ひとちがい・4
羽がついたような足取りで、彼女は紅茶を運んできた。
危ないから落ち着けとティーカップを取り上げて、ドルグワントをソファに座らせる。
「火傷したってすぐ治るのよ」
「俺のぶんの紅茶が無くなることのほうが心配だ」
「あら、そう」
なぜか彼女と向き合う形で、紅茶を啜ることになった。
ドルグワントはきっちり足を揃えてソファに腰掛け、ソーサーをなぞって遊んでいる。
それだけでも名画になれそうだ。題名は『イカレ角女の午後』。
「なにを読んでいたの?」
「ここの…外にある植物がなんなのか、調べてた」
「そう。面白いでしょ」
「まあ。アンタの趣味なのか?」
「ううん」
ドルグワントがはじめて、俺でも表現しやすい表情になった。
いなくなった誰かを捜して諦めた、置き去りにされた少女のような顔。
「彼は―アナタはね、ここへ迷い込むまで、ずっと旅をしてたんですって。もともとここに原生していた植物もたくさんあったけど―アナタの服や持ち物についていたさまざまな場所の花粉や種がここで芽吹いて、その中でも強い草花が残っているのよ」
彼女の指先は止まっていた。俺は構わずに紅茶を飲み干す。
そうか。だから伸びっぱなしなのに枯れても落ちてもいないのか。
彼女が“前の奴隷”から貰った愛のように、好きなように、汚れずにいてほしいという願いが、この硝子の外の無限の緑の正体。
「…思い出なのか」
「過去のものじゃないわ。今ここにアナタは居るから」
「悪いけど、俺は俺だ」
少なくとも俺が罪悪感を感じることじゃない。
「ええ。アナタはアナタ」
同じ言葉を使っているのに、俺とドルグワントの間には、大きな齟齬があるようだ。
ずっと人違いをされている気分だ。実際に、真偽も怪しいのだから。
「アナタはいつも外の世界の話をしてくれた。綺麗な場所や、醜いひと、愛したもの、呪ったこと」
「俺じゃない!」
俺が立ち上がっても、聖女は眉一つ動かさない。それがどうしようもなく腹が立つ。
こいつに俺をわかられてたまるか。
彼女の持つカップの水面が波打った。
「あはは、おかしい」
「なにがだよ!」
「おかしいのよ。笑っちゃう。馬鹿ね、私たち。茶番だわ―こんなの」
口の中で犬歯が強く擦れる感触がする。
「悲劇はいつだって笑えるものよ」
「あいにく教養が無くてね」
「ねえ。皮肉は嫌いだと言ったわ」
「俺はアンタが嫌いだね」
「そんな風に吠えたって、徒労なのに」
「ああわかってるよ!」
俺はティーカップを乱暴にソーサーに叩きつけて、足早に書斎を後にした。
背中越しに、ドルグワントが冷めた紅茶を飲んでいたような気がする。あの、寂しげな顔で。