036 編入生二人
魔法大国ヴァンボッセからの留学生、ミリィ=トゥ=ヴァンボッセ。
彼女にエレンの実力を知られるわけにはいかない。
もしエレンが最上級魔法を使うことが出来るということを知られてしまえば、少なくともエレンにとっていい結果にはならないだろう。
エレンの本当の実力を知る数少ない一人として、やはりヴァンボッセからの留学生とエレンを出来る限り近づけないようにしなければいけない。
リリアンヌは密かにそう思っていたはずなのだが。
「え、じゃあミリィはラクスの婚約者なの?」
「そうよ。とは言っても、私自身まだ数回しか直接話したことはないんだけど」
リリアンヌの目の前ではやけに親し気な様子で話をするエレンとミリィの姿がある。
むしろミリィと話すエレンの口調はリリアンヌに対するそれよりも親しい間柄にさえ思える。
出来るだけ二人は関わらせないようにするべきなのに、一体どうしてこうなってしまったのか。
それを端的に説明するのであればエレンの人の好さが原因である。
というのも今回の留学生であるミリィはその名の通り魔法大国ヴァンボッセの王族の一人。
エレンの時は皆揃って質問攻めにしたクラスメイトたちも他国の王族に遠慮なしに話しかける程、肝は据わっていなかった。
こういう時に真っ先に突撃しそうなククルも何故か鳴りを潜め、ミリィは結果的に編入初日である今日の午前中をほとんど一人で過ごしていたのである。
そんなミリィに声をかけたのがエレンだ。
もしかしたら同じ編入生という点でミリィに興味を持ったのかもしれない。
それにエレンは貴族社会に染まっていない部分もあるので、それが一因としても考えられるだろう。
二人が出来るだけ接点を持たないようにと心がけていたリリアンヌが一瞬油断した隙に、気付けばエレンがミリィを昼食に誘い、いつの間にかこんなに親しそうに話すようになってしまった。
「…………」
さすがに二人にするわけにはいかない、と同席しているが、エレンの一挙一動に気を張っているせいか昼食が禄に味がしない。
そんなリリアンヌの心労を知る由もないエレンは、ミリィの言葉に僅かに驚いた様子を見せる。
「相手のことをろくに知らないのに、よく結婚しようなんて思えるね」
とても自分には無理だ、と告げるエレンにミリィがため息を吐く。
「貴族の結婚なんて大抵そんなもんよ。それでも私の場合は良い方だと思うわ。酷い時はとことん酷いらしいから」
「そ、そうなんだ」
酷いというのがどういうことなのかエレンにはよく分からなかったが、うんざりしたような表情のミリィに苦笑いを浮かべることしか出来ない。
「むしろあんたはどうなのよ。結婚とかまだ決まってないの?」
「僕はそもそも貴族じゃないから、そういったこととは縁がないんだよ」
「そうなの? そこの公爵家のお世話になってるって聞いたから、てっきりヘカリムでも結構な血筋なのかと思ってたわ」
「今からでも言葉遣いに気を付けた方がいい?」
「そういう堅苦しいのは苦手なの。公的な場所でない限りは好きにしていいわよ」
「そっか。じゃあそうさせてもらうよ」
仲睦まじくエレンたちが会話をする傍で、リリアンヌは緊張しながら二人の会話に耳を澄ませていた。
二人にとっては何気ない会話なのかもしれないが、リリアンヌは冷や汗を禁じ得ない。
まさかミリィがそこまで気にしているとは思えないが、今のエレンの発言にはおかしなところが多すぎる。
もしかしたらラクスたちのように、エレンの実力を疑い始めるかもしれない。
それに国王からの話でもあったように、このタイミングでのヴァンボッセからの留学ということも考慮すれば既に何かしらの情報を得ている可能性も否定は出来ない。
何にせよボロが出るような発言は控えるべきだろう。
とはいえ自分の実力を理解していないエレンに、自分の実力について周りに感づかれないようにしてくださいとも言えない。
結局はリリアンヌが気を付けなければいけないのである。
「も、もうすぐ授業も始まりますし、そろそろ準備をしないといけませんね」
「それもそうですね」
これ以上エレンに何か下手なことを言わせるわけにはいかない。
そう思ったリリアンヌはちょうど話も途切れたタイミングを見計らって、二人に声をかける。
幸いリリアンヌの言ったことは間違いではなく、いつ次の授業の先生が教室にやって来てもおかしくない時間帯だ。
エレンは素直に頷き、弁当を片付け始めるが、ミリィはこれまでほとんど会話に参加していなかったリリアンヌが突然声をかけてきたことに若干驚いた様子を見せている。
しかしすぐにエレンと同じように弁当を片付ける。
「それじゃあまた話しましょ」
「うん。また後で」
最後にエレンに小さく手を振ると、ミリィは自分の席に戻っていく。
「……やけにミリィさんと親し気でしたね?」
「そうですか?」
リリアンヌは隣にだけ聞こえるような小さな声で呟く。
エレンはミリィとの会話を思い出すような仕草の後に僅かに苦笑いを浮かべる。
「きっと同じ編入生ということもあって妙な親近感があったんだと思います。それに初めはまさか王族だなんて思ってませんでしたし」
確かにエレンは会話の中で、ミリィが王族であることに驚くシーンがあった。
「その時にはもうある程度話せるようになっていたので、その流れでそのまま……」
エレンの言うことは何一つとしておかしいところはない。
しかしリリアンヌはあまりいい気分とは言い難かった。
これまで一カ月近く一緒に生活してきたはずの自分よりもエレンと親しそうに話すミリィの姿を見て、自分とエレンとの関係があっという間に追い抜かされたように感じずにはいられなかった。
だがそんな子供じみた理由で拗ねているなど、エレンに言えるはずがない。
「……ふーん、そうですか」
結局、リリアンヌは僅かに口を尖らせることしか出来なかった。
「そういえばミリィが貴族の間では親が決めた相手と結婚するというのは珍しいことじゃないって言ってましたけど、リリアンヌさんもそうなんですか?」
「わ、私ですか?」
リリアンヌは突然の質問に戸惑いつつ、今までの不機嫌なオーラが出ないように気を付けながら答える。
「わ、私の家は両親ともあまりそういったことに関して強制はしない方だと思います。ただ――」
「ただ?」
「公爵家という立場である以上、それなりの覚悟はしているつもりです」
リリアンヌの両親であるジョセもレオナも、結婚を無理強いするような性格ではないことはリリアンヌが一番よく分かっている。
それでも何かしら不測の事態があれば……という可能性が全く無いとは言い切れない。
「もちろんそんなことはないに越したことは無いんですけどね」
そんな未来の光景など、考えたくない。
しかし貴族にとっては家の存続が何より重要なのである。
「……貴族って面倒くさいですね」
それなりに真剣な話だと思っていたリリアンヌだったが、エレンの率直な一言に思わず苦笑いを浮かべる。
「実はそうなんですよ」
そして気付けば軽く舌を出しながら、普段では言わないような冗談を口にしていた。




