034 真夜中
「…………」
今は夕食の時間。
リリアンヌは小分けにした料理を口に運びながら、その視線をエレンへと注いでいた。
城で国王と話をしている時からずっと気になっていたこと。
それは今日の放課後にエレンがされただろう告白についてだ。
当然と言えば当然だが、その告白の結果がどうなったのかリリアンヌは知らない。
恐らくエレンなら聞けば教えてくれるだろうが、どうにも聞き出すタイミングを掴めずにいる。
「リリアンヌ、どうしたの?」
しかしそんな挙動不審なリリアンヌをレオナが見逃すはずがなかった。
それに釣られてレオナ以外の二人の視線までもがリリアンヌへと向けられる。
「な、何でもありません!」
「何でもないってことはないでしょうに」
明らかに動揺した様子を見せるリリアンヌに、レオナは追及の手を緩めない。
「学園で何かあったのかしら?」
「っ……!」
図星を突かれたリリアンヌは慌てて取り繕うと試みるが、既に遅かった。
リリアンヌの一瞬の反応を見逃さなかったレオナは目を細めると、今度はエレンに的を定める。
「エレン、学園で何があったのか教えてくれない? この娘はどうせ教えてくれないだろうから」
「お、お母様!?」
知らぬところで親睦を深めていたのか親し気にエレンに話しかけるレオナに、リリアンヌは驚きを隠せない。
しかしそんなリリアンヌを他所に、エレンはしばらく考え込むような仕草を見せたかと思うと首を傾げる。
「……何かありましたっけ?」
「……はぁ」
どうやらエレンはリリアンヌの様子がおかしい理由を知らないらしいと察したレオナはため息を零すと、もう一度リリアンヌに視線を向ける。
「何もありませんからね」
しかしレオナが口を開くよりも先に、リリアンヌが釘を刺す。
そしてその視線は、これ以上何を聞かれても話すことはないという決意の下で見事に逸らされている。
「もう、分かったわよ」
そんなリリアンヌの様子にレオナもこれ以上聞き出すことは難しいと判断したらしい。
若干不服そうに口を尖らせるレオナに、端から見ていた男性陣は思わず吹き出しそうになった。
「あぁもう! 気になって眠れませんっ!」
月明りのみが部屋を照らす真夜中、リリアンヌは勢いよく身体を起こした。
既にリリアンヌがベッドに入ってから結構な時間が経っているが一向に眠れる気配はない。
それも全てエレンのせいだ。
あの告白がどうなったのか、気になって仕方がない。
また明日も授業があるというのに、これでは明日に差し支えてしまう。
「やっぱり本人に聞くしか……」
リリアンヌは暗闇の中で小さく呟くと、ベッドから抜け出した。
そして今、リリアンヌはエレンの部屋の前までやって来ていた。
こんな時間に異性の部屋を訪れた経験など皆無のリリアンヌはしばらくそこから動くことが出来ずにいる。
どう考えても今の自分の行動が非常識であることはリリアンヌも重々承知しているが、それ以上に気になって仕方がないのだ。
この気持ちをどうにかするにはやはり今日の告白のことについて、エレンに直接聞くしか方法がない。
リリアンヌは意を決し、ドアノブに手を伸ばそうとして固まった。
「…………」
こんなところまでやって来たものの、果たしてエレンが教えてくれるだろうか。
そのことについて考えるのをすっかり忘れていた。
告白の結果を聞くにせよ、相手の意思だって当然あるだろう。
それをエレンが一人の意思で第三者に結果を教えるようには、あまり思えない。
「…………」
否、きっとエレンなら教えてくれる。
答えによっては明日からの行動に気を遣わなければいけなくなる、とでもリリアンヌが何かしら言えば、エレンはきっと僅かな逡巡の後で困ったような表情を浮かべて事の顛末を教えてくれるだろう。
でも本当にそれでいいのだろうか。
確かにリリアンヌの疑問自体は解消されるだろう。
しかしそれがエレンの意にそぐわないことであるのはほぼ間違いない。
やっぱり聞くのは止めておいたほうがいいのではないか。
リリアンヌがドアノブに伸ばした手を引っ込めようとした時、ドアノブが回った。
「あれ、こんな時間にどうしたんですか?」
「エ、エレンさん……」
何と間の悪いタイミングなのだろうか。
エレンが部屋から顔を覗かせたのである。
もしかしたら部屋の外のリリアンヌの気配に気づいたのかもしれない。
「とりあえず部屋の中にどうぞ」
本当は諦めて自分の部屋に戻ろうとしていたリリアンヌだったが、エレンに勧められるがままに部屋の中に招き入れられてしまった。
「ベッドにでも腰かけていただければ」
「あ、ありがとうございます」
リリアンヌはエレンに言葉に従い、ベッドに腰かける。
「エレンさんもまだ起きていたんですね」
リリアンヌの視線は部屋の中の机に広げられた教科書の類に向けられている。
恐らく初めて習う慣れない分野のことをこんな時間まで勉強していたのだろう。
今腰かけているベッドも冷たいままだ。
「お恥ずかしながら授業についていくのが精一杯で」
「それは仕方ありませんよ。むしろ授業についていけているだけでも凄いです」
エレンの言葉をリリアンヌが否定する。
精霊を使役することばかりに力を注いでいるヘカリムから来たエレンにとって、アニビアでの魔法分野などの授業は難しくて当然だ。
ほとんど一から習うようなものなのに、それでも授業についていっているのは誰にでもできることではない。
「そう言っていただけると幸いです」
リリアンヌの言葉を素直に受け取ったのか、エレンは微かに表情を柔らかくする。
そんなエレンの反応に、リリアンヌも笑顔を浮かべた。
「それでリリアンヌさんは何かご用でしたか?」
「え、えっとそれは……」
しかしこれまでの会話で、リリアンヌがこんな時間にエレンの部屋の前に立っていたという事実は消えない。
やはりというべきかエレンが聞いてきた。
もちろんリリアンヌは告白の件について聞くために、こんな時間にエレンの部屋までやって来たのだ。
とはいえ一度は聞くことを諦めた手前、再び聞く勇気が出ない。
いっそのこと自室を出た時のテンションであればすんなり聞くことができただろうに、とリリアンヌは心の中で嘆く。
「リリアンヌさん?」
顔を俯かせるリリアンヌを心配してか、椅子に座っていたエレンがリリアンヌの顔を覗き込む。
そんなエレンに、リリアンヌはついに我慢できなくなってしまった。
「エ、エレンさんは告白されたんですよね?」
だがその問いとは裏腹に、リリアンヌの視線は空を彷徨っている。
「い、いやあの、その結果次第では明日からの行動とかにも気を遣わなくちゃいけないなと思いまして……っ」
言いたくもない言葉がどんどんと出てくる。
これではまるで言い訳のようだ。
本当はただ気になって仕方がなかっただけなのに、それを口にすることがどうしても出来ない。
下世話なことを聞いてしまった恥ずかしさや焦りで、リリアンヌの唇は僅かに震えている。
禄にエレンの顔を見ることも出来ない。
「あー……断りましたよ」
だがエレンの言葉に、リリアンヌは驚きで顔を上げる。
「こ、断ったんですか……?」
「えっと……はい」
そう言うエレンは、やはりどこか申し訳なさそうな、困ったような表情を浮かべている。
何から何まで予想通りの反応にリリアンヌは良心が苛まれながらも、それ以上にどうしてエレンが断ったのかが気になった。
告白してきたのは確か貴族の娘だったはずだ。
平民であるエレンからしてみれば、どう考えても悪い話ではないように思える。
「ど、どうして断ったんですか? も、もしかして相手に何か不満があったとか……?」
「いえ、相手の方に不満があったわけではありません」
「じ、じゃあどうして」
そこまで聞いて、リリアンヌは自分が立ち入った話まで聞きすぎてしまっていることに気が付いた。
意外な答えについ熱が入ってしまったのである。
だが気付いた時には既にほとんど聞いてしまった後で、エレンにもその疑問は伝わってしまったはずだ。
「あ、あの――」
慌てて謝罪しようとした時、エレンが偶然にもそれを遮るように呟いた。
「————僕はこの国の人間じゃありませんから」
その言葉に、リリアンヌは口を噤んだ。
その一瞬の間にエレンは「もう遅いですから」と言うと、リリアンヌを部屋へ帰るように促す。
部屋の外に出たリリアンヌは真っ暗な廊下で一人佇む。
その頭の中はエレンの言葉で埋め尽くされていた。
この国の人間じゃありませんから。
そう言った時にエレンが浮かべていた苦笑いにはどんな思いが込められていたのか。
告白の結果を知るという当初の目的は無事に果たしたというのに、リリアンヌの気分は晴れるどころかより影が差していた。




