021 平民と貴族
「エレン君、休日なのに呼び出したりして申し訳ないね」
「いえ、全然大丈夫ですよ」
休日を家で過ごしていたエレンは珍しいジョセからの呼び出しに、書斎にやって来た。
エレンが部屋に入って来るのを見たジョセは、書類から顔をあげる。
「エレン君に来てもらったのは他でもない。リリアンヌのことだ」
「……リリアンヌさん、ですか?」
てっきり、リリアンヌに同行してアニビアを見て回った感想でも聞かれるものとばかり思っていたエレンは僅かに眉を顰める。
「どうにもリリアンヌの調子が良くないみたいでな」
「……あぁ、そういえば朝食の時もいませんでしたね」
思い出したように呟くエレンに、ジョセは息を吐く。
エレンの反応を見るに、やはりリリアンヌの様子を見に行ったりはしていないらしい。
少なくとも以前までのエレンであれば、リリアンヌの不調の時には心配していたはずだ。
それが今ではまるでリリアンヌに興味がないように思える。
それも全て、リリアンヌたちが巡礼から帰ってきてからだ。
「単刀直入に聞くが、リリアンヌと何かあったのかね?」
「……いえ、特には何も」
エレンはそう言うが、即答ではないということは何か思うところがあるのだろう。
それが直接的であろうとなかろうと、エレンはそういう人間だとジョセはここ数週間で感じていた。
とはいえ、それを指摘してエレンが素直に話すとも、自ら何かを話してくれるとも思えない。
「ただ――」
しかし、そんなジョセの予想を裏切るようにエレンが口を開く。
「リリアンヌさんなら、聖女様ならミルタ街を救ってくれるんじゃないかと思っていたのも確かです」
相変わらずの淡々とした口調で静かに告げるエレンに、ジョセは面食らう。
だがこれで今回の件も納得できた。
つまりエレンはリリアンヌのことを期待外れだと思っているということなのだろう。
しかし、その評価は間違っていると言わざるを得ない。
「エレン君」
ジョセは強い口調でその名を呼ぶ。
初めて向けられたジョセの強い言葉にエレンは一瞬びくっとしながらも、その言葉に含まれているのが怒りではないことをすぐに察する。
「今回の件、悪いのはリリアンヌじゃない」
言うなれば、その言葉に含まれるのは謝罪の意だ。
「リリアンヌの判断は、リュドミラ家の者としての自覚に縛られたものだったのだろう。それならば今回のことで責められるべきなのはリュドミラ家当主の私だ」
すまなかった、と頭を下げるジョセに、エレンが初めて動揺を見せる。
大貴族の当主が平民に頭を下げるなどあってはならないことだ。
しかしジョセはそれ以上に、自分のせいでリリアンヌとエレンの関係が悪くなることの方が耐えがたかった。
「意地の悪い言い方になってしまうが、リリアンヌには貴族として守らなければいけないものが、君が考えている以上にあるんだ。どうか分かってほしい」
それは嘘偽りない心からの言葉だ。
もしリリアンヌがリュドミラ家の一員でなければ。
もしリリアンヌが聖女でなければ。
もしかしたらリリアンヌはミルタ街のために、行動を起こしていたかもしれない。
「……ぼ、僕は」
エレンの言葉が途切れる。
その瞳には僅かに意思の揺らぎが見える。
ジョセの言う通り、エレンはこれまで自分の物差しでしか物事を判断していなかった。
しかし平民である自分と、大貴族であるリリアンヌとでは判断の基準が違うのは当然だ。
それなのに勝手な期待を押し付けるだけ押し付けて、その期待に応えてくれなかったという理由で失望していた。
「……僕は」
エレンは呆然とするように呟く。
しかしジョセはそんなエレンに首を横に振る。
「私は別にエレン君を責めているわけではない。突然、違う世界に連れてこられたんだ。すぐにこちらの世界を理解しろなど無理な話だ」
もしこれが逆に、貴族が平民として暮らすようになっても一カ月足らずで平民の考え方を理解することなど不可能だろう。
郷に入れば郷に従え、という言葉もあるが、それは存外難しいものなのだ。
「ただもしエレン君が貴族としての考え方を優先したリリアンヌに何か思うところがあるのだとすれば、どうか許してやってはくれないだろうか」
ジョセは頭を下げたままエレンに頼む。
エレンは相変わらず、呆然としたように佇むだけだ。
「……リリアンヌさんの行動が何も間違っていないことは、きっと最初から分かっていたんです」
エレンの言葉に、ジョセがゆっくり顔をあげる。
「でも孤児院の子供たちや、ミルタ街の皆を見捨ててしまうのが嫌で、そんな自分を認めてしまうのが嫌で、リリアンヌさんの行動を無意識の内に否定していたんだと思います」
気付けばエレンはその拳を強く握りしめている。
そしてその拳は僅かだが震えている。
「……しょうがないって諦めるのが、嫌だったんです。でもそれはリリアンヌさんに八つ当たりしていい理由にはならなくて。そんなに諦めるのが嫌なら、自分で何かすれば良かったのに、僕がしたことといえば孤児院の子供たちの相手をしてあげるくらいで」
今回の一件は、仕方ないと諦めざるを得なかった。
その中でせめて少しでも早く調査隊を派遣できるように努めたリリアンヌの行動は、褒められこそすれ、責められるいわれはない。
「責められるべきは、僕だったんです」
勝手に期待して、勝手に失望した。
それがエレンの責められるべきいわれだ。
「……謝らないといけないですね」
長い沈黙の末、エレンは呟く。
リリアンヌが許してくれるかどうかは別として、自分の過ちを謝らなければエレンの気が済まない。
「できればまた皆で談笑したいものだね」
「善処します」
ジョセの言葉にエレンは苦笑いを浮かべる。
「————ジョセ様!」
そんな時、部屋の外から足音が響いてきたかと思うと、勢いよく扉が開かれる。
部屋に入って来たのは数いる使用人の内の一人だった。
「ど、どうしたんだ急に」
ただごとではない様子に、ジョセも立ち上がる。
使用人は乱れた息を何とか整えると、額に汗を滲ませながら告げた。
「リリアンヌお嬢様が、いなくなられました」




