104話 僕らは悲しみの夜を越えていつか来る朝を探している
僕はシャワーを浴びて、一旦落ち着いてリーゼとまた話す。
「そういえばリーゼはどこの部屋に住むことになったの?」
試験を受けてすぐ合格になってしまったリーゼ。
その後は編入のための色んな手続きをするために一旦僕と離れたんだけど……その時に入ることになる部屋番号も聞いているはずだ。
「たしか……『908』と聞きましたわね」
「もう時間も遅いし帰った方がいいんじゃない? こんな時間まで男の部屋にいたなんてことがバレたら良い噂もないと思うし」
「吸血鬼にとっては遅い時間でもないですわよ?」
「ここでは遅い時間なのっ!」
リーゼは「そうでしたわね」と気楽にクスクス♪と笑っているが、ただでさえ良い噂がない僕は焦っているのだ。
師匠がどうだという話もあるがそれ以上にカナリアとライハが同じ部屋なことや一時期フィアちゃんが出入りしていたせいか、裏で男の生徒から「魔法性騎士」だの「淫王」だの悪口を言われていることを僕は知っているのだ。自慢じゃないが魔法騎士団に幼女誘拐の疑惑で通報されたことだって何回もあるんだ。
あれ……? 涙が出てきた……。
「別にいいではありませんの。今は二人っきりなのですからそれまでゆっくりしても。カナリアさんとライハさんのお二人ともクエストでいないと聞いていますわよ」
リーゼはまるで予め用意していましたと言わんばかりの理由をペラペラと話す。
「それともここに来て日の浅い私にもうどこかへ行ってしまえと? 私は他種族なので部屋も1人なんですの。ああ、アストさんは冷たいですわ……。過去の女にはこのような仕打ちをなさるのですわ……。鬼畜ですわ……。学院の皆さんにこのことを知らせなければまたどこかの女性がアストさんの毒牙に……」
「もうここに居ていいからそこまでにしてください……」
よよよ……と泣きながら、追い出せばあることないこと噂するぞの勢いで脅迫されれば誰だって諦める。
また魔法騎士団に通報なんてされたらこっちの精神がもたない。
「さすがアストさん。お優しいですわ」
「はいはい。お優しいお優しい」
なんかもう疲れてしまった僕はとりあえずベッドに寝転がる。
「アストさん」
「ん? なに?」
リーゼは僕と同じベッドに腰かける。寝転がった僕の横にすぐリーゼが座るもんだから彼女の良い匂いがフワリと鼻腔を擽った。
「アストさんは……人間ですわよね? よく魔人の味方をしようなんか考えましたわね。普通はさっさと人間の国に帰りそうなものですけれど」
「そうだけど……」
う~ん、と答えづらそうな顔をしているとリーゼは察してクスッと笑う。
アレンのことをどう伝えていいのかもわからない。自分が「ミリアド王国」のハンターだというのも言っていいものか。察してくれるのはありがたい。
「僕からも聞きたいことがあるんだけどさ。魔王後継者のことについて何か知ってることはない?」
お返しに、僕も1つ聞く。色んなことを知ってそうなリーゼなら何か知ってるかなと期待している。ベルベットはあまり知ってなさそうだったけどリーゼはどうだろうか。
「詳しくは知りませんわ。そういうのがいる、程度ですの。だから見たのはアストさんが実際に力を使った時が初めてですわね」
「それなのによく見た時に魔王後継者ってわかったね」
アレンが力を使った時、記憶が確かならリーゼは見た瞬間に気づいていた。
「魔力感知が得意な者なら誰でもあれが魔法ではない『何か』というのには気づきますわ。明らかに異質な力を感じましたもの」
へ~。僕自身は魔力感知なんてできないし、僕以外の魔王後継者なんて「ゼオン」しか会ったことないしな~。
あれ? そういえば人間側には1人だけ魔王後継者が公開されているという話をベルベットから聞いたことがあったような……。
まさかアレンが自分から「魔王の力」をバラすなんてことはしなさそうだ。自分の異能だって嘘の情報を流してるくらいなのだから。
「僕以外の魔王後継者の話って聞いたことある?」
「人間に1人だけいますわね。……こいつですわ」
そう言うとリーゼは自分のマジックフォンで「ランク表」なるページを出した。
このページは現在登録されている魔人、人間、魔物のランクを閲覧することができるのだ。
その中の……「人間 Sランク」に登録されている者の1人のページをさらに開いた。
(『セラフ・クロディアス』……こいつが、現在公開されている唯一の魔王後継者……!)
セラフ・クロディアス─人間年齢で20~30代ほどの若い男の顔写真がそのページには載っていた。 その目には自分が信じる確かな何かを携えているような強い光を感じる反面、大きな野望のような強い闇をも感じさせた。
「その男は『第二次種族戦争』の頃から数百年間、今の今までずっと生き続けている奴ですわ。おそらくこいつの異能がそういう能力なのでしょうけれど」
長寿の異能……? そんなものまであるのか?
それはリーゼの推理なわけだが……そうじゃないと説明がつかないだろう。魔人でもない限り、人間が数百年も若い状態を維持するなんてできない。
「強さとしては……聞いた話によると『第二次種族戦争』で、こいつ1人に少なくとも7万人は殺されているらしいですわよ」
「7万……! そんな…………」
途方もない数を出されて現実感がない。それに、そこまでやってよく生きていられたものだ。
「けれど、そこから『第三次種族戦争』と『第四次種族戦争』のどちらにも参加してなかったみたいですわ。どうも戦う理由がわかりづらくて、人間側にとっても厄介そうな奴ですわよ」
普通に考えてこんな強力な力を持っている奴が生きているというなら続けて戦争に投入されないとおかしい。
魔王後継者となれば尚更だ。それでも出ていないとすれば…………大きな傷を負ったとか? 老いてなくても力は減少しちゃってるとか?
僕がそんな楽観視を続けていると、いつものごとく自分の内から声が聴こえた。
(「そいつは人間の中でもかなり危険な奴だ。お前も気を付けておけ」)
(「アレン? 起きてたんだ」)
ややこしいけど、僕の中にいる「過去の僕」─アレンだ。
そのアレンが言うには、魔人だけでなく人間としても油断できない存在であるという。
(「ミリアドのエリア1には『天使教会』という巨大な宗教団体がある。こいつはそこのトップだ」)
(「『天使教会』……?」)
(「人間に異能を与える『神』との交信の中継役を買って出ているところだ。謎が多いところでな。俺も深くは知らない」)
人間に異能を与える「神」との交信……。実際にそんな存在がいるとわかれば信仰する団体が現れても不思議ではない……か。
それよりも「神」を崇めるところの人が「魔王後継者」ってのは大丈夫なのだろうか。なんか変な人がトップにいる組織だなー。
(「これもそこの女と同じく噂なんだが…………第二次種族戦争でこいつは傷一つでさえ負っていなかったらしい」)
(「戦争の中にいて無傷だったってこと!?」)
(「ああ……そして、こいつは自分のことを『審判』の魔王と名乗っている」)
『審判』の魔王……!!
僕と同じだ。僕が『支配』の魔王と名乗っているのと同じ。つまり、そこから単純に考えるならば、こいつの魔王の力は『審判』という能力。
これはアレンの話から推察したことだが……魔王の力『審判』はダメージを負わない能力なのかな? 例えばバリアーを張るとか? それとも傷を回復する能力?
う~ん。予想できるのはそんなところか。
ただ……僕の『支配』がそうであるように、とんでもない規格外の能力であることには違いない。
僕以外の魔王後継者の能力を知らないからなんとも言えなくはあるんだけどね……。
「何を考え込んでいますの?」
僕がアレンの声に耳を傾けていると、ズイッとリーゼが寝転んでいる僕へ顔を覗き込ませてきた。綺麗な顔がすごく近づいてきたり、細いこれまた良い匂いがする黒髪が顔に垂れてきて僕の心臓はドキリと跳ねる。
「いや、なんでもないよ。……そ、そろそろ寝ようかな。リーゼは夜に寝たりとかするの?」
「別に早く寝ると思えば寝られますけれども……」
「なるほど。じゃあ上の2つのベッドどっちでも使って良いから。それじゃっ!」
赤くなった顔を隠すようにして僕は速攻で睡眠体制に入る。そもそもベッドの上で男女がこんな近くにいること自体、心臓に悪い。早いとこ寝た方が安心できる。
僕がそう言うと「わかりましたわ~」という声が聞こえてきて、ほどなくして部屋の灯りをパチンと消す。それからリーゼはシャワーを浴びに行ったのか浴室の方へ向かっていった。
ほっ……。彼女がいなくなったおかげか眠りにつくまで何事も起きなさそうだ。このまま夢の世界へ行かせてもらおう。おやすみリーゼ。
……zzz
「わ~、あったかいですわ~」
……ん……んあ……? なんか、背中がつっかえるなぁ……。邪魔だ……なんだこれ……。
寝ている僕は突如、背中に「何か」があることを感じた。
僕は寝返りを打って、瞼は閉じたまま、手でそれを押しのけようとする。自分の寝るスペースに荷物でも置いてあったっけ? と完全に寝惚けながら。
「やんっ♪ アストさんったら……淑女のそんなところを……」
あ~……ん~……? なんだこれ。
寝惚けて脳がバカになっている僕はただただグイグイと押しのけようとする。
ポヨンッ、フヨン、とそれは手から少し零れるくらいの大きさで、とてもとても柔らかい物だということだけはわかった。
けれど、そこからそれをどうしようなんて寝惚けた頭が命令できるわけない。僕はひたすらに押すだけだ。そう押すだけ。
「……んぁ……、ぁ……や、ちょっ、アスト、さん? ……そ、そろそろ……ん……ぁ!」
そんな声は今のアストには届かない。押す。押す。押す。
「あ……そこはダ、メ……ですわ……! ぁぁっ!」
ん……なんかとても小さな突起のような……
「アストさんっ!!!!」
「へ…………………ぉわ!?!?!?!? リーゼなんでここにいるの!?!?!?」
頬をペシンッ!と叩かれて一気に目覚める僕。はっきりと聞こえたリーゼの声。瞼を開けると暗闇だけど若干見える美しい少女の顔。その顔はどこか火照っていて、目も潤んでいるように……見えた。如何せん暗いから気のせいかもしれないけど。
リーゼの方は、はぁ……はぁ……と息を吐きながらふーっと安堵する。
(も、もう少しでどうにかなってしまうところでしたわ……!)
最初は寝ているアストのところに入って悪戯でもしようと思っていた。それでアストのさっきのような反応を見て、クスクス♪と笑って終わり。……そんな作戦を立てていたのだが。
アストが自分の……とある部分を触るのをいつまで経っても止めず次第に洒落にならない状況になってしまっていた。
それを少年に知られるのはとても恥ずかしい。だから黙っておく。……自分の真っ赤になった顔を暗闇に隠してもらいながら。
「うるさいですわっ! 黙って寝ますのっ!」
「え……ええぇぇ??????」
なぜかプンプンと怒りながらリーゼは僕に背中を向かせてベシベシと叩いてくる。
僕、ただ寝てただけなのになんでこんな仕打ちを受けなければいけないんだ? 理不尽すぎる。
困惑しきっていると、ギュッ……と後ろから華奢な体が抱き着いてきた。腕も僕の体に回して。
さすがにこれはダメ! っていうか早く出てよ! と叱ろうとすると……
「お願いですから、少しだけ…………このままでいさせてほしいのですわ……」
彼女の声音が、急に寂しげなものに変わった。それで僕はそれを振りほどけなくなってしまう。
どうしたの? と問いたいけど……僕は声が出なくなっていた。
「さっきも言った通り、カルナは……アストさんのこと、愛していましたわ」
「うん。自惚れるな、って言われるかもしれないけど……あの時、カルナは『大好き』って言ってくれたんだ。その時の『好き』は……今までのとはどこか違う気がした。だから……『そうだったんだ』とは言わないよ。その気持ちは…………僕もとても嬉しいしね」
カルナを斬った時。最期に伝えてくれた言葉は、とても甘く、心に痺れた。彼女の想いが痛いほどに伝わった。あれを聞いて、「知らなかった」なんて言うのは卑怯だとも感じたんだ。
「きっとカルナが成長すれば姉である私とそっくりになったと思いますの。ですから、もし……もし、アストさんがカルナのことを想ってくれているなら─」
リーゼは僕の背中に顔を埋めながらくぐもった声で言う。
「私のこと、カルナと思って抱いてもいいですわよ?」
抱く。その言葉の意味はそのままのものではないだろう。男女のそういった行為を表すものだ。
そんな言葉を、彼女の口から聞いて興奮するだろうか?
いいや、それよりも悲しい気持ちになった。
「お願いだから、口が裂けてもそんなこと言わないで。リーゼはリーゼだし、僕は自分がただ満たされるためだけにそんなことはしない」
今のリーゼはどこかおかしい。メチャクチャだ。感情の起伏も変だし言ってることも急にどうしたというもの。ベルベットなら頭でもおかしくなったかと口悪く罵ってそうだ。
様子が変なリーゼの方へ僕は向き直る。そうすると、僕はわかってしまった。その理由が。どうして彼女が突然なんの脈絡もなくそんな自分をメチャクチャにするようなことを言い出したのか。
リーゼは、泣いていた。
暗闇でもわかった。目が慣れた……というのもあるが、それを抜きにしても感じ取れた。彼女が深い悲しみを抱いていたことに。
「リー……」
リーゼ、どうして泣いているの?
そう聞こうとした。けど、言わなかった。
聞くまでもない。彼女が思考をバラバラにしてまで、情緒を不安定にしている理由はわかり切っている。なにせ、自分がそうだったから。
カルナが死んで、悲しいのはリーゼも同じなんだ。そんなの当たり前じゃないか。
僕は察した。きっとこのベッドに入り込んできたのは彼女の軽い悪戯だったんだ。
けれど。場所が同じベッドの中という勘違いされそうなところだとしても。人と触れ合って感じた「温もり」で心が解きほぐされたのだろう。不意に、心の鎧が外れてしまったんだ。
今まで「妹の死」で取り乱さないようにと我慢していた、その心の鎧が。
僕がみっともなく泣いてしまったのを、抱きしめて守ってくれたリーゼ。そんな姿を見たから安心していたんだ。彼女は強いから大丈夫なんだと。
そんなわけないだろ。彼女が一番、悲しいに決まってる。本当なら僕以上にみっともなく泣いてしまいたかったに違いない。
人は悲しくなると、何をするかわからない。それこそ自分を破滅させるようなことだって平気でやるかもしれない。彼女が抱いてくれてもいいだなんてことを言い出したのはそれに起因することのはずだ。
僕は……
「!」
リーゼが僕にしてくれたように、僕は彼女を抱きしめた。彼女の頭を自分の胸に、そうやって泣き顔を見えないようにして。
何するんだ変態、と言って叩かれてもいい。気持ち悪いと罵ってくれてもいい。後でこんなことをされたと悪い噂を立てられて孤立してしまったって構わない。
でも、少しだけでもこれを拒まないでくれるなら、僕も君と同じようにしてあげたい。
僕を「強いヒーロー」でいさせてくれたように。
君を「気高く美しい君」のままでいさせてあげたい。
「……ぅぅ………うぅぅうっ……ぅぅ………」
リーゼはむしろ僕に抱き着いてきて、泣き声を押し殺すようにして泣いた。
僕達は、互いを慰め合う。互いの失ったものを確認し合いながら。
誰だって泣くんだ。どれだけ強く、狂気的で、孤高な彼女だってその例外ではない。
人間だって、魔人だって、「人」であるなら……誰だって泣く。
そうやって、悲しみを溶かして、僕達はまた日常に戻れるんだ。
♦
「ごめんなさい、ですわ。まさか自分もお世話になるとは……」
「いいよ。僕なんかで良ければ。いつだって」
「……もうこれで悲しむのは終わりにしますわ。いい加減、前を向かないと怒られてしまいますもの」
誰に、とも聞かない。そんなこと知っている。今も空の上で僕達を見てくれている彼女に決まっている。
「ですが……今日だけは、ここにいさせてほしいんですの」
「うん。いいよ」
今はきっと「人の温もり」が彼女には必要なんだ。それなら僕が断ることはない。
「あ……変なとこ触ったりとかは絶対しないから! だからそこは安心して!」
「それに関してはもう手遅れですわ……………………」
「え?」
僕に邪な気持ちなんてないからね、というのをしっかり報告しておくとリーゼはどことなく遠い目をして(暗闇で見えないけどそんな雰囲気を感じ取った)、自分の胸を抱きしめながら、はぁ……と深い溜息をついた。
……………んんん??????




