114話 魂と愛が宿る結晶
「ん~。まだ体が怠いな……」
朝。まだ昨日の吸血行為がひびいているのか、疲れが取れていない。
疲れ、というのは正しくないだろう。激しい運動をしたわけではないのだから。
血液を吸われるとは経験のないことだから侮っていたが……体力というか、生命力というか、消耗が激しい。
リーゼが言うにはかなり危険な状態でそれなりの量を吸わないといけなかったから、普段の吸血はもっと少なく済むらしいのだが。
人間、だからこそ僕の血が必要だというなら。それでも喜んで身を切ろう。大切なのは彼女の命だ。彼女がもうこの世にはいないあの子の分まで日常を生きられるのなら、苦になることなんて何もないのだから。
カナリアとライハはクエストで出くわしたハンターに関しての報告で朝早くから出ていた。何やらとんでもないのと戦ったらしく、教員も大慌てで情報収集をしたいとのことだった。
そのおかげでゆっくりと寝られたんだけどね。
僕は制服を着て、準備を整える。
「ムウ。今日はここにいてね」
「すぴー」
寝てて聞いてないし。
ムウはあの後、教室に戻ってもまだ寝たままだった。
どうやら僕の中からこっちの世界に自分の魔力を使って出てくるのはそれなりに疲れるらしい。なので眠ってこっちの世界で活動するための魔力を回復しているらしいのだが……そんなに疲れるなら僕の中に戻ればいいのに。
それだけこの学院を気に入ってくれたのかな。それなら嬉しいけれど。いや、学食にまで引っ付いてきたらまた絶対あのバカみたいに高い定食を頼みかねない。複雑なところだ……。
これはこのままいくとあの部屋で同居コースかな……と嘆息して扉を開ける。
「なんですの。溜息なんてついて」
「あ……リーゼ。おはよう」
「おやすみ……じゃなかったですわ。おはよう、ですわ」
扉を開けたすぐそこでは、ここの制服に身を包んだ吸血鬼のリーゼが立っていた。夜にしか活動してなかったから挨拶を間違えてるよ。朝におやすみって言われるの新鮮だなー。
「もう朝には慣れた?」
「これでも全然ですわ。体はまだまだ怠いですし、紫外線をカットするクリームを塗ってなんとか普通くらいですわね」
「へー、そんなのあるんだ」
他愛のない話をしながら校舎までの道を2人で歩く。
紫外線カットのクリームかー。吸血鬼は生活するにも色んな物が必要そうで大変だ。でも、それくらいなら女の子は皆持ってるのだろうか。
「そういえば僕の部屋の前にいたけど、どうしたの? 何か大事な用でもあった?」
「あ、そうでしたわ。これをアストさんに」
リーゼはカバンからある物を取り出す。それは……
「なにこれ。ペンダント?」
十字架のペンダント。ロザリオというやつだろうか。その十字架には赤いルビーのような宝石が埋め込まれている。
「って、吸血鬼は十字架平気なの!? よく物語で対吸血鬼の道具に……」
「? こんな線が交差しただけの物のどこに吸血鬼が苦しむ要素があるんですの? そんなの人間か、吸血鬼をよく知りもしない一部の魔人が勝手に言ってるだけですわ」
えぇー。身も蓋もない。人間のヴァンパイアハンターさんはこのことを知ってるのだろうか。さすがに専門の人なら知ってるよね。
ところでペンダント、か。リーゼがくれるってことは、これ多分魔法道具なんだろうな。どんな効果があるんだろ。
「そのロザリオにつけてある宝石。それは『血晶石』といって、吸血鬼特有の宝石ですの。生まれたばかりの子の血液から取って造り出す物で、その子が10歳になって真の吸血鬼になった時、記念に贈る物ですわ」
「そんな文化があるんだ。そんなの僕が貰っちゃっていいの?」
「もちろんですわ。その方が……『あの子』が喜びますもの」
え、
不意にもたらされた情報だった。あの子……もしかしてこの血晶石って。
「それは……カルナのですわ。カルナの血液から造られた、カルナが受け取るはずだった物」
「そう、なんだ……」
「貴方に受け取ってほしいんですの。カルナが愛した、貴方だからこそ」
僕は宝石に触れる。キラリと光り、明るかったあの子の笑顔のようだった。真紅の色は決して汚れることのない、ルビーにも劣らない綺麗な輝き。
それを身に付けてみる。
「似合うかな?」
「とっても、似合いますわ」
リーゼは、カルナにも負けないくらいの笑顔を向ける。
ロザリオを握りしめ、僕も笑った。
が、魔法騎士コースの教室に行くと僕は一気に笑みを消す。
「アスト・ローゼン。昨日の小テストが芳しくなかったため、補習続行です」
「はい…………」
そうなのだ。先日の小テスト、無事終了したのである。もちろん点数的な意味での「終了」だ。
実はもしそのテストが合格した場合、もう補習が終わる予定だったのである。
だが、最後の最後にやらかしてしまい補習はまだ続くことに。最悪だ……。
リーゼの命がかかっていたとはいえだ。それはそれ。これはこれ。辛いものは辛い。
「あんた補習の小テストですら満足な点が取れないの?」
「昨日は大変なことがあったんだよ」
「なによそれ」
「………………保健室で血を抜いてもらってた……かな」
「あんたそんな支離滅裂なこと言ってて会話が成り立ってると思ってるの? 一瞬こっちの頭がおかしくなったかと思ったわ」
うぐぐ。リーゼからはさっき別れる前に吸血行為のことはできるだけ話さないでくれと言われたのだ。 そうなると昨日の出来事はボカシて伝えなければならない。そのせいで意味のわからない返しになってしまった。たしかに会話内容がグチャグチャだ。
話したくても話せないとはもどかしい。秘密を守るとは簡単なことはでないのだ。
「なに1人で納得した顔してんのよ……意味不明だわ」
そう。こんな風に引かれることも我慢しなきゃいけない。我慢……しなきゃ…………。
ま、というわけで補習は続くことになりましたとさ。
ちょうどいい。どうせ点数ギリギリだったんだ。これを機会にしっかりと知識を定着させて、余裕があるようにしておこう。
せっかく実技は問題なく終わったんだから座学の方で躓くわけにはいかない。
♦
放課後。補習の前に飲み物を買って一休みしようとしていた。
最近1人になる時間が多くなったせいか、どうも時間の潰し方に慣れてきた感がある。暇な時は図書室に行ったり、場所を選んでジョーさんの課題を練習したり。
前は大変なことがいっぱいあったからか。こうして落ち着く時間があることが嬉しい。思えばこの学院をゆっくりと見る時間もなかったから助かった。
僕は炭酸飲料を飲みながら近くのベンチに座った。
「おや。アストだ。奇遇だね」
いつかの休日みたいに僕のベンチに隣人が。フワリ、と花のような良い匂いが鼻腔を擽る。
「アンジュさん」
「ふふ。暇つぶしに来てみれば良いこともあるね」
この学院の2年生で僕の先輩にあたる人だ。補習が始まった日に知り合った。
アンジュさんは人当りが良く、こんな僕に話しかけてくれる優しい人…………なのだが。どうにも聞こえてくる噂までは良い物じゃない。
入学試験で試験生を攻撃して血祭りにあげた。それが本当ならこの笑顔の裏に何かが隠れているのか。そんな余計な勘繰りまでしてしまう。
……あとどうでもいいが、このベンチは少々狭いので一応2人座れるのだが、密着率が高くなってしまう。そのためどうしてもアンジュさんと体が触れ合っている。周りから変な勘違いをされてなきゃいいけど。
ついこの前にカナリアから「お前はフラッとどこか行くとすぐ女と仲良くなる」というあらぬ疑いをかけられているのだ。自分も女子率多めな交友関係に悩んでいるからどうにかしたいのだが……こればっかりはどうしようもない。
「どうだい? 補習、上手くいった?」
「補習ですか? 昨日の小テスト撃沈して続行になりました」
「…………やっぱり君ってけっこうおバカだったんだね」
先輩でさえ苦笑する。それ前に会った時にも言われたな~。
恥ずかしい気もするがまぁ留年さえしなければもう僕に何か守るプライドなんてのはない。実技がボッコボコな時点でバカにされてる毎日だ。
「アンジュさんって頭良さそうですよね」
「そうかな? 普通だよ。といっても授業はあまり出られてないから勉強は大変だけど」
「出られてない? 生徒会の仕事ってそんなに忙しいんですか?」
「サボってるんだ」
「…………」
なんかガイトみたいな理由だ……。今度は僕が苦笑いになってしまう番だった。
「あ……まさかまた研究室抜け出してきたんですか」
「あ、バレた? ユーちゃん先生の研究室は不人気でわたし1人しかいないから話し相手がいなくて暇なんだ」
ユーちゃん先生というのは魔法騎士コースの授業の1つ「魔法武器学」の先生のユーリエ先生のことだ。新米の先生だからか、どうも研究室に入ってくれている生徒が少ないようだ。
それ、聞いたら先生泣きそうだな。不人気な上にその1人の生徒でさえもフラフラとどこかへ行ってしまうとか……。
魔法騎士コースで人気のある研究室はガレオスさんの「魔法戦闘論」。そこにほとんどの生徒が集中するから不人気になるのはどこも同じかもだが。
「おい……アンジュの奴、後輩といるぜ。珍しいな」
「うわぁ、あいつアンジュに目つけられるとか運なさすぎだろ。なにか怒らせることしたんじゃねえか。いつかぶっ殺されるぞ」
2人で和んでいると、そんな隠す気もないような嫌な言葉が飛んできた。その声の主である男のネクタイのピンを見ると青。アンジュさんと同じ2年生の先輩だ。
その先輩方にアンジュさんが目を向ける。じっ……と見てニコリと笑うとその先輩たちはそそくさと去っていった。怖がるように。
「どうやらわたしがここにいるとアストまで変に思われそうだね。帰るとするよ。そろそろユーちゃん先生も探しに来るだろうし。……じゃあね、アスト」
そう言ってアンジュさんはベンチを立ち、手に持っていた炭酸飲料をグイっと飲み干して、ポイと空き缶用のゴミ箱に放った。
……ん? アンジュさんって飲み物持ってたっけ?
あ! あれ僕の買ったやつだ……。え!? しかも、か、か、間接キスじゃ…………。
子供と思われるかもしれないが、それでも僕の顔は赤くなる。
そうなりながらも。アンジュさんを見る、彼女の同級生の、恐れを抱いた瞳からあの噂は本当だったのか。と、納得しながら…………彼女自身に真相を聞くべきだったかとも思った。
「僕も補習あるから教室行こうか」
ポツンと1人になって、いつまでもここにいるわけにもいかないからと立ち上がる。
教室へ向かおうとすると、
ドンっ!!
「うあ! す、すみません!」
「いってぇ……気を付けろ」
これまた2年生である先輩とぶつかった。下を向いてさっきのアンジュさんのことを考えていたせいだ。僕は倒れこんでしまう。
先輩に怪我はなかったみたいで、僕を睨みながらすぐにその場から離れていった。
……ぶつかった時、首筋に鋭い痛みがあった気がする。
リーゼに噛まれたところでも痛んだかな? とか思いながら僕は教室に歩を進めた。
だが、この時の僕は「首」というところでもっと気にしなきゃいけないことがあったことを忘れていた。まさかそれを気にしないなんてどうかしていた、と振り返ることができる。
♦
「へっへ。グールス。取って来たぜ。なんか高価そうなもん適当にパクったけどこれでいいんだよな?」
アストとぶつかった2年の生徒。その手に持っているのは……血のように赤い宝石が埋め込まれたロザリオ。ぶつかった振りをしてアストから盗ったそれをグールスに手渡した。
この生徒はグールスの仲間。こういった手癖の悪さがあったところを認められて彼とつるんでいる。
「おう。くっくっく。こうも上手くいくとはな。相当なバカじゃねえか。そのアスト・ローゼンって奴」
嫌な目つきでアストから奪い取ったロザリオを眺めまわす。良い値段で売れるかな、とでも考えているのだろうか。
いいや、
「あとはいつも通り、ってところか」
これはグールスの立てたシナリオの序章。狙った相手の大切な物を奪い取る。それこそがスタート。
特に貴重そうな物を今日になって突然身に付けているアストはわかりやすかった。
ここからアストを追い詰めていくシナリオは加速する。




