003 街の案内 下
「とりあえず商店街の紹介については、こんな感じでしょうか」
「最初に言われた通り、本当に色々な種類のお店がありましたね」
「全部の店を回ってたら、それこそ数日かかるんじゃないでしょうか」
商店街の案内をしてもらい始めてしばらく経ち、ようやく粗方の紹介が終わる。
リリアンヌが笑みを浮かべながら、冗談風に言う。
「確かにそうかもしれませんね。残りは自分で探索してみようと思います」
自分で開拓していくというのも、新しい土地での楽しみ方の一つだろう。
それに、この空気感はどうにも慣れない。
エレンはさっと辺りを見渡す。
やはり多くの視線が向けられている。
もちろんエレンにはそんな視線を向けられる心あたりなどはない。
だとすれば、
「……リリアンヌさん、だよなぁ」
リリアンヌに悟られぬように隣を歩く彼女を盗み見る。
エレンの目から見ても、綺麗だと思わざるを得ない容姿。
そしてそんな彼女が公爵家の娘であるということは国内でも、貴族に限らず、ある程度知られているのではないだろうか。
事実、服屋などではリリアンヌのことを知っている様子だった。
「どうかしましたか?」
「……いえ、何でもありません」
エレンの視線に気づいたリリアンヌの言葉に首を振る。
「今日はもう帰りますか?」
「他に行ってみたいところがあるなら案内しますよ?」
リリアンヌの言葉に少しだけ考える素振りを見せるエレンだが、すぐに思いついたように顔を上げる。
「それなら一つだけ行ってみたいところが――」
◇ ◇
「ここが今度から通うことになっている国立学園ですか」
「正確には来週から、ですね」
二人の前には冒険者ギルドよりも遥かに大きい建物——国立学園の校舎があった。
二人はそこの校門のところに立っている。
エレンがリリアンヌに案内してもらってまで見てみたかったのはここだ。
留学生とはいえ、ここで二年間以上、勉強していく手筈になっている。
「まだ正式な生徒としては登録されていないので、中には入れないんですけどね」
リリアンヌは苦笑いを浮かべる。
「楽しみ、ですか?」
「楽しみですよ」
この学園で勉強できることを、エレンは少なからず楽しみにしている。
確かに知らない土地で一人というのは緊張するが、出来るなら新しい友達と楽しい毎日を送りたいと思っている。
「国王様の計らいで、私と同じクラスにしていただけるようなので、何かあればすぐに頼ってくださいね」
「それは正直助かります」
エレンとしても新しいクラスに知り合いが全くいないというのは辛いだろうと思っていたのだが、リリアンヌがいてくれるのであれば心強い。
リリアンヌを介して、他のクラスメイトとも話すことが出来るだろう。
「今日は色々とご迷惑をおかけしてすみません」
ちょうど良いと思い、エレンは今日のことに対して謝罪する。
もしかしたらリリアンヌにとっては貴重な休みを浪費する結果になってしまったのかもしれない。
そう考えると、いくら仕方なかったとはいえ申し訳ない。
しかしエレンの思いとは裏腹に、リリアンヌは首を振る。
「迷惑だなんて思わないでください。これから一緒に暮らすエレンさんとお話できただけでも、私にとっては有意義な一日でしたよ」
「でも……」
「それに今は謝罪の言葉よりも今はもっと別に相応しい言葉があると思うんですが」
どこか拗ねたように身を乗り出してくるリリアンヌに、エレンは観念したようにため息を零す。
「今日は案内してくださってありがとうございました」
「どういたしましてっ」
長い銀髪を揺らしながら嬉しそうに微笑むリリアンヌ。
商店街のような人の多いところで、こんな表情を浮かべられたら、どれだけの視線を集めてしまうのだろうか。
そう考えると、エレンは二重の意味でドキッとさせられたのだった。
◇ ◇
「いよいよ今日からですね。やっぱり緊張しますか?」
「ええ。それなりには。ただリリアンヌさんも同じクラスにいると思えば、少しは気も楽になれるんじゃないかと期待してます」
「ふふ、それは期待に応えられるように頑張らければいけないですね」
エレンが留学生としてアニビア国へやって来てから、ちょうど一週間が経った。
今日から遂にリリアンヌの通う学園へ編入する手筈になっている。
「今更ですけど、確かこの国では魔法や精霊などのあらゆる方面の人材育成を目指しているんでしたよね?」
「はい。その通りです。そのため学園には優秀な魔法使いや精霊使いの教員が常駐しています。ただエレンさんの出身地のヘカリム国のような、精霊使いを育成することに重点を置いたりしているところに比べると、どうしてもその分野では見劣りしてしまいますけどね」
これから通う学園に対して早速マイナスの印象を与えてどうするのか、とリリアンヌは苦笑いを浮かべる。
だがしかしリリアンヌの言うことは的を射ており、エレンも重々承知しているところだ。
主に精霊使いの育成を目指しているヘカリム国は、こと精霊に関しては、他のどの国よりも人材が集中しているのは間違いない。
しかしアニビア国は、これといった分野に集中するのではなく、あらゆる分野に手を伸ばして教育に生かしている。
端的に言えばヘカリム国は「優秀な精霊使い」の育成を目指し、アニビア国は「魔法を使ったり、精霊を使役できたりする学生」の育成を目指しているのだ。
もちろんそれぞれの分野には才能も大きく関係してくるので、あらゆる分野を平等に使うのはそれだけで相当に厳しいのだが……。
「……とりあえずそろそろ学園に向かいますか」
「そ、そうですね」
気まずさで無言になっていたところで、エレンが呟く。
今二人は家を出ようとしていたところで、あまり長話は出来ない。
さすがにエレンも編入初日から遅刻したいとは思わない。
「あら二人とも今から? 気を付けていってらっしゃい」
そこで偶然玄関を通りかかったレオナさんが声をかけてくる。
二人は靴を履いて立ち上がると「いってきます」とそれぞれ言い残して、玄関を出た。
◇ ◇
「おう。なんだエレン、制服なんか着て」
「おはようございます。実は今日から学園に編入するんですよ」
「そうなのか。じゃあまた休みの時にでもうちに来てくれよ。サービスするぜ?」
「はい、その時はぜひお邪魔させていただきます」
「あら、エレン君じゃない。その恰好、もしかしてこの前言ってた編入って今日からなの?」
「そうなんです。なので今からどきどきしてます」
「またまた、そんなこと言って。いっつもほとんど動揺したりしないくせに」
「そんなことはありませんよ。僕だって動揺くらいします」
「じゃあお姉さんが朝からどきどきさせてあげよっか?」
「……遠慮しておきます」
「あっ、エレンちゃ~ん。今日もうちのお店に寄ってく?」
「いや、今日から学園に編入するので……。それに今はまだ早朝ですし、お店の開店準備も出来ていないのでは?」
「もう! エレンちゃんのためならおばさんすぐにでも開店しちゃうわっ! でも学園に行かないといけないんだったら仕方ないわね。その代わりまた暇な時にはお店に寄ってちょうだいね?」
「はい、分かりました」
「…………」
「あの、リリアンヌさん? どうかしましたか?」
「いや、エレンさんっていつの間に商店街の人たちとあんなに仲良くなったんです?」
リリアンヌはこれまでの光景に驚かずにはいられない。
商店街を通れば、何人もの店主と思しき人たちから声をかけられた。
その数ざっと十数人。
しかもその全てがエレンに親し気な口調で話しかけていた。
エレンがアニビア国へやって来てから、まだ一週間しか経っていない。
更にその内の数日は色々な手続きに付き合ったりしていたので、実際、エレンに暇があったのは二、三日といったところか。
一体その間に何があったのか。
リリアンヌもずっとエレンと行動を共にしていたわけではないので、エレンが商店街で何をしていたのかは知らない。
しかしこの短期間でどうやったらそこまで親し気に話しかけられるようになるのか。
むしろ何度もこの商店街を通っているはずのリリアンヌよりも、交友関係が大きいと認めざるを得ないだろう。
もちろんそれはリリアンヌがこの国で大貴族の一人娘というのが大きなハンデとなっているのは間違いない。
そしてきっとエレンの人柄も関係しているのだろう。
それに関しては一週間、同じ家で生活していてリリアンヌもよく理解している。
だがそれでもたった数日で商店街における交友関係を抜かされたというのはリリアンヌとしてもショックが大きい。
「エレンさんって実はすごい人だったんですね」
「いや、そんなことは全くないですけど」
若干の皮肉を込めての言葉だったのだが、エレンはそれに気付かない。
リリアンヌはそんなエレンに小さくため息を吐く。
「……なんか、学園でエレンさんの手助けする気がなくなってきちゃいました」
「えっ!?」
「冗談ですよ」
「や、やめてください。本当に驚いちゃったじゃないですか」
「ふふっ、ごめんなさい」
リリアンヌの言葉にホッとしたような表情を浮かべるエレン。
ただ、さっきの光景を見たらどうしても思ってしまう。
——エレンさんなら、すぐに自分で友達を作ってしまうのではないでしょうか。
そんなことを思っている間にも、また八百屋の店主に声をかけられているエレンにリリアンヌは何度目か分からない苦笑いを浮かべた。