108話 厄災の胎動
アストが部屋を出るとちょうどカナリア達も見学が終わったようだ。2人とも非常に満足した顔をしている。
「今日はありがとうございました。件の用件はまた2人に伝えます」
僕はそう挨拶して帰ろうとする。その時に、
「ちょっと、君」
女性の魔法騎士─ルーレイさんが僕を呼んだ。
呼ばれたなら行きますよとついていく。フリードさんがいる第一隊室から十分に離れた。それを確認するとルーレイさんはこちらに向き直る。
「フリードのこと、あんまり恨まないでやって」
「はい?」
「ほら。君なんでしょ? フリードの命令で大切な子を斬らされたって奴」
ああ……さっきフリードさんが謝ったことだ。僕としてはもう呑み込んだことだから問題はない。
「あいつもね。実はああ見えて無理してる」
「無理?」
「うん。この第一隊の部屋のデスク。よく見ると1つだけ違うデスクあるでしょ」
そう言われてひょこっと第一隊の部屋を覗く。
デスクを眺めていくと……その中に1つ、花瓶が置かれているデスクがあった。その中にフリードさんが花を入れ替えてあげている。
その表情は……いつもの飄々とした風ではなく、どこか愛おしそうなもので。普段の彼を知っている者からすれば想像もできないだろう。
「あのデスク。ここの隊員『だった』物。名前はアイリス・ブルーハート。フリードの……幼馴染だった子」
「アイリス……さん」
「よく笑って、元気で、どこか天然なところがある子。この隊のムードメーカーだった。それと、多分フリードのことが好きだったと思う。フリードも……ね」
その人は…………もう。机に置かれた花瓶ほど察する物はない。逆に今でも大切に残してくれているというのが驚きだ。
「昔、ある戦いでアイリスが敵の『異能』で操られたことがあってね。しかも、こちらを一掃するために彼女を起点として自爆の『異能』をかけられてた。聞くだけで胸糞の悪い話。それを……フリードが斬って阻止したんだ。……アイリスを殺すことで」
「フリードさんが?」
「ああ。あいつ、しばらく泣いて塞ぎこんでたよ。見てるこっちが辛いくらいに。しかもその時の功績で副隊長に昇進なんだからやってられないってもんよ」
そんなことがあったのか。もしかするとフリードさんは今も苦しんでいるのかもしれない。アイリスさんが自分を恨んでいるんじゃないかと。でも、それは違う。
カルナも、最期は笑顔だった。それと同じなら。きっとアイリスさんもフリードさんのことを恨んではいないと思う。
これを僕が伝えても、意味はない。何も知らないやつが横から何を言っているんだ。そう思うだろう。僕だってそうだったからわかるんだ。
結局、自分が乗り越えるしかない。フリードさん。あなたなら……乗り越えられる。そう信じています。
こんなことを想うのは、同じ境遇を経験したからだろう。そして、だからこそフリードさんは僕にあんな命令ができたんだろう。
「不幸自慢したいわけじゃない。ただ……あいつ、チャラそうに見えて実はけっこう繊細なとこあるから。あいつが隊から離れてフラフラと動いてるのって君関係なんでしょ? だから……うちの副隊長をどうかよろしく。それだけ」
「はい。わかりました」
それから僕はルーレイさんに一礼して、魔法騎士団を去った。
♦
その頃、ベルベットは─
「ガレオス。そろそろ聞かせてもらってもいい?」
職員室の中にある応接室。そこにベルベットはガレオスを呼んでいた。
「あなた、前の学内戦の時、アストに危機が迫っていたのを知っていたでしょ。どうして知っていたの?」
カナリアとライハが学内戦で戦っていた時のことだ。アストは別の場所でマジックトリガーを使用したガイトに襲われていた。ガレオスはあたかもそれを知っていたような言動を取っていたのだ。
本当はもっと早く問い詰めたかったが、運悪くリーゼに重傷を負わされて動けなかった。ベルベットの予想ではガレオスは自分に何かを隠している。
「…………この学院には『闇』がある」
「闇?」
「隠れた陰謀、とも言うべきか。私はそれを秘密裏に追っている」
急に何を言い出すんだ。ベルベットはわけのわからないという顔をする。
信じようとしないベルベットを見て、ガレオスは話を続ける。
「マジックトリガー……と言ったか。それを一部生徒に流している存在がこの学院にいることは気づいているな?」
「ええ。アストから聞いたわ」
「今、私はそれを探っている。その道中でアスト・ローゼンが狙われているという情報を得たのだ。情報源に関しては伏せさせてもらう」
怪しい。怪しすぎる。これではガレオスに対しての容疑は深まったとも言える。
第一、自分からしてみればお前こそ悪っぽいぞとツッコんでやりたいところなのだが。
それに、こいつにはもう1つ怪しい点があるのだ。
「……この学院の校則規定、調べたけどアストが入った瞬間に消された規定があるらしいわね。それもあなたの独断で」
「…………」
ベルベットは教師として最低限校則は知っておいてくれというわけで校則規定の内容を見せられていた時期があった。
だが、たまたまそれが去年のものだったおかげか。1つまったく機能していない校則が存在していたのだ。
それは単純なもの。当たり前にあるはずのもので、誰もが学院が決定しているからと見逃しているもの。
「『この学院寮での同部屋におけるパートナーは男女で組むことを許可するが、いかなる理由においても同じ部屋で生活することは許可しない』だったかしら。過去に学院内でもう少しで強姦すれすれの事件があったらしいわね。それからはパートナーを組むことは許すにしろ同じ部屋で生活を強要させることは絶対にしなくなったって聞いたわ」
アーロイン学院はただでさえ組によって実力を分けている場所だ。それによって下位層に溜まるストレスは小さなものでは決してない。人によれば怒りや鬱憤をコントロールできない者もいるかもしれない。そうなれば矛先が同部屋のパートナーに向くのは想像に難くない。
もちろんそんなことで仕方なかったなんて言い訳を許すわけがない。犯罪は犯罪だ。だからこそ学院側もすぐに対処をした。
けれども、そんなあって当然、今までなかったこと自体がおかしいくらいの校則が……アストの入学と同時に消滅していたのだ。
そしてそれと同時にアストの同部屋のパートナーはカナリアとなっていた。ここにいるガレオスの手によって。
「何らかの理由によってアストとカナリアをパートナーにする必要があったあなたは即刻その校則規定をなくした。違う?」
こうしてみればガレオスがカナリアに対して強い感情を向けていることも判断材料となる。
どうしてガレオスは執拗なまでにカナリアを貶める発言をするのか。そこにこの答えが隠れている気がした。
「私から答えられることはない。お前が気にすることでもない。……今後、この件には触れるな」
「アストにカナリアを付ける必要があった? それとも……逆に、カナリアにアストを付ける必要があったとか?」
ガレオスに拒絶されてもなお、ベルベットは追及する。
そこまで至った瞬間、空気が変わった。
「触れるな、と言っている」
弱い魔物なら眼光だけで殺せそうな、それほど険しい目でベルベットを睨んだ。
最も触れてはならない部分に触れてしまった。そう思わせるガレオスの反応にベルベットも止まってしまう。
付き合いは長い方だが、この男は自分の怒りを自分でコントロールできる者だった。
そんな男がほんの少しでも怒りを表層に浮上させるほどのこと。ベルベットは口を噤んだ。
「……お前に1つだけ言っておく。これも、とある情報筋から得たものだ」
ガレオスは扉を開けて去る直前、口を開いた。
「近いうちに、この学院に大きな試練が訪れる」
「試練?」
「一歩間違えればこの学院は崩壊。そして多くの生徒や教師が命を落とす。お前もその例外ではない。まさに厄災だ」
「!?」
ガレオスの言っていることの意味がわからない。この学院にいったい何が襲い来るというのか。
そしてこの男は何を知っているというのか。
「その時、鍵になるのが……」
「アスト……?」
「そうだ。この学院に、そしてアスト・ローゼンに、大きな試練が訪れる。覚えていろ。もう時は動き出しているとな」
そうしてガレオスは去っていった。
大きな試練……。どうしてアストが名指しで指定されているのか。この学院に危機が迫るほどの試練とはどんなものなのか。
謎は多い。けれども、ガレオスは無駄な嘘をつかない。そんな男ではない。
「はぁ…………考えるの面倒くさ。やってやろうじゃない。要はその試練ってのを潰せばいいんでしょ」
ベルベットは杖を握りしめた。強く。強く。




