018 ファイア
「…………」
結局、昨日のあれは何だったのだろうか。
あれからずっと考えているが、特に何か分かったわけではない。
とはいえエレンに直接聞くのも憚られる。
リリアンヌは馬車に揺られながら、窓の外を眺めるエレンの横顔をぼうっと見つめる。
まるで他の色を寄せ付けない黒に支配された髪色は、見れば見るほど視線が吸い寄せられるように外すことが出来ない。
「——ヌさん、リリアンヌさん!」
「は、はいっ、何ですか?」
気が付けば、エレンから声をかけられていたらしい。
エレンを見ていたことがバレてしまったと、リリアンヌは顔を赤く染める。
反応が遅れたことを心配したエレンがリリアンヌの顔を覗き込むが、リリアンヌは慌てて顔を背ける。
「確か今日行く予定のところが、巡礼の場所なんでしたよね?」
「そ、そうです。治安が悪くなっているようなので気を付けてください」
「分かりました。リリアンヌさんの傍から離れないようにします」
エレンの言葉に慌てて頷く。
そう、今は巡礼の真っ最中なのだ。
関係のないことばかりに気を取られていても仕方がない。
そもそもエレンのおかしさは今に始まったことではない。
それに少なくとも学園を卒業するまでの二年間以上はエレンと一緒に生活するのだ。
エレンのことはその間にもっと知ればいいだけのことだ。
リリアンヌは気を引き締めるために、頬を二度叩いた。
◇ ◇
馬車から降りた二人は今、ミルタ街にある大通りへとやって来ていた。
「これは、何というか……」
「ええ、予想以上に酷いですね」
エレンの言葉に、リリアンヌが同意する。
二人の視線の先に広がるのは、まさに荒廃したというべき光景だった。
もちろんそのままの意味ではない。
しかし大通りというのに人の数は少なく、店も閉じられているところを見ると、そう感じずにはいられなかった。
偶に見かける通行人も、いかにもガラの悪そうな冒険者風の男たちばかりだ。
「……まずは孤児院へ向かいましょう」
リリアンヌが顔を曇らせながら言うと、エレンは静かに頷いた。
「せ、聖女様、よくぞおいでくださいました」
「頭を上げてください、シスター」
孤児院へやって来てすぐに応接間に案内された二人を待っていたのは、一人の壮年の女性だった。
「し、しかし……」
「子供たちも見ていますから」
なかなか顔をあげようとしないシスターにリリアンヌが部屋の扉の部分を密かに示す。
そこには僅かに扉を開けて、中の様子を盗み見ようと試みる孤児院の子供たちの姿があった。
「す、すみません」
「構いませんよ」
慌てて謝るシスターに、リリアンヌは笑みを浮かべる。
「エレンさん、どうせ今からのことは聞いていてもつまらないですし、子供たちの相手をしていてくれませんか?」
「ん、分かりました。話が終わったら声をかけてください」
突然話題を振られて驚くエレンだが、リリアンヌの言葉に従わない意味はない。
「なっ……」
大人しく部屋の外へ出たエレンを待っていたのは、数人の子供たち。
まさか部屋から誰かが出てくるとは思っていなかったのか、エレンの姿に各々驚きや焦りの表情を見せている。
どうやら少なからずイケないことをしている自覚はあったらしい。
「皆はこっちで一緒に遊ぼうか」
「…………」
とはいえさすがにこのままという訳にはいかないので、エレンはその場を離れさせようとするが、子供たちは互いに顔を見合わせるだけで動こうとはしない。
やはり中の様子がどうしても気になってしまうらしい。
これはどうしたものかと頬を掻くエレンだったが、そういえばと持ってきていた鞄の中を漁る。
「……実はお菓子があるんだけど、孤児院のことを教えてくれた子には少しだけお礼しちゃおうかな」
「っ! お、お菓子……!」
やはり子供と言うべきか、お菓子の誘惑には抗えなかったらしい。
お互いに牽制しあいつつ、我先にお菓子を貰おうとしてくる子供たちにエレンは苦笑いを浮かべながら、皆と共にその場を離れた。
「じゃあここにいる皆はさっきのシスターと一緒に暮らしてるんだ」
「うん。美味しいご飯とか作ったり、文字とか教えたりしてくれるの!」
エレンは子供たちと話しながら、孤児院についてのことを聞いていた。
もちろん色んなことを教えてくれた子にはお菓子でお礼をしている。
「で、でも最近は『りょーしゅ様』って人からの『きふきん』とかが少なくなったってシスターが話してるの聞いたよ!」
「そのせいでご飯とかも少なくなったりして、皆お腹減ってるの」
「……ふーん」
子供たちの話に、エレンは目を細める。
どうにも今回の巡礼や、ミルタ街の治安の悪さに関係しているような気がしてならない。
恐らくリリアンヌもそれを見越して、初めに孤児院へやって来たのだろう。
「はい、残り全部あげるから皆で分けて食べるんだよ? ……ん?」
とりあえず子供たちから聞けることは大体聞けた。
話が終わったら声をかけてとは言ったものの、恐らくあちらもそろそろ話が終わるころだろう。
エレンは立ち上がり、先ほどの部屋に戻ろうとして服の裾が引っ張られていることに気が付いた。
振り返るとそこには年端も行かない一人の少女がエレンを見上げてきている。
他の子供たちとは違い、お菓子には目もくれていない。
一体どうしたのだろうとエレンが首を傾げていると、その少女はおずおずといった風に呟く。
「お兄ちゃんは、魔法が使えるの……?」
「うーん、まあ少しなら。でもどうして?」
「わたし、大きくなったら魔法使いになりたいの」
「魔法使いを目指してるんだ。じゃあ魔法使いになって何がしたいの?」
「すごい魔法使いになって、いっぱいお金を稼いで、孤児院のみんなと幸せに暮らしたい」
「……へぇ」
エレンは感心の息を零す。
こんなにも小さな子供が、そんなことを考えているとは思ってもいなかった。
だが恐らく孤児院では、魔法を教えてもらう機会など皆無なのだろう。
だからこそエレンに魔法使いかどうか尋ねてきたのだ。
あわよくば魔法を教えてもらおう、と。
「魔法はね、自分の中にある魔力を意識するのが重要なんだ」
エレンの言葉に頷く少女。
とはいえそれをすぐに実践するのは難しいだろう。
だからエレンは一瞬でも少女が魔力というものを感じられるように、少女の手を握り、自らの魔力をその身に宿らせる。
「……あったかい」
エレンの魔力に、少女がうっとりしたように呟く。
だがせっかくの機会を無駄にしまいと思ったのか、すぐに真剣な表情に戻る。
「じゃあその魔力を使って、火を起こすイメージを思い浮かべるんだ――――ファイア」
そう言って、エレンが自分の指の先に小さな火の玉を生み出す。
見よう見まねで少女も実践する。
「……ファイア」
すると先ほどのエレンの魔力が反応し、少女の指先に小さな火の玉が生まれる。
「ま、魔法だ……」
少女が感動したのも束の間、その火の玉はすぐに消えてしまう。
エレンが少女に宿らせた魔力が尽きたのだ。
残念そうな表情を浮かべる少女に、エレンは笑いかける。
「今の感覚を忘れないうちに練習すれば、きっと魔法を使えるようになるよ」
「ほ、ほんと?」
「うん、絶対」
少女の心配に、エレンは頷く。
すると少女は暗い表情から一変して明るい笑顔を見せる。
どうやらエレンの言ったことを信じたらしい。
すぐにでも「ファイア!」と練習しだしそうな勢いだ。
「頑張ってすごい魔法使いになるね!」
「それは楽しみにしとかなきゃ」
嬉しそうに笑う少女の頭を撫でながら、エレンは「そういえば」と少女の耳に顔を寄せる。
「今日のことは皆には秘密だよ?」
少女は一瞬、よく分からないような表情を浮かべたが、特に気にしなくてもいいだろうと思ったのか「うん!」と力強く頷いた。