002 街の案内 上
「初めまして、リリアンヌ=リュドミラと申します。自己紹介が遅くなってしまい申し訳ありません」
「エレン=ウィズです。これからお世話になります」
夕食の際、まだ顔合わせを済ませていなかった二人が軽く自己紹介をする。
もっと何か自己紹介することはないのかとリュドミラ夫妻が娘のリリアンヌに視線を向けるが、本人は全く気にする素振りはない。
「じ、じゃあそろそろいただこうか」
「そ、そうね」
ジョセたちが料理に手を付け始めたのを見て、リリアンヌも手を動かし始める。
「…………」
その中でエレンだけが手を動かさず、じっとリリアンヌのことを見つめていた。
というよりも視線を奪われていた、という方が正しいだろうか。
どこか現実離れした白髪。
それが腰のあたりまで伸びているにも関わらず、完璧に流れている。
加えてその容姿も当然のように整っている。
——綺麗だ。
「……っ」
そのタイミングで偶然にも、リリアンヌと視線が重なる。
内心相当な焦りを抱きながらも、何とか平静を装うエレン。
そんなエレンに、慣れない貴族の雰囲気に緊張しているとでも思ったのか、リリアンヌは笑みを浮かべる。
エレンは邪な感情を抱いているなどと思われないように、出来るだけ自然に笑みを返す。
「……っ」
「……?」
しかしどういうわけかすぐにその視線を逸らされてしまう。
もしかしたら何か嫌な思いをさせてしまったのだろうかとエレンは若干気を落としながら、ようやく料理に手を付け始めた。
◇ ◇
「今日は生活に必要なものを買いに行きましょうか」
「? 別に何か特段必要なものはないような気がするんですが」
「まあ確かにそうかもしれませんが、一応、街の案内も兼ねてますから」
「あ、そういうことだったらぜひお願いします」
エレンが公爵家にやってきた翌朝、朝食を食べている途中でリリアンヌが今日の予定について言ってくる。
留学してきたばかりのエレンにとってその提案は正直ありがたい。
すると今度はジョセが思い出したように会話に入って来る。
「それならエレン君に服を何着か買ってきてくれないか?」
「えっ、そんな悪いですよ。それに何着かは向こうから持ってきてますし……」
しかしジョセは首を振る。
「服とはいっても主に正装の方だよ。エレン君は仮にも留学生としてアニビア国に来ているわけだから、そのうち何かしらの式典やパーティーに参加する必要が出てくるかもしれない」
「そ、それはそうかもしれませんが……。でも正装なら別に制服でも構わないのでは?」
「念の為だよ。それに貴族というのは見栄を張ってなんぼだからね」
「そういうものですか」
「あぁ。だから今日の内に何着か買ってくるといい」
恐らくジョセの言う貴族というのは、公爵家というのも大きく関係しているのだろう。
確かに数多くの貴族の中でも公爵家といえば、とりわけそういうことに関しては気を遣うのかもしれない。
それに公爵家現当主がそう言うのであれば、それに従わないわけにはいかないだろう。
「それじゃあ準備ができ次第、リビングに集合ということで」
朝食を食べ終えたらしいリリアンヌが上品に口を拭きながら呟いた。
「ここからが商店街で、色々なお店が並んでいます。生活に必要なものであれば、ここあたりで大体揃うはずです」
リリアンヌの言葉にエレンが頷く。
ヘカリム国にも大きな商店街があったが、それと同じくらいの規模がある。
暇な時はここで時間を潰すのもいいかもしれないとエレンは辺りを見渡す。
「とりあえず初めに服を仕立ててもらいましょうか。どうせ受け取りにも時間がかかるでしょうから」
「分かりました」
リリアンヌに連れられてやって来たのは商店街の中でも大きい方の店だった。
中に入れば、当然だが服がたくさんあり、私服から正装までその種類は豊富だ。
ただそのどれもが明らかに良さそうな生地を使われている。
恐らく貴族御用達の服屋なのだろう。
「…………」
エレンは慣れない空気に憂鬱感を抱かずにはいられない。
「エレンさん。こちらに」
「あっ、はい」
リリアンヌの下へ向かうと、そこでは既に店員が測定のための道具を持って待ち構えている。
この状況で「やっぱり正装は必要ないです」などと言える雰囲気ではない。
そんなことをすればリリアンヌからの心象が悪くなるだけでなく、貴族としてのリリアンヌに恥をかかせてしまう。
「じゃあ測っていきますねー」
「……お願いします」
エレンには店員の言葉に大人しく従う選択肢しか残されていなかった。
「それじゃあ出来上がったものはリュドミラ邸にお届けしますので」
「はい。それでお願いします」
慣れない空気に疲労を隠せないエレンだったが、長かった測定もようやく終わる。
ただ商品が出来上がるまでには時間がかかるらしく、結局、リュドミラ邸に届けてもらうということになった。
因みに代金に関しては、エレンが測定をしている際に、リリアンヌが既に支払いを済ませてしまっていたらしい。
「二着も必要だったんでしょうか……? 一着でも相当な値段ですよね、あれ」
「気にしないでください。今日からエレンさんはリュドミラ家の一員といっても過言ではないんですから。それに念には念をおしておいて損はないでしょう?」
「そういうものですか」
「そういうものです」
間髪入れずに答えるリリアンヌに、エレンは諦めてため息を吐く。
貴族の一人娘がそういうのだから、きっとそうなのだろう。
「ん、あの大きな建物は何ですか?」
店を出た二人が再び商店街を歩いていると、ふとエレンの視線に一つの建物が目に入る。
商店街にある数多くの建物の中でもとりわけ大きなその建物は、他の店とは違い、看板も無ければ、どんなお店なのかも分からない。
ただ正面に大きな扉が一つあるだけだ。
「あれは”冒険者ギルド”ですね」
するとリリアンヌは一枚のカードを取り出す。
「あそこで冒険者に登録すれば、ギルドで依頼を受けられるようになります。依頼をこなせば報酬が貰えるので、学生の皆も活用している人は多いですね。因みにこれがギルドカードというもので、冒険者に登録した際に貰えます」
「Cランク、ですか?」
エレンはまじまじとリリアンヌのギルドカードを見る。
「ああ。冒険者にはランクというものがあって、基本的にはA~Gランクまでに区分されます。冒険者の実力を端的に表したもの、とでも思っていただければいいと思います」
そこまで説明して、リリアンヌはふと思い出したように言う。
「ヘカリム国にも冒険者ギルドはありますよね? 行ったこととかは無いんですか?」
「ギルドには行ったことありますよ。ただこっちの冒険者ギルドと仕組みが同じなのか気になって」
「あ、そういうことだったんですね。確か仕組み自体は同じだったと思いますが、国ごとにギルドの運営も違いますから、こちらでもう一度、冒険者として登録しないといけなかったはずです」
リリアンヌの言葉に「なるほど」と頷く。
ただリリアンヌの『Cランク』というのがどのレベルなのか、エレンには分からない。
いくら仕組みが同じとはいえ、それではまた勘違いされてしまう。
それにリリアンヌの言葉が本当なのであれば、どちらにせよGランクから始めなければいけない。
それならわざわざSランクのギルドカードなど見せる必要も無いだろう。
だがリリアンヌの言葉を借りるのであれば、念には念をおしておいて損はない。
——登録するのは、一人の時にしよう。
エレンは冒険者ギルドを見上げながら、そう決めた。