020 決意
リリアンヌとエレンの間に会話がなくなってから数日、リリアンヌの調子はとても優れているとは言い難かった。
今日も学園が休みだというのに、部屋から一歩も出ていない。
「…………」
薄暗い部屋の中、リリアンヌはベッドの上で枕に顔を押し付ける。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
リリアンヌ自身、その原因は嫌というほどに分かっている。
今回の巡礼の結果、ミルタ街の治安の悪さなどについて領主が大きく関与しているだろうことが分かった。
しかし決定的な証拠がない以上、すぐに何かをすることも出来なかった。
その結果、リリアンヌは一刻も早くミルタ街の現状を国王に報告するためにミルタ街を後にしたのだが、エレンにはそれが許せなかったのかもしれない。
否、許せなかったというのは違うだろう。
きっとエレンはリリアンヌがミルタ街のことを解決してくれると期待していたのだ。
そして期待していたからこそ、失望した。
その結果がこれなのだろう。
エレンはリリアンヌのことを全く気にも留めなくなった。
きっと少し前までならリリアンヌが部屋に籠っていれば、エレンが心配して様子を見に来てくれたはずだ。
それが今では何もない、心配の声も、朝の挨拶さえも。
「……どうするのが正解だったんでしょうか」
今回の一件を客観的に見るのであれば、リリアンヌの行動は何も間違っていない。
それどころかテストの模範解答のような振る舞いだ。
あの状況で下手に動けば、リリアンヌ家の家名に泥を塗る可能性だって十分にあった。
少なくともリリアンヌはあの場で出来る最善の手を尽くしていた。
リリアンヌは自信をもってそう言える。
「…………」
だがエレンのあの何の興味もないような視線を向けるだけで、その自信が揺らいでしまう。
あの時の行動は本当に最善だったのか、と。
しかし、やはりいくら考えてもあの時の行動は最善だったと言わざるを得ない。
たとえそれがリリアンヌの求める答えでなくとも。
もし何かリリアンヌの行動に間違いがあったのならば、それを出来る限り修正すればいい。
だが既に完全なものに対して、一体どう手を施せというのか。
「…………」
考えても考えても、リリアンヌには何も浮かばなかった。
それどころか考えれば考えるだけ、あの時の行動の正当性が明らかになって余計にどうすればいいか分からなくなる。
そもそもリリアンヌにはエレンの興味など、どうということはない。
自分の行動に間違いはなかったと、リリアンヌは胸を張ればいいのだ。
しかし事実とは裏腹に、リリアンヌの気持ちは沈んでいく。
それには間違いなくエレンが関わっていて、でもどうしてかは説明できない。
そんなもどかしさがリリアンヌの気持ちを徐々に蝕んでいた。
「…………何か、私にできることがあれば」
とはいえ、現段階でリリアンヌに出来ることといえばかなり限られてくる。
ミルタ街での現状は既に国王に報告した。
それだけでなく可能な限り、迅速な対応をとるようにとも無礼ながら進言した。
しかし王都からの調査隊の編成は思った以上に時間がかかっている。
というのも以前リリアンヌたちが森で遭遇したというワイバーンの報告を受けて、そちらの調査も行っているせいで、ミルタ街の方の調査が遅れているらしいのだ。
その件に関しても、冒険者たちの安全がかかっているため手を抜くなど許されない。
結局、リリアンヌに残された選択肢は待つことだけだった。
「……エレンさん」
自分の頭の中を支配する家族の名前を呟く。
もし、ずっとこのままだったら。
そう考えた時、リリアンヌは胸が張り裂けるような痛みを覚えた。
どうしたら元の関係に戻ることが出来るのだろう。
リリアンヌは暗闇の中で考え続ける。
————ミルタ街での一件が解決したら。
否、それではきっと変わらない。
ずっとリリアンヌに興味がなくなったような、あの視線を向けてくるだけだ。
「……自分で、何とかするしか」
誰かに頼っているだけではだめだ。
それではきっと、何も変わらない。
もしかしたら既に手遅れなのかもしれない。
何かをしたところで、エレンのリリアンヌに対する感情は何も変わらないのかもしれない。
それでも決意せずにはいられなかった。
そしてリリアンヌはその日初めて、ベッドから身体を起こした。
◇ ◇
「父上、”聖女”が巡礼から戻ったようですが」
ラクスは目の前で書類の山の処理に追われる国王に話しかけていた。
「うむ。やはりミルタ街での一件は新しい領主によるところが大きいらしい」
ラクスの言葉に国王は頷きながらも、その手を止めない。
「ではすぐに調査隊を派遣なさるのですか?」
「……実はそうもいかんのだ」
ラクスの言うことは尤もだ。
しかし国王は難しそうな表情を浮かべて、首を横に振る。
「実は王都の近くにワイバーンが出現したようでな」
「ワイバーン!?」
国王の言葉に、ラクスは驚愕を隠せない。
ワイバーンが危険な魔物であることは一般的にもよく知られている。
そんなワイバーンが近隣の森に出たとなれば、王都にも被害が出るかもしれない。
「す、すぐに討伐隊を編成する必要があるのでは!?」
「いや、その必要はない」
ラクスの心配を他所に、国王は首を振る。
「ワイバーンは既に討伐されている」
「なっ、一体誰に!?」
「……優秀な冒険者がいたらしい」
「……?」
何故だかそこだけ妙に抽象的な国王の言葉に、ラクスは首を傾げる。
ワイバーンを討伐したとあれば、その功績は計り知れない。
いくら冒険者といえど、その名声はラクスの耳に届いてもおかしくはないだろう。
だが実際はラクスはその功績者の名前はおろか、ワイバーンが現れたことも、そのワイバーンが倒されたことも知らなかった。
「倒されたとはいえ、その周辺にはまだ危険が隠れているかもしれん。そのための調査隊を準備しているせいで、ミルタ街の方は少々準備に遅れているのだ」
話は終わりだ、とばかりに再び書類に集中しだす国王。
しかしラクスはあまりにも不可解なことが多すぎる今の話に、目を細めていた。
ラクスが今回、国王の下にまでやって来たのは、エレンとリリアンヌの関係に亀裂が入っているということを伝えることだった。
そのことで国王が動揺すれば、エレンがアニビア国にとっても重要な存在であるという証になるだろうと画策していたのだ。
しかし今はそれ以上に、ワイバーンの件の方が引っかかっていた。
ラクスには何故かそれがエレンと関係があるような気がしてならなかった。
だがここで直接「ワイバーンを倒したのはエレンですか」と聞いたところで、正直に答える国王ではない。
であればラクスがエレンのことを気にしていることを気付かれるわけにはいかない。
リリアンヌには申し訳ないが、今はそのことは置いておこう。
ラクスはそう判断すると、軽く息を吐き「父上」と声をかける。
書類に追われる国王は、ラクスの瞳の奥に見え隠れする本当の狙いに気付かない。
そしてラクスは確信の一歩を踏み出す言葉を口にした。
「ワイバーンはどこに現れたんですか?」
「やはりワイバーンが現れたのはあの森だったか」
国王の書斎から出たラクスは廊下を歩きながら、独り言のように呟く。
ラクスの予想通り、ワイバーンが現れたというのは以前エレンたちと一緒に依頼を受けた森だった。
あの日、ラクスとククルは依頼には参加できなかった。
しかしエレンとリリアンヌは違う。
既に依頼を受けた後だったこともあり、二人で依頼を遂行したと聞いた。
だがあの時受けた依頼は、森の調査。
少しだけ森に入って魔物を討伐すれば終わりの依頼ではなく、森の中を隈なく歩き回る必要がある。
そんな二人が最近現れたというワイバーンに遭遇する可能性は決して低くはない。
そして示し合わせたように討伐されたワイバーン。
「……ワイバーンを討伐するなんて、リリアンヌには無理だ」
光属性を上級魔法まで極めるリリアンヌの実力は確かに相当なものだ。
しかしそれでもワイバーンを倒すには至らない。
それは属性の中でも屈指の攻撃力を誇る火属性の上級魔法を使えるラクスがワイバーンを倒すことができないという事実が証明してくれる。
「……エレン、か」
もし本当に二人でワイバーンを倒したとなれば、恐らくリリアンヌは防御役に徹するはず。
となればエレンは攻撃役ということになる。
エレンは中級魔法までしか使えないと言っていたが、あれは恐らく嘘だ。
「もしかして、基本属性四つの上級魔法が完璧に使える……とかか?」
それならば、リリアンヌと共にワイバーンを討伐することも可能だろう。
だがラクスの考えはあまりにも馬鹿馬鹿しい。
アニビア国が抱える宮廷魔導士の中でも、複数属性の上級魔法を使える者は少ない。
しかしエレンがそんな実力者であると考えれば、留学の際に公爵家の世話になるという非現実な話も頷ける。
「まあ何にせよ、あの二人に仲直りして貰わないとエレンにも近寄りがたい、か……」
ラクスは最近の二人の様子を思い浮かべて、大きなため息を零した。




