011 家族
「リリアンヌ、どうしたこんな時間に」
皆が寝静まったような時間帯、公務の残りを済ませようと起きて作業していたジョセの部屋へ、リリアンヌが静かにやって来た。
「お父様、エレンさんのことでお聞きしたいことがあります」
「……エレン君について?」
「お父様は、エレンさんのことについて何か知っているんじゃないんですか?」
「……さあ、どうだろうな」
リリアンヌの質問に対して、首を傾げる。
しかしその答えの前に、僅かな間があったのをリリアンヌは見逃さなかった。
やはりお父様は何か知っている。
そう確信したリリアンヌは更なる追い打ちをかける。
「今日、ギルドの依頼で森の調査をしていたんですが、ワイバーンと遭遇しました」
「何っ!?」
ガタッと大きな音を共に勢いよく立ち上がるジョセの顔は驚愕に包まれている。
その反応で、どれだけワイバーンが危険な存在であるということが分かるだろう。
「す、すぐに討伐隊を編成しないと……」
慌てた様子でどこかへ駆け出そうとするジョセを、今度はリリアンヌが慌てて止める。
「大丈夫です。その時、エレンさんも一緒だったので」
「そ、そうか。それなら良かった……あ」
ジョセがしまったと思った時は、既に遅かった。
リリアンヌはその答えを聞きたかったとばかりの満足げな表情を浮かべている。
「どうしてエレンさんが一緒だとそんなに安心できるんですか?」
「そ、それは……」
「やっぱりエレンさんについて何か知っているんですね?」
「うっ……」
そもそもの温和な性格が裏目に出たのか、リリアンヌの追い打ちを躱しきれない。
もはやエレンのことについて否定することも出来ず、ジョセはただ唸ることしか出来なかった。
だがジョセは仮にも公爵家現当主。
恐らく何か情報規制がかけられているのだろうエレンに関する情報を簡単に話すわけにはいかないと思っているのかもしれない。
それがたとえ溺愛する娘であっても、だ。
「お父様、私はエレンさんのことを新しい家族だと思っています」
しかしリリアンヌはそんなジョセを逃がしはしない。
強い視線を以て、ジョセを追い詰めていく。
それは単に、エレンのことを思うが故の行動だ。
「そして私は今日、そんなエレンさんに命を救われました」
ワイバーンと遭遇した時のことは今でもよく覚えている。
だがそれ以上に、エレンが見せたあのお伽噺のような光景の方が忘れられない。
あの時はもう本当にだめだと思った。
そしてせめてエレンだけでも逃がそうと必死だった。
リリアンヌに出来ることと言えば、それくらいだと思ったのだ。
そんなリリアンヌの決死の思いを一瞬で無に帰すような、エレンの実力。
ワイバーンを跡形もなく塵と化してしまうような、エレンの魔法。
「でも、エレンさんは絶対的に何かがおかしいです」
それが全てが終わった後の、リリアンヌのエレンに対する評価だ。
「エレンさんは間違いなく一撃を以てしてワイバーンを跡形もなく消し去りました。火属性魔法の詠唱をしているようでしたが、あの威力は間違いなく最上級魔法のそれでした」
火属性の上級魔法ならラクスがある程度まで使いこなせているはずだ。
ではラクスに「あなたはワイバーンを一撃で跡形もなく消し去ることが出来ますか?」と聞いてみればいい。
きっと返って来る答えは「何の冗談だ?」だ。
つまり上級魔法を超える魔法をエレンは使ったということになる。
そしてそんな魔法があるとすれば、それは最上級魔法以外に考えられない。
「ただ事前にエレンさんから『精々、中級魔法が限界』と聞いていた私は、エレンさんに嘘を吐かれたのだと思い、詰め寄ったんです」
何が中級魔法が限界だ、と。
やはり実力を隠していたではないか、と。
「でもエレンさんは言いました。自分が今倒したのは――『リザード』だと」
そんなはずがない。
もし仮にエレンの言う通り、あの時現れたのがリザードだったとしたら、リリアンヌが牽制で放った光属性の中級魔法でとうに倒し終えている。
そして全力で作った魔法防御をいとも容易く突破するなどあり得ない。
「そして、自分が使ったのは火属性の初級魔法だと」
その言葉を聞かされた時、リリアンヌは軽く眩暈がした。
ワイバーンを一撃で屠るような魔法が初級魔法だとするならば、この世界はとっくの昔に火の海になっていただろう。
それに驚くべきなのは魔法の威力だけではない。
視界を一瞬とはいえ赤一色に染め上げてしまうような、魔法の規模にも驚かされた。
確かにエレンの言うように、リザードを火属性の初級魔法で倒すことは可能だ。
しかしそれは跡形もなく一瞬で消し去るようなそれとはわけが違う。
つまりエレンの言うことは明らかにおかしいのだ。
「その話を聞いて、私はてっきりエレンさんが自分の実力を隠しているのだと思いました」
大きな力を持つということは得てして厄介ごとに巻き込まれる。
それは聖女と称されるリリアンヌも重々承知していた。
だからこそ、自分にくらいは本当のことを教えてもらいたいと思った。
「でも気付いたんです」
リリアンヌはまるで今から言うことを自分でも信じたくないとばかりに、大きく息を吐いた。
「エレンさんが嘘を言っているわけではなく、至って真面目に、そんなことを言っていることに」
そのことに気付いた時、リリアンヌは驚愕した。
そして驚いて、鳥肌が立った。
自分の力を理解していないエレンが、一体どれだけの影響を周りに及ぼすのか。
そして自分の本当の実力を知った時、エレンはどうなってしまうのか。
前者は考えるまでもない。
エレンが何かの拍子に街中や学園で魔法を使えば、その被害は甚大なものになるだろう。
ワイバーンを一瞬で跡形もなく消し去ってしまうような魔法だ。
あれが自分や、他の誰かに向けられた時のことは正直想像したくない。
そして後者の方は、エレン自身によるところが大きいだろう。
もしエレンが何か大きな力を手に入れた時、その力を自分の思うがままに振りかざすような人物であるなら、その存在はアニビア国にとっても他国にとっても、ひいては世界の厄介者になるだろう。
だが二週間程度とはいえ、同じ家で生活してきたリリアンヌはエレンならそのようなことになる心配はないだろうと思っている。
むしろリリアンヌが一番に心配しているのは、そんなエレンを放っておかないだろう周囲について危惧している。
世界でも最上級魔法を使える魔法使いは数える程度しかいないとされている。
そして今回新たに、エレンという存在が浮上してきた。
もしこのことが公になれば、各国がエレンを我が国に引き入れようと画策するに違いない。
それだけならいいが、実力者を厄介に思う国がエレンに刺客を向けてくる可能性は少なからずあるはずだ。
「お父様。私はエレンさんのことをもっと知っておきたいんです」
自身の本当の力を理解していないエレンが、誤った道へ進んだりしないように。
現段階で、エレンの一番近くにいるのは自分だとリリアンヌは何の驕りでもなく自負している。
そんなリリアンヌだからこそ、エレンのことを知っておくべきではないのか。
「公爵家の娘としてではなく、一人の家族として、エレンさんのことを教えてください」
リリアンヌは公爵家現当主の父のことをよく理解している。
ジョセは厳格な人物ではあるが、情に厚い性格だ。
だからこその――家族。
「…………むう」
リリアンヌの意思の籠った言葉に、ジョセが唸る。
そしてしばらくの逡巡の末、諦めたようにため息を吐いた。
「分かった。私が知っているエレン君のことを話そう」
「お父様……!」
「その代わり、ワイバーンに遭遇した時のことを詳しく教えなさい」
「はい! 分かりました!」
妥協案とばかりのジョセの言葉に、リリアンヌは満足げに頷いた。