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誰しも人生のうちに一度や二度、運命の出会いというものがある。それが恋人なのか恩師なのか、親友なのか先輩なのかは分からないが、「あそこであの人に出会ってなかったら今の自分はなかった」という人物が1人2人は必ず居て、そういう人と出会うたびに人間は、神様とか運命とか奇跡とかいう形の無いものに感謝する。
そういうのが一般的な事なら、もしかしたら俺は、神や運命を恨む権利があると言えるかもしれない。
俺の人生における『運命の出会い』ってやつは全て、俺にとって悪い方向にしか働いていないからな。
さて、放課後の夕日差し込むロマンチックな教室で、誠に遺憾ながらも謎の女子生徒間宮司(別名ダークネスドラグーン)と出くわしてしまった翌日、いつも通り1年3組の教室に入って着席した俺は、まず3つの事を後悔した。
まず一つ目は、制服の下にTシャツを着てきてしまったこと。
この暑いのに2枚重ね着なんぞ、正気の沙汰ではない。確かに教室はエアコンが効いているが、それでも暑いもんは暑い。
学校のエアコンはみんなで使うものだから、そこまで設定温度を過剰に下げられるわけでもないしな。
二つ目は、昨日学校に忘れた財布を取りに行ってしまったことだ。
よくよく考えてみれば、今日も登校するんだから、昨日わざわざ学校まで取りに行く必要は無かった。帰ってから財布がどうしても必要になる事なんてないしな。しかも無駄な時間を食った挙句、結果的には財布の回収すら出来なかったわけだし。暑さで状況判断能力を司る部分が腐ってしまっていたのかもしれない。我ながらなんとも情けない話だ。
そして三つ目は、この学校に入学した事及び、この世に生まれ落ちてしまったことである。
これが最も重大かつ、深刻なことだな。
ホームルームが始まるまでは、特に変わったことは無かった。もう7月、入学して3ヶ月だというのに、下の名前が1文字も思い出せない担任の酒澤が教室に入ってきて、「おら、ホームルームやるから座れ」と、ドスの効いた低い声で生徒たちの着席を促す。それを聞いた生徒たちはそれぞれ自分の席に戻り、ピタリと会話をやめる。いつも通りの光景だ。
が、そこからがいつもと違った。俺及びクラス内の生徒一同は、身長の大きく体にも重量感と威圧感のある酒澤の巨体の後ろに、こじんまりとした小動物のような人間が付いて来ているのを見つける。クラスがざわめき始める。「あいつは一体誰なんだ?」
クラスの雰囲気がその疑問で一致する中、俺はただ1人、その忌まわしき輪郭と体型を、昨日の記憶と照合していた。
間違いない。あいつは...
「えーでは、今日から一人、新しい生徒がお前たちの仲間に加わる。入学から今まで、その......病気のせいで保健室登校となっていたが、今日から授業に復帰することになった。まあなんだ、仲良くしてやってくれ」
教壇に立った酒澤は、一部つまりながらも言うべき全ての台詞を言い終える。心なしかその声は、いつもより少し小さいように思えた。
「じゃあ、自己紹介をしてもらおう」
言って酒澤は教壇から退き、左手で自分の元いた位置を指す。それを見た謎の新生徒はこくりと一度深く首を縦に振って頷くと、教壇に立ち、白のチョークで黒板に名前を書き始める。
「間宮司という。今日からここで共に学ばせてもらうことになった。よろしく頼む」
教室、主に男子の面々がざわつく。耳を澄ましてみれば、「可愛い上にクールキャラ、たまんねえ」だの「ロリだけどあの落ち着いた声...尊い」だの「クンカクンカスゥーハァー」だの勘違い極まりない声が聞こえてくる。俺はそんな可哀想な男子どもを、マザーテレサやイエス・キリストより慈悲深い眼で見つめていた。若者たちの抱く幻想の、なんと愚かなことか。
「ちなみに、第3世界線では『漆黒龍星』と呼ばれている。この中に、同じく第3世界線で生きている者が居たら、直ちに名乗りを上げて欲しい。この世界と第3世界線の『境界』を守るための、『契約』を結びたい」
教室の空気が凍りつく。全てを察した者、何となくだが察した者、まだ理解が及んで居ないがなんとなくこいつがやべーやつだという事だけは理解した者。皆一斉に口を閉じる。
そしてその痛々しさと、急に冷え込んだ教室の温度に耐えかねた俺は、とりあえず間宮の方から目を逸らす。
ああ、こいつの学園生活、終わったなーー
「以上だ」
その後も長らく第3世界線とこの世界の関係など諸々の妄想についてのたまった間宮に対し、教室からは義務的な、乾いた拍手が起こる。それを聞いた間宮は、特に感慨を覚えたという様子もなく、「やっぱりか」といった顔でドン引きしている担任酒澤の指示に従い、いつもの無表情を崩さず自分の座席に歩いていく。
一方俺はといえば、先程からまだ間宮の方を直視する事が出来ていなかった。決して自分が関与していなかろうと、自分の前で恥ずかしい物を見せられると、何故か自分まで恥ずかしくなってくるこの感情は、家族全員集合のお茶の間で萌え系アニメのCMが流れた時のあの感情に通ずるものがある。
今日も朝から災難なこった......
うつむきながらため息を吐く俺に、軽快な足音が近づいてくる。コツ、コツ、コツ。だんだんと音量の大きくなってきていた足音は俺の前と思わしき場所で、急にピタリと静止する。
すると。
「契約者よ」
前方から声がする。
「契約者よ」
再び声がする。ただ、俯いた顔を上げることはしない。この声は俺にかけられたものではないからだ。そう信じているからだ。
「契約者よ、反応せよ」
今度は肩をポンポンと叩かれた。一瞬、心臓が動作を停止する。走馬灯が頭の中を駆け巡る。自らの死を覚悟する。
「はい......なんで、しょうか」
出来るだけ他人を装う反応をする。いや、実際に俺は他人なのだ。まさかごく平凡な俺の知り合いに、異世界の住人がいるはずがない。そういった類の輩がこの世に存在しないなんてことは、1+1と同じくらい正確に理解している。
はずなのだが。
「第3世界線で、再び『異変』が発生した。しかし、私は『境界線』の修正に力を使わなければならない。『異変』の解消にはあなた...契約者の力が必要。救援を頼む」
血の気が引いてくるのが分かるというのは、こういう感覚のことをいうのか。非常に勉強になった。
...クラスの注目は間宮と俺に集まってしまっている。このままではいけない。最低限、俺がこいつと同類であることだけはなんとか否定しなくては...
「残念だが、俺はお前と契約ってやつを交わした覚えはないし、昨日も言ったが第3世界線ってところの住人でも」
「それで、これが契約の『証』だ。非常時の魔力充填にも使える。常に身につけておくといい」
どうやらこいつは、会話を成立させる気というのが毛頭ないらしい。必死の否定、弁明、抗議は、虚しくも契約の証とかいう意味不明な物の贈呈によって掻き消されてしまう。
そしてなんともタイミング悪く、授業の予鈴がなる。
酒澤は「あー、ではHRを終了する」と教室出て行き、生徒たちはHR前のようにザワザワと騒ぎ始める。
そしてついに俺は、この1年3組において『第3世界線在住の「漆黒龍星」の契約者で、日々「異変」とやらの解決に勤しむ』...という妄想を繰り広げている痛い男子高校生ということになってしまった。
そんな俺の状況に、目の前に突っ立っている全ての元凶、間宮はやはりなんの感情を抱くでもなく、ただいつもの無表情をキープしている。
こうして俺の平穏な学園生活は、早くも終焉を迎え。この学校に入学してしまったこと及び、この世に生まれ落ちてしまったことを、小一時間ほど後悔したのだった。
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