012 前日談
「まず、どこから話そうか……」
そう言いながら、ジョセは三週間前に王城へ呼ばれた時のことを思い出していた。
◇ ◇
「……留学生、ですか? それも平民の?」
その日、国王から緊急の招集がかかり王城へやって来たリュドミラ家当主のジョセは、国王の話を聞いて訝し気に呟いた。
重大案件と聞いていただけに、思わずその内容に拍子抜けせずにはいられない。
更に聞けば、その留学生は平民だと言う。
ジョセ自身、平民に対して差別意識などはなく、むしろ平民たちからは良識ある善き貴族として尊敬されていた。
だが仮にもリュドミラ家は公爵家の位を持っている。
他国の王族や公爵ならいざ知れず、貴族ですらない平民がいきなり公爵家で世話になるなど聞いたこともない。
それも留学期間の約二年間半もの間を、だ。
「いや、本当は王城に住まわせる予定だったのだ。だがさすがに宰相たちから反対されての」
「は、はあっ!?」
ジョセは目の前にいるのが国王であることも忘れて、声をあげてしまった。
「どうしたらただの平民の留学生が王城に住むなどということになるのですか。反対されて当たり前です! むしろ候補として上がる時点でだめでしょう!?」
尤もな意見を述べるジョセに国王も頷く。
しかし国王にも国王の事情があった。
「これは宰相にも言っていないことなんだが――」
国王はジョセを手招きすると、その耳元で小さく呟く。
「どうにもその留学生は、最上級魔法を使えるらしい」
「な――っ!?」
思わず叫びそうになるのを何とか堪える。
しかしジョセはそれで全てが納得できた。
最上級魔法――世界でも数えられる程度しかそれを使える魔法使いはいない。
それを若くして会得した者が留学生としてやって来るのであれば、その宿泊先に公爵家が選ばれても何の疑問もない。
むしろ国王の言う通り、王城に住まわせるのが妥当ではないかとさえ思える。
「でもよくそんな優秀な人材の留学を許可しましたね」
最上級魔法を使える魔法使いなど、普通なら何としてでも国に置いておきたいと思うはずだ。
そう易々と他国への留学が許可されるのは異例のことだろう。
「……ヘカリム国、ですか」
だとすれば考えられるのは、国の方針としてそもそも魔法使いを必要としないような国だ。
ジョセの予想に、国王も頷く。
ヘカリム国。
精霊使いの教育を主とするその国では、何より精霊を使役する力が問われる。
そして精霊使いとは相反するような魔法使いが一番暮らし辛い国だと言われている。
「ただいくらヘカリム国とて最上級魔法を使える魔法使いを手放すのは惜しいらしく、基本的には何でもありのウチを留学先に選んだらしい。まあ本人の希望も含まれているらしいがな」
「あぁ、確かに魔法至上主義のような国では、そのような魔法使いは何としてでも我が物にしようとするでしょう。でも本人の希望というのは意外ですね。それだけの魔法が使えるのなら、それこそ魔法至上主義の国へ行きたがっても不思議ではないですが」
「何でも本人曰く、色々なことを学べる国が良いということらしい。最上級魔法が使えるのに、その上他にもというのは殊勝なのか、それとも単に貪欲なのか」
「どちらにせよ我が国にとってはそのような将来有望な魔法使いと繋がりが出来るのはありがたい話です」
アニビア国の繁栄は、二人にとっても喜ぶべきことだ。
もちろんその留学生を利用したりするようなことはないが、それでも優秀な魔法使いと伝手を作ることが出来るのは大きい。
「ただ留学生が最上級魔法が使えるということは、出来るだけ内密に頼む」
「はっ。分かりました」
大きすぎる力は得てして厄介ごとを生み出す。
恐らく国王はそれを危惧しているのだろう。
であればジョセはその国王の意向に従うまでだ。
「ですが妻に隠し事は通じないので、その点だけはご了承していただけると……」
「何とも情けないことだ……」
公爵家当主の情けない言葉に思わず嘆く国王だが、ジョセの妻とは面識もあり二人の関係性も十分に理解していたので、それ以上は何も言わなかった。
「くそ……っ」
「こ、国王様? 一体どうなされたんですか?」
件の留学生がアニビア国へやってくる当日、国王から引っ張られるように私室へ連れてこられたジョセは、らしくない動揺ぶりを見せる国王に恐る恐る尋ねる。
「ヘカリムの王、ここに来てとんでもない爆弾を落としていきおった」
「爆弾ですか?」
「あぁ。今回の留学生、初めは『最上級魔法が使える魔法使い』としか聞いていなかった。だが今朝早くになって突然、追加の情報を伝えてきたのだ」
憎らし気に呟く国王を見て、その追加の情報とやらが良くないものだったのであることをジョセは察する。
それも国王の様子から察するに、相当なものなのだろう。
だがこれから公爵家で身柄を預かる以上、ジョセが知らないというわけにはいかない。
覚悟を決めて、その内容を聞く。
「どうやらその留学生、自身が最上級魔法を使えることを分かっていないらしい」
「…………は?」
しかし国王の答えはジョセの覚悟を軽く凌駕するものだった。
思わず口を開けたまま呆けたように固まるジョセ。
恐らく国王も初めにこのことを聞いた時、同じような反応をしたことだろう。
それくらい国王が口にしたことはあり得ないことなのである。
「それどころか自分では上級魔法すら使えないと思い込んでいるらしい」
「な、なぜそのようなことに……」
「更に質の悪いことに、思い込みが激しい性格なのか、周りからの言葉を信じようともしないらしい」
「は、はぁ……?」
「因みにヘカリム国内でのギルドランクはS、それだけでなくSランク相当の魔物を単独で討伐したとの報告が何件もある」
「なっ……!?」
その言葉に驚かずにはいられない。
本来、ランク指定された魔物というのは、同ランクの冒険者が複数人で討伐することを基準にしている。
つまり最高ランクであるSランクの魔物を単独で討伐するということは、その留学生がSランクの一個上の位置にいるということと同じようなことなのだ。
もちろんSランクになるような冒険者が、他の冒険者たちと一括りに出来ないような実力者であるということはジョセも理解している。
だがそれでもSランク指定されているということは、魔物の方も同じように常識の範疇から外れた存在にいるということなのだ。
それを単独で討伐するなど、もはや次元が違う。
「これだけの状況が揃っているにも関わらず、本人は至って真面目に『低ランクの魔物を倒したら勘違いされている』と愚痴を零しているらしい」
「あ、あり得ませんね……」
ジョセは思わず頭を抱える。
最上級魔法が使えたり、Sランク指定の魔物を単独撃破したり。
正直それだけでもとんでもない爆弾に違いないのに、その上それではもはや手の施しようがない。
「ヘカリムの王もそんな留学生は断られると思ったのか、直前まで黙っておったわけだ」
「学園の編入手続きも済ませている以上、今更留学取り消しなどすれば他国への印象も悪くなりますね……」
多方面の人材育成を目的としているアニビア国は、それぞれの分野で優秀な人材を輩出する諸外国との関係は悪化させるわけにはいかない。
だとすればアニビア国に残された選択肢はただ一つ。
問題の留学生を黙って引き受けるしかなかった。
「……全くとんだ爆弾を落としていってくれたものだ」
とはいえもうすぐ件の留学生も城に到着するだろう。
どうにも出来ないことを嘆いていても仕方がない。
「くれぐれも留学生には気を付けてくれ」
「……はい」
国王は国王として、命じることしか出来ない。
そして公爵家の当主は公爵家の当主として、国王の言葉に頷くことしか出来なかった。
◇ ◇