028 クレープ
「ほら、エレンさん。早くしないと置いて行っちゃいますよー」
「ま、待ってくださいよ……」
ミルタ街での一件が終わってから初めての休日、エレンはリリアンヌに商店街へと駆り出されていた。
「何もこんな早い時間帯からじゃなくても……」
「何を言ってるんですか! ようやく色々な事情聴取から解放されたんですから、羽を伸ばさないと!」
珍しく弱気なエレンにリリアンヌが頬を膨らませる。
とはいえ今日は一日ゆっくりしようと思っていた矢先、半ば強引に外へ連れ出されたエレンからすると気乗りしないのは仕方ないだろう。
それでもリリアンヌのお願いを冷たくあしらわなかったのは、満面の笑みを浮かべるリリアンヌの顔に影を差したくなかったからだ。
「それにお父様もエレンさんと一緒なら心配しないで済むって言ってましたし」
「なんか妙な信頼を寄せられている気が……」
リリアンヌを連れて帰ると、ミルタへ単身向かったエレンが無事にリリアンヌを連れて帰った影響で、ジョセからエレンに対する評価はかなり高くなった。
そもそもジョセからしてみれば最上級魔法を使えるエレンがリリアンヌの傍にいてくれるのであれば、どんなに腕の立つ護衛よりも安心できるのは必然と言うべきだろう。
それにミルタから戻ってきた二人の間に妙な隔たりはなく、リリアンヌも以前のような笑顔を見せるようになっていた。
ただジョセから見たリリアンヌのエレンに対する距離感が僅かに近くなったような気がするのは、果たして気のせいだろうか。
「何日もお父様からのお説教が続いていて辟易していたんですよ。エレンさんがいなかったら、もっと長い間怒られていたでしょうね」
二人の予想通り、ミルタから戻ったリリアンヌを待っていたのは数日間にも及ぶジョセからのお叱りだった。
エレンから「僕にも責任がありますし、リリアンヌさんばかりを怒るのはそれくらいにしてあげてください」という口添えがなければ恐らく今もなお、リリアンヌはジョセからの説教を受けていたことだろう。
「仕方ないですよ。リリアンヌさんが屋敷からいなくなった時、ジョセさんも凄く心配してましたからね」
すぐ傍にいたエレンはその時のジョセの様子を思い出し、思わず苦笑いを浮かべる。
普段はいつも落ち着いているはずのジョセの取り乱しようと言ったら、恐らく滅多に見れるものではないだろう。
しかしリリアンヌはそんなことよりも前に、エレンの発言の方が気になっていた。
「お父様”も”、ですか……?」
「? はい。ジョセさんも心配してましたけど、それがどうしたんですか?」
「そ、それってエレンさんも私のことを心配してくれた、ってことですか……?」
リリアンヌの思惑が分からず首を傾げるエレン。
そんなエレンに、どこか恥ずかしげに顔を俯かせながら尋ねる。
「そりゃあ僕も心配するに決まってるじゃないですか。リリアンヌさんも変なことを言うんですね」
「っ……!」
確かにエレンの言うことは尤もで、急に屋敷からいなくなれば誰だって心配くらいするだろう。
そのはずなのに、どうしてかリリアンヌはそんなエレンの一言で胸が満たされるような感覚を覚えた。
そのせいか、いつもの苦笑いを浮かべるエレンの顔をまともに見ることが出来ない。
「き、今日は何をしましょうか!」
頬が熱くなってくるのを感じたリリアンヌは慌てて話題を逸らす。
しかしエレンはそんなリリアンヌの言葉に驚いたような表情を浮かべている。
「え、えぇ……。リリアンヌさんがこんなところまで連れてきたのに、何も考えていないんですか……?」
「べ、別にいいじゃないですかっ」
尤もな意見に、リリアンヌは恥ずかしさで顔を逸らす。
「それに私、エレンさんと違って商店街とかあまり来ないですし、エレンさんの方がここのことは詳しいでしょう?」
「まだこっちに来て一カ月程度の人間よりも詳しくないことを、そんな堂々と誇られても……」
「そ、それは言わないでくださいっ」
むぅ、と頬を膨らませるリリアンヌにエレンは軽く謝る。
しかしリリアンヌにそう言われては、案内しないわけにはいかない。
どちらにせよこのまま突っ立っているわけにはいかないのだ。
「あ、リリアンヌさんって屋台のものを食べたりしたことってありますか?」
「いえ、あまりそういう経験はないですけど……」
そんな中でふとエレンの視線に入ったのは、エレンも何度かお世話になったことのある串焼き屋だった。
案の定リリアンヌは経験したことがないらしい。
とはいえ貴族のお嬢様に屋台の串焼きを立ち食いさせるというのも問題になるかもしれないと思ったエレンは、すぐ近くにあったクレープの屋台に近付く。
エレンが注文するのを不思議そうに窺うリリアンヌに、エレンは早速受け取ったクレープを一つ渡す。
「これは?」
「クレープっていうんですけど、やっぱり食べたことはなかったみたいですね」
「クレープ、ですか?」
「はい。歩きながらでも食べられるようになっているんですが、甘くて美味しいのでリリアンヌさんも気に入るかと思いますよ」
「へぇ……」
エレンに勧められるがままに一口頬張るリリアンヌの表情が、見る見るうちに輝いていく。
どうやらお気に召したらしい。
その後もリリアンヌは無言でクレープを頬張っていき、あっという間に自分の分を完食してしまった。
あまりのリリアンヌの食べっぷりに思わず驚かされるエレン。
しかしそんなエレンを他所に、自分の分を食べ終わったリリアンヌが次に目を付けたのはエレンの分のクレープだった。
「あー……、さっきのとはまた違う味なんですけど、食べますか?」
「い、良いんですか!?」
良いんですかも何も、そんな期待の眼差しを向けられて無視できるほどエレンの精神は図太くない。
エレンは苦笑いを浮かべつつ、リリアンヌに自分のクレープを差し出す。
クレープを受け取った途端、あっという間に頬張っていくリリアンヌ。
しかしクレープを頬張るリリアンヌの満足そうな表情を見れば、エレンに後悔などなかった。
「は、恥ずかしいです……」
クレープを食べ終わり、我に返ったらしいリリアンヌは羞恥に悶えている。
初めての体験だったとはいえ、あんなに勢いよく食べてしまうなんて。
しかもエレンの分のクレープまで食べてしまうなんて、普段のリリアンヌからはとてもじゃないが考えられない。
「そんなことないですよ、普段とは違ったリリアンヌさんも可愛かったです」
「う、うぅ……!」
恥ずかしさのあまり、リリアンヌはその場に蹲ってしまいそうになるのを必死に耐える。
「エレンさんがあんなに美味しいものを勧めたりするからです……!」
「ええっ!? 僕のせいなんですか!?」
憎らし気に見つめてくるリリアンヌにエレンは驚きの声をあげる。
しかし顔を真っ赤に染めるリリアンヌを見れば、相当に恥ずかしかったのだろうことが容易に窺える。
「じゃあお詫びと言っては何ですが、リリアンヌさんに何かプレゼントを買いましょうか」
どちらにせよエレンは先日の分も兼ねて、リリアンヌに何かを渡そうと考えていた。
サプライズ感はなくなってしまうが、リリアンヌと一緒に選べば贈り物の選択を誤るということもなくなるので悪くない判断だろう。
「えっ、わ、悪いですよ」
「遠慮しないでください。どちらにせよ、そんなに高いものは買えませんから」
エレンの言葉に、そんなつもりは全くなかったリリアンヌは慌てて首を振る。
しかしエレンはそんなリリアンヌの手を握ると、目的の店へと歩き出した。