025 静かな怒り
書籍化決定しました。
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「はぁ……っ、はぁ……」
エレンは飛び出したリリアンヌを追って、ミルタ街までやって来ていた。
正確にはリリアンヌがどこに行ったのかは分かっていない。
しかしエレンにはリリアンヌならここにいるという確信があった。
「……っ、シスター!」
ミルタ街にやって来て、真っ先に向かったのは孤児院だった。
幸いシスターが孤児院の外にいたので、すぐに声をかける。
「あ、あなたは確か聖女様の……」
「はい、実はここにリリアンヌさんが来ていないかと思って来てみたんですが……」
だがエレンの言葉にシスターが顔を伏せる。
「……ごめんなさい。さっきまでならリリアンヌさんもここにいたんだけど」
「っ、どこに行ったんですか?」
シスターの様子だとどうやらここにはいないが、やはりミルタ街には来ていたらしい。
それが分かっただけでも僥倖だ。
だが、シスターの様子がどうにもおかしい。
「……実は、さっき領主様がいらして」
「まさか……」
「……はい」
エレンの言葉に、シスターが申し訳なさそうに頷く。
恐らく先ほどまでの様子は、リリアンヌを引き留めることが出来なかったことへの罪悪感からだろう。
リリアンヌの行動がどれだけ危険で、どれだけ無謀なことなのか。
貴族社会に疎いエレンでもよく分かる。
「私がもっとちゃんと止めていれば……」
シスターの言葉に、エレンが首を振る。
「シスターのせいじゃありません」
事の発端は誰なのか。
エレンはそれを嫌というほどに分かっていた。
ミルタ街に来るまでに、何度も何度も考えたことだ。
だからこそ自分が今何をするべきなのか、しなければいけないのか。
「……領主の家の場所を教えてください」
「なっ!? まさかあなたも行くつもりなのですか!?」
エレンの言葉にシスターは声をあげずにはいられない。
しかし当の本人は全く顔色を変えることなく、シスターの言葉に頷く。
だがそれがどれだけ危険で無謀なことなのか考えれば、そんなことをさせるわけにはいかない。
聖女様を止められなかったのにましてやもう一人など、とシスターがエレンの前に立ちふさがる。
「シスター、僕はリリアンヌさんを連れて帰るって約束したんです。だから、教えてください」
「…………」
本当なら、ここで是が非でも止めるべきなのだろう。
しかしエレンの意思は既に揺らぎそうにないことを、シスターは察してしまった。
「……商店街を抜けた先に、一軒の大きな邸宅があります。そこが領主の家です」
長い逡巡の末、シスターは絞り出したような小さな声で呟く。
それはまさに苦渋の選択と言わざるを得なかった。
「ありがとうございます」
「っ……」
そのお礼さえも、今はシスターの罪悪感を蝕む。
顔を伏せるシスターの耳に聞こえてくるのは、どんどん遠くなっていく足音と、孤児院の中の子供たちの声だけだ。
シスターにはただ二人が無事で戻って来ることを祈ることしか出来なかった。
◇ ◇
「……あれか」
エレンの視線の先には、一軒の大きな邸宅があった。
恐らくあれがシスターの言っていた領主の家だろうと、エレンは駆け寄る。
「あれ、やけに人が少ないな」
領主の家というから門番くらいはいるだろうというエレンの予想とは裏腹に、敷地内に入っても使用人の影は見えない。
この敷地の大きさから考えても、全く使用人を雇っていないとは考えにくい。
だとすれば考えられるのは、意図的に使用人を遠くへやっているということだろうか。
「っ……!」
エレンがそう考えた時、近くで窓の割れる音が聞こえてくる。
間違いない、この屋敷のどこかの窓が割れた――。
すぐにそう察したエレンは、音の聞こえた方へ駆ける。
予想が正しければ、まず間違いなくそこにリリアンヌがいるはずだと信じて。
「……あった」
幸いにして、窓が割れたところはすぐに見つけることが出来た。
しかし窓の破片が外に散らばっていないところを見ると、誰かが外から窓を割って入ったらしい。
そんな割れた窓に、エレンは躊躇いなく近づいていく。
そして窓から中を見て、その動きが止まった。
リリアンヌの周りを数人の男たちが囲んでいる。
そしてその後ろで少し離れて事の成り行きを見ているのが、恐らく領主なのだろうが、今はそんなことどうでもいい。
リリアンヌは何か罠に嵌められたのか、抵抗する様子は見受けられない。
しかし徐々に近づいていく男たちに対して、リリアンヌの身体が震えているのだけは分かった。
エレンが動くのには、それで十分だった。
「…………」
エレンは音も出さずに、皆の中心へと歩いていく。
リリアンヌたちを囲う男たちも、少し離れているはずの領主でさえ、エレンがいることに気付かない。
エレン自身、男たちには目もくれない。
ただリリアンヌだけを思って、ゆっくり近づいていく。
そして気付けば、手を伸ばせば届きそうな距離までやって来ていた。
だからだろう。
リリアンヌの微かな祈りが、エレンの耳に届いてきた。
「————なら、見ましょうよ」
そこで初めて、エレンはリリアンヌに声をかけた。
出来るだけ安心させてあげられるような優しい声色に努めて。
突然のエレンの登場に困惑を隠せないらしいリリアンヌが「なんで、ここに」と聞いてくる。
その震える声に一体どんな思いが込められているのか、エレンには分からない。
でもそれ以上に、今はただ、リリアンヌを連れて帰ろうと手を伸ばした。
「————帰りますよ、僕たちの家に」
エレンの言葉に、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、リリアンヌはその意識を手放す。
倒れこみそうになるリリアンヌを、エレンはそっと支える。
「…………」
相当、無理をしていたのだろう。
今のリリアンヌを見れば、それが嫌というほどに分かる。
しかしリリアンヌがそんな風になるまで追い詰めたのは、他の誰でもない自分自身だ。
「……僕が怒るなんて、珍しいこともあるもんだ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。
その怒りの矛先が誰なのか、もはや言うまでもない。
「勘違いするなよ、僕はお前たちに興味なんてない」
エレンが初めて、男たちに対して言葉を向ける。
どこからともなく現れたエレンの不気味さに、思わず皆が後退ろうと試みる。
しかしそれすらもまるで足が張り付いてしまったかのように動かない。
そんな彼らに、エレンはゆっくり近づく。
「お前たちは僕の家族に手を出した、ただそれだけだ」
気付けば、エレンの周りを真っ黒な瘴気が覆っていた。
そこでようやく彼らは気付いた。
自分たちが誰に手を出してしまったのかを――。
「慈悲なんてあると思うな」




