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024 エレン=ウィズ


 領主の屋敷までやって来たリリアンヌは案内されるがままに連れてこられた部屋で、領主と向かい合って話し合いを進めていた。


「孤児院の子供たちの生活は、寄付金の少なさゆえに日々過酷なものになっています。今はまだシスターの尽力があるお陰で何とかやりくりしていますが、それもいつまで持つかは分からない状況です」


 リリアンヌは孤児院への寄付金を増やしてもらうために、色々と説得を試みる。


「孤児院への寄付金は主に街の税金から賄われているはずですよね? それならその税金をあげた今、孤児院への寄付金を維持するならまだしも、減額するというのは街の人たちも納得しないのではないですか?」


 リリアンヌの言葉は尤もだ。

 しかし領主はとぼけたように首を傾げるだけで、明確な答えを寄越さない。


「そう言われましても、こちらにはこちらの事情がありますしねぇ」


「っ……」


 領主の言葉に、リリアンヌが思わずたじろぐ。

 リリアンヌが何を言ったところで、結局そう言われてしまえばリリアンヌにはそれ以上何も言えない。

 何しろ領主の言っていることが嘘であることを示す証拠が何もないのだ。


「ただ、私としても孤児院に対する寄付金のことは心苦しんですよ」


「……?」


 これはどうしたものかとリリアンヌが顔を伏せていると、領主が思わぬことを言ってくる。

 領主は何かを悩むような仕草を繰り返したかと思うと、ため息を吐く。


「しかし聖女様ともあろうお方にそこまで言われれば、折れぬわけにはいけませんな」


「えっ、それじゃあ」


「はい。孤児院の寄付金を少しですが増やそうと思います」


 まさかの展開にリリアンヌは目を白黒させる。

 しかしそんなリリアンヌを他所に、領主は使用人に用意させた紅茶に手を付ける。


「…………」


 そんな領主に違和感を感じずにはいられないリリアンヌ。

 しかしそれはただの勘違いで、もしかしたら領主は根は良い人なのかもしれない。


「聖女様も遠慮なさらずに、ぜひ」


「あ、ありがとうございます」


 そう感じたリリアンヌは領主の差し出した紅茶のカップを受け取る。

 領主に勧められるがままに紅茶を一口飲むが、甘くて飲みやすい。

 それがまたリリアンヌの警戒を解いた。


「さすがに寄付金を増やすと言ってもそんなには厳しいですが、多少は私からも便宜を図りましょう」


「はい、お願いします」


 寄付金が今よりも多くなってくれるのであれば、たとえ少しだとしても十分にありがたい。

 シスターなら多少足りなかったとしても、何とかやりくり出来るだけの手腕があるだろう。


「…………」


 とはいえこれでリリアンヌのとりあえずの目的は達成することが出来た。

 エレンもこれなら今回の功績を認めてくれるだろうか。

 もしそうだったら、どれだけ良いことか。

 リリアンヌはその時のことを想像して、思わず頬を緩めた。


「っ……」


 しかし、それはリリアンヌの油断だった。


 リリアンヌがそのことに気付いた時は既に遅く、全身の力が抜けた後だった。


 リリアンヌの手の中にあったカップが床に落ちて割れる。

 中身がぶちまけられ、辺りには破片が飛び散る。


「ふう、やっと効いたか」


「あ、なた、まさか……」


「申し訳ないが少々、麻痺薬を忍ばせてもらったよ」


「っ……!」


 どうしてもっと気を付けなかったのか。

 ここは仮にも敵の本拠地だというのに。

 領主が一瞬だけ見せた人の好さに、完全に油断してしまっていた。

 

 リリアンヌは自分の未熟さを呪わずにはいられない。


「回復魔法に解毒効果のあるものがないことは、事前に調べさせてもらってるよ」


「……っ」


 悔しいが領主の言う通りだ。

 光魔法は直接的な怪我や傷などに対しては有用だが、毒に対して効果があるものは少ない。


 その中でも麻痺に関しては、少なくとも上級魔法には無い。

 最上級魔法には身体の不調を全快させる魔法があると噂で聞くが、最上級魔法を使えないリリアンヌには関係のない話だ。


「こんなことをして、ただで済むと思っているんですか?」


 唯一動かすことが出来る視線で、領主を見つめる。

 向かいのソファーから立ち上がりこちらを見下ろしてくる領主の表情は思わず鳥肌の立つような下卑た笑みが浮かんでいる。


「まあそうなれば私の命もないでしょうね」


 公爵家の一人娘を手にかけたとあれば、それこそどうなるか分からない。

 それは領主も理解している。


「ただ、その前に口封じをすればどうですか?」


「……っ、それでも私が領主の家へやって来たことは何人も知っています。そこで何かあれば真っ先に疑われるのはあなたですよ」


 リリアンヌが領主の屋敷にやって来ていることを知っているのはシスターだけではない。

 孤児院からの途中で、結構な数の人たちとすれ違っている。

 それだけ証人がいる状況なら、領主も自分に手を出すことはできないだろう。


 冷静にそう判断したリリアンヌが強い視線を領主に向けるが、領主の笑みを相変わらず崩れない。


「——では、こういうのはどうだろう?」


 領主が笑みを浮かべながらそう言った瞬間、窓が割れる音が部屋に響く。

 驚いたリリアンヌは視線をそちらへ向けると、そこには数人の見知らぬ男たちが領主と同じ下卑た笑みを浮かべながらこちらを見下ろしてきているところだった。


「聖女様がウチへやって来ている時にタイミング悪く盗賊たちが襲ってくる、というのは」


 領主の余裕の秘密が、こんなところにあったとは。

 リリアンヌは絶望的な状況に顔を歪める。


「そうだ。この際ついでにまずい書類も全部盗んでいってもらおうか」


「なっ……!?」


 領主のあまりのクズっぷりに、リリアンヌは空いた口が塞がらない。


「旦那ぁ、始末しろって話でしたけど、これだけの上物をすぐに殺しちまうのは勿体ないっすよ。ちゃんと最後は始末するんで、それまで遊んでいいっすか?」


「ちゃんと仕事してくれるのであれば別に構わん。どうせ私の手は汚れないんだからな」


「むしろ汚れる前に汚れてないっすか? まあ、お言葉には甘えさせてもらうっすけどね」


「……っ」


 盗賊たちの視線が一斉にリリアンヌへ注がれる。

 その視線に含まれる厭らしさを感じたリリアンヌは動かないことを忘れて、何とか後退ろうと試みる。

 しかし麻痺毒が相変わらず身体に残っている状況では、リリアンヌにはどうすることもできない。


 光魔法を使おうとしても、そもそも麻痺毒のせいか上手く魔法を唱えることが出来ないのだ。

 そしてそれ以上に、冷静な判断力を、恐怖が上書きしていくのがリリアンヌ自身感じていた。


「…………」


 もはやリリアンヌには、徐々に近づいてくる男たちの足音を聞いていることしか出来なかった。


 もう目を開ける勇気すらない。

 男たちの表情を見たら、最後の砦さえも崩れ去りそうな気がした。




 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。


 無限にも思える暗闇の中で、リリアンヌは思う。


 それは間違いなく自分の浅はかさのせいだ。

 そもそもたった一人で出来るはずがなかったのだ。

 何とか出来るのではないかと、自分を過信しすぎていた。


 否、そうではない。

 きっとたった一人の信用を取り戻すために、無理をしたのだ。


 だが彼を責めることは出来ない。

 そんなこと頼まれていなければ、リリアンヌは自分の意思でここへやって来たのだ。

 その責任を、誰かに背負わせるつもりはない。


 もしここで自分が死んでしまったら、彼はどう思うだろうか。

 責任を感じてしまうだろうか。


「…………ふふ」


 絶望的な状況にも関わらず、思わず笑ってしまう。


 何せこんなになってまで、未だに彼から興味を抱かれていると期待しているのだから。


 彼が自分の死なんかに、いちいち振り回されるはずがない。

 もう自分は、彼の意識の外にいるのだから。




「……雪が、見たかったなぁ」




 だからこそリリアンヌが最期に願ったのは、いつかエレンが真っ白で幻想的だと言っていた、そして「大好き」とまで言わしめたあの雪を一度は見てみたかったという儚い夢だった。






「————なら見ましょうよ、雪」






 そんなリリアンヌの最期の祈りに、答える声があった。

 それは決して聞こえるはずのない、しかし今のリリアンヌなら絶対に聞き間違えるはずのない声だった。


「……なんで、ここに」


 リリアンヌの胸に熱いものがこみあげてくる。

 それが何なのか、きっと一言では言い表せないだろう。

 それでもその声を聞いた時、これまで必死に堪えていた涙が溢れてくるのを止めるものはなくなってしまった。






「————帰りますよ、僕たちの家に」






 そう言って手を差し伸べてきたのは、いつもの儚げな無表情の中に確かな優しさを含む彼――――エレン=ウィズ、その人だった。

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