四、
二人暮らしの生活に慣れるのに、然程時間は掛からなかった。
何しろ二人しかいないので、四六時中互いが互いに話しかけることになる。
寝ても覚めても、雪の日も晴れの日も一緒に居るものだから、二人はすぐに兄弟のように親しくなった。
人手が増えたことを、聡太は単純に喜んだ。
だがそれ以上に、家族が出来たことが何より嬉しかった。
ハナのために聡太は、仕舞いこんでいた婆様の着物を出してやった。
古いものだけれど。と言って座敷に広げてやれば、ハナは驚いて聡太に何度も礼を言った。
年頃の娘には随分と地味な色合いのものばかりだったが、ハナは丁寧に丁寧に洗って大事そうに着た。
ある日、畑仕事の休憩中に聡太からハナへ尋ねて見た。
「ハナ。おめえさ家までどっちから来ただ?」
ハナは少し迷ったように、左手に見える山の頂を指差した。
以前婆様に聞いた話では、そちらには村がある筈だった。
峠を越えてしばらく行った先に、こちらよりも大きな集落があったのだと言う。
人が少なくなってからというもの行き来こそ途絶えていたが、もしかしたらそちらではもっと大勢の人間が残っていたのかも知れない。
その村からハナがやって来たのだとしたら、それは一つの可能性を示唆していた。
「そおかあ、また子が生まれるようになったんだなあ」
「子っこがどうしたと?」
不思議そうにハナが首を傾げる。
聡太は短く掻い摘んでハナに説明した。
「前に婆様が言ってたべ。昔々に大きな爆弾の毒で子が生まれんようになって、どこの村も無くなっちまったとよ。
うちんくの村もそうだで、おらここで一人さ暮らしてたんだべ」
「ばばさま?」
「おらの婆様だ」
聡太はえいと立ち上がると縁側から座敷へ上がって、奥の違い棚の下から古い写真入れを取り出した。
その中の一頁を開き、ハナを手招きする。
そこには古ぼけた写真が挟まれていた。
「これが婆様だ」
今よりも新しい家を背景に、庭に立つ老年の女が写っている。
手拭いを被って籠を担ぎ、鍬を振るって矍鑠と働く姿は、聡太の知っている懐かしい婆様の記憶に相違ない。
その姿をまじまじと眺めて、ハナが呟いた。
「梅干みてえだ」
聡太は声を上げて笑った。
「婆様ぁ、年寄りだから仕方なかんべ。若え頃はハナみたいな別嬪だったって言ってたべ」
「別嬪?」
ハナはぽっと頬を赤らめると、恥ずかしげに顔を手で覆ってそそくさと縁側の方へ逃げてしまう。
「どしたべ?」
「聡太、今うちのこと別嬪って言ったべ」
今度は聡太が頬を朱に染める番だった。
少しの間、面映い沈黙が流れて。
「……他のも、見るだか?」
照れ隠しにそう言うと、ハナは聡太の横顔を窺いつつ隣へ戻ってきた。
正月や祭の際に撮った写真が多かった。
上等の着物を着て門松の前で勢揃いしていたり、法被を羽織って大団扇を担いでいたりする年寄り達が写っている。
ただやはりその中には若衆や子供達の姿はなく、ほんの少し寂しげであった。
「ハナは子っこさ見たことあるだか?」
昔へ昔へとページを繰りながら、聡太はハナに問うた。
ハナは首を左右に振って、否定の返事をした。
「うちの上に姉様ならいるだ。会ったことばねえが」
ハナは末っ子け。と言いながら聡太は別の写真入れを開く。
そちらには、聡太の知らない婆様の記録があった。
近所の若者らしき幾人かと一緒に、田植えの最中だろうか、田んぼの畦で休憩している。
「何ぞ探してっべか?」
「うん、子っこの写ってるんでも無えかなと」
「聡太、子っこさ好きけ?」
聡太が置いた写真入れをめくりながらハナが尋ねる。聡太はにこりと笑って頷いた。
「おらあ、子は好きだ。悪戯者も腕白坊主もおるけんど、子が表走り回って遊んでる声聞くのは楽しいもんだで」
「そんなにか?」
「んだ」
賑やかなんはいいことだべ、と聡太はハナに答えてみせた。
「婆様も、子っこさ生まれねぐなって里さ淋しくなったもんだち言うてたべ」
「聡太、子っこさ欲しいか?」
ふうむと唸って、聡太は考えるように顎先を掻いた。
「そうさなあ、おらぁ居た方が楽しいだなぁ」
「んだば、うちが子っこさ産んでやる」
聡太は目を丸くしてハナを見た。
ハナは聡太のすぐ横へにじり寄り、きらきら輝く瞳で聡太を見つめた。
そこには、その申し出をどんなにか聡太が喜ぶだろうという確信しか見てとれなかった。
「ハナ、おめ、子っこの作り方さ知ってるべか?」
驚いて問う聡太に、まだだ、とハナは拗ねた様子で口を尖らせる。
「うちはまだ小さくて早いち、教えられんてかか様言うてたべ。
けんど、すぐ大きくなるべさ。そしたら聡太に子っこさたぁくさん拵えてやるべ」
聡太は何と言っていいやら分からぬまま、照れ隠しに何度も頭を掻いた。
それから、ハナの言葉へ尋ね返す。
「かか様ってハナのかか様だべか?」
「んだ、かか様はうちのかか様だべ。聡太のかか様ばどこさ?」
「おらあ、かか様は居ねえだ。おらの家族は婆様だけだったべ」
一瞬、ハナの瞳に哀しげな影が宿った。
けれどそれはすぐにかき消えて、代わりに優しげな微笑が現れる。
「うちには婆様ば居ねから、おあいこだな」
ハナの手が聡太の頭をそっと撫でる。
昔々婆様にそうされていた頃を思い出して、聡太はほっこりと胸が温まるような気持ちを味わった。