕から、あなたに学内戦を申し込みます」
「……は?」
グールスの予想は覆った。
「僕が負けたら、なんでも言うことを聞きます。奴隷でも、なんにでも好きにすればいい。けど、僕が勝ったら……」
アストはグールスを見る。今度は下から上へ見上げる形ではない。お互い同じ目線で。
「そのロザリオだけは返せ!!!!」
「て、め、ぇ………!」
グールスは顔に怒りを映し出す。さっきまで怯え切っていた雑魚が調子に乗ってんじゃねえ、と頭の沸点を超えた。
いつもと違うアストの様子にボルゴは驚く。
学内戦をやるのは簡単ではない。負けてしまえば大きな恥をかく。それこそ次の日から学院内を歩くだけで指を指される。それもアストとなれば最初から笑い者になった状態で舞台に立つわけだ。尋常ではない勇気が必要だ。
それなのに。どうして立ち上がれるんだ。
ボルゴは冷静になってしまう。アストの弱々しい態度が自分の「怒り」を「イジメ」へ昇華させたとわかってしまった。
自分は何か、くだらない理由でとんでもない引き金を引いてしまっているのではないか、と思い至ることができた。
今でも遅くない。グールスに進言しよう。「やっぱりやめよう」と。「やりすぎた」と。
「あ、あのグー─」
口が閉じた。言葉を発した時、グールスの顔を見た。それで、言葉が止まった。
その怒り狂っている表情を見てしまったから。
グールスはキレていた。自分は2年生だ。相手は1年生。ふっかけたのは自分で、たとえ逆ギレと言われようが、自分が下の存在から喧嘩を売られたことが気に喰わなかったのだ。
「ざけんな……あぁ? テメェが、俺に? 学内戦を申し込む? ははっ、んだよそりゃぁよ。食うのは俺で、テメェは食われる側だろうが。いつも通り、テメェらが屈してそれで終わり。俺が玩具で遊ぶだけの単なるゲームだろうが……! 気に入らねえ。気に入らねえ!」
面白くねえ。それだけで、怒りが出た。
自分は今までイジメてきた側だ。今回も同じだ。なのに、相手は目を死なせず、あろうことか啖呵まで切っている。
お前をぶちのめすと言わんかのように。
「くく、ははは。最初はなよなよしたうぜぇ奴が調子乗ってるって聞いたからそいつをちょこーっとイジメてやろうかと思っただけだったが…………変更だ。俺が、うぜぇと感じたからお前を徹底的に潰す」
もう後輩からイジメろ、と頼まれたなんてことは関係なくなった。自分がイラついたから許さない。さらなる理不尽へと進化した。
アストはそれを受け止める。イジメなんてもの、始まりはいつだって意味不明な理由だ。だったらここで立ち向かわないでどうする。
証明しろ! アスト・ローゼンはお前に遊ばれるほど弱くはないと!
今度こそ、誰もが認めてくれる「自分だけ」の力で!
「後でやっぱなし、なんてのはやめろよ?」
「そんなに不安なら、もう1回言ってやる」
アストはもう、怯まない。
「学内戦で…………僕と戦え!!」




