029 髪飾り
「あら、やけにご機嫌ね」
「お、お母様っ!?」
公爵家当主の妻であるレオナが朝食後にリビングへ行ってみると、そこでは明らかにいつもより雰囲気が明るいリリアンヌがソファーに座っていた。
これは何かあると女の勘で察したレオナは早速、娘弄りのためにリリアンヌの向かいに座る。
突然声をかけられたことに動揺した様子を見せるリリアンヌ。
誤魔化そうにも、レオナがこんなに近くにやって来るまで気付かなかった時点で普段とは違っていることはもはや言い逃れできない。
「そういえば昨日はエレン君とデートしたんだったかしら?」
「デ、デート!? い、一緒に商店街を見てまわっただけです!」
「それをデートって言うんじゃないの?」
「————っ!?」
レオナの言葉に、リリアンヌはその端正な顔を真っ赤に染める。
そんな娘の反応に、レオナは思わず頬を緩める。
少し前までは、リリアンヌは自分の感情を表に出すということがあまりなかった。
それが、エレンがリュドミラ家へやって来てからというもの、感情を表に出すことが多くなり表情も豊かになった。
今の林檎のようなリリアンヌの頬も、間違いなくエレンがもたらしたものなのだろう。
「それで昨日は楽しめた?」
そんなリリアンヌの嬉しい変化にレオナはその顔を綻ばせながら聞く。
リリアンヌは相変わらず頬を赤く染めながらも、静かに頷く。
しかしそんな娘をもう少し弄ってみたくなるのが母親の性というやつである。
「とてもじゃないけど今のあなた、ただ楽しかっただけという風には見えないのだけど?」
「うっ……!」
それはリリアンヌにとっても図星だったのか、どこか気まずそうな表情を浮かべると顔を逸らす。
「あ、あなたたちまさかもう一線を越えたの……!?」
「なっ!? そんなわけないでしょう!?」
とんでもないことを言ってのけるレオナに、リリアンヌはこれまでにないくらいに顔を真っ赤に染め、声を荒げる。
だがすぐにレオナのにやけた表情を見て、自分がからかわれていたことに気付く。
「っ……!」
今度こそ何を言われても反応してやらないという決意のもとで顔を逸らすリリアンヌだったが、しかしそこでレオナはふと普段のリリアンヌとは違う部分を見つける。
「あなた、その髪飾りはどうしたの?」
「……っ」
その瞬間、リリアンヌの身体が見て分かるほどびくっと跳ねる。
「こ、これはその、エレンさんから頂いて……」
「へぇ?」
「な、なにか問題でもあるんですか!?」
レオナのにやついた表情に、リリアンヌは声を大きくする。
「いいえ? 貰い物なら大事にしないとね」
「そ、そんなの当たり前です!」
そう言ってリリアンヌは、これ以上は口を利かないと顔を背ける。
どうやら今回はここまでらしい。
しかしレオナはリリアンヌの髪飾りから視線が逸らせない。
今、レオナが考えていることはリリアンヌ自身が一番よく分かっていることだろう。
だからこそのさっきの動揺ぶりだったと考えれば納得もいく。
リリアンヌにとって自分の白髪がどういうものなのか。
直接聞いたわけではないにしろ、これまでずっと生活を共にしてきたレオナが気付かないわけがなかった。
レオナとジョセがお互いに茶髪の当たり障りのない髪色をしているというのに、リリアンヌだけがどういうわけか真っ白な髪色をしている。
恐らくそれがリリアンヌにとって大きなコンプレックスになっていたのは間違いない。
とはいえ、誰かから白髪に対する罵りを受けたりしたわけではない。
むしろリリアンヌの光魔法の才能とその白髪を共に称える声の方が多いだろう。
少なくともレオナが知る限りではという限りはあるものの、おおむね間違ってはいないはずだ。
だがリリアンヌはその賛辞の何一つとして受け入れようとはしなかった。
どれだけの男がリリアンヌに言い寄ろうと、言葉を並べたかは分からない。
しかしその言葉は一切届かず、むしろリリアンヌにとって髪色のことを思い出させる嫌な言葉の一つだった可能性さえ感じられる。
それでもリリアンヌは公爵家の娘という立場上、場の雰囲気を壊すようなことをする正確ではない。
だからこそレオナもこれまで、リリアンヌ自身の気持ちを直接聞いたことはなかった。
だがリリアンヌの気持ちが顕著に現れていたものがある。
それが髪飾りである。
レオナは以前、リリアンヌの白髪に対する気持ちをどうにか変えられないかと、白髪に映えそうな髪飾りをリリアンヌに贈ったことがある。
リリアンヌは笑顔を浮かべながらそれを受け取ったものの、レオナは未だ一度もその髪飾りをつけたリリアンヌの姿を見たことがない。
リリアンヌの部屋に出入りすることがあるメイドにそれとなく聞いてみたところ、髪飾りは窓際にいつも綺麗に飾られてあるということだったので大事にされていないというわけではないだろう。
そもそもリリアンヌが人からの贈り物を大事にしないはずがない。
それでもリリアンヌが頑なに髪飾りをつけないのは、自分の白髪をどうしても受け入れることが出来なかったからなのだろう。
そんなリリアンヌが今、髪飾りをつけている。
エレンから貰ったという可愛らしい柄の髪飾りを。
「似合ってるわよ」
「……エレンさんが選んでくれたので」
思わずといった風に呟いたレオナの言葉に、リリアンヌが返してくれる。
てっきりもう話す気はないと思っていたレオナは僅かに驚いてしまうが、リリアンヌの恥ずかしそうにしつつもどこか嬉しそうな表情を浮かべて、髪飾りを手でなぞる姿に思わず目を細める。
きっとリリアンヌの中で、何かが変わったのだろう。
これまで誰が何を言っても変わることがなかったそれが、エレンによって変えられたのだ。
しかもそれがエレンの前だけでなくリリアンヌそのものの変化であることは、レオナに対する反応だけでも十分に見て取れる。
「一体どんな魔法を使ったのかしら」
小さく呟いたレオナの視線の先では、雪の結晶を象った髪飾りが陽の光に反射して煌いていた。




