表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の桜  作者: 黒衛
2/10

二、



聡太は婆様と出会った日を覚えていない。

いつの間にか婆様の家に住んでいたので、自分は婆様の子なのだと思っていた。

違うと分かったのは、婆様に読み書きを習い始めてからのことだ。

聡太と婆様に血の繋がりはないと、婆様自身が教えてくれた。

ある日婆様が山から帰ると、縁側にちょこんと座った幼い男児が居た。

それが聡太だったという。聡太は拾われ子なのだ。

それでも、そうと教わってからもずっと、婆様は聡太の婆様だったし、聡太は婆様の聡太だった。

同じ家に住み、同じ飯を食い、同じ火に当たりながら色んな話をした。

二人で畑を耕し、一際寒い凍える夜には同じ布団で互いを温めながら眠った。

つまりは家族だった。

聡太の知る限りでは、婆様は物知りだった。

明日の天気の読み方も、種を撒くのに良い日の見分け方も、味噌や醤油の醸し方も、全て婆様から教わった。

聡太にとって婆様は、親であり教師であり、この世の全てだった。



婆様が言うことには、この冬は婆様の生まれる前から続いているらしい。

昔々のことだ、と婆様は絵本でも読み聞かせるかのように教えてくれた。

ある時、海の向こうの大きな国が、海のこちら側の大きな国と喧嘩した。

酷い争いは長く続き、他の国も大勢巻き込まれた。

世界は二つに分かれて、お互いを滅ぼそうとした。

とても大きな恐ろしい爆弾を作って、投げつけ合った。

まるで太陽が落ちてきたような爆発が、世界のあちこちで起こった。

太陽というのは、昼の間雲の上に浮いている薄明かりのことだ。

厚い雲を通してすら大地を明るく照らせる程大きな火の玉で、あんまりにも遠いところに浮いているので、落ちてきたり地面が焼けたりはしないらしい。

そんなものを地上でぶつけ合ったのだから大変だ。

沢山の町が燃え、沢山の畑が灰になった。

空高くまで昇ったきのこ雲が塵の混じった黒い雨を降らせた後には、あっちもこっちもどこの国も、傷つき切って喧嘩を続ける力は残っていなかった。

そうして、飛び切り大げさな喧嘩は有耶無耶になった。

困ったのはその後だ。

爆弾は、大地に毒を残していった。

大きな爆弾は、山も森も畑も町も根こそぎ吹き飛ばして、一つ残らず巨大な穴ぼこに変えた。

爆弾に晒された焼け跡には、雑草一本生えず野良犬一匹居つかなかった。

爆発で巻き上げられた塵の一部は、雲になって空に留まった。

世界中が灰色の雲に閉ざされ、昼は暗くなった。

雲ができる前の空は青く、昼は眩しいものだった。

今では、重い鉛色の空以外は誰も知らない。

やがて冬がやって来た。冬は瞬く間に世界中に舞い降りて、争いの傷跡を厳しく責め立てた。

濁った雪に埋もれて、作物は枯れ、人は凍えた。

人は汚れた土地を離れ、散り散りになろうとした。

しかし、喧嘩に巻き込まれなかった土地など殆ど残っていなかったし、逃げて来た人達を受け入れることも難しかった。

何もかもが足りなかったからだ。

土地も資材も食料も、心の余裕も。

毒の無い土地や水源は、世界で一番希少なものになっていた。

今度は土地を取り合って、また人が死んだ。

それは長く続いた。静かに、けれど長く長く続いた。

冬も同じように長く長く続いた。

人々は春が来ればきっと良くなると信じていたが、それは叶わなかった。

いつまで待っても、どれ程経っても、春は来なかった。冬は終わらなかった。

世界は雲と雪と氷に閉ざされた。

昔はこの辺にももっと沢山人が住んでたんだよ、と婆様は言った。

山間の小さな村で、有るものと言ったら畑と清流くらい。

あんまり不便な土地故に喧嘩にも巻き込まれることが無く、それなりに平和に暮らしていた。

同じ記憶が、おぼろげながら聡太にもある。

時が止まったように穏やかな場所で、子供達は畦を走り回って遊び、大人達はそれをにこやかに眺めながら働く。そんな風景がかつては存在していた。

どうして人がいなくなったのか、と聡太は婆様に問うた。

婆様は、ちらりと悲しそうな表情を見せた。

子が生まれなくなったからだ、というのがその答えだった。

土地を汚した爆弾の毒は、雲と一緒に空を巡って世界中に降り注いだ。それは人の体に入ると子の種を殺してしまうのだという。

争いが終わった時に子供達だった者も成長して結婚したが、新しい子供が生まれることはなかった。

賑やかな声は消え、里には年寄りが増えた。子ができないのでは、人は減る一方だ。

近くの山村も同じ様子だった。

長く続く冬は、川を凍らせ谷を雪で埋め、村同士の行き来を絶った。

やがて里は孤立し、世界は小さな村だけになった。

聡太はいつも見送る側だった。

辻の六平さんの時も、酒屋の修造さんの時も。

大工の金治さんの時も、狩人の吾助さんの時も。

婆様は最後まで残ってくれたが、その時間も尽きた。

今、聡太は一人だ。

誰も彼もが遠くへ旅立ってしまった。

翁も婆様も皆いなくなった。

でも聡太はまだ生きている。寒く冷たい世界で一人居る。

今はもう遠くなってしまった昔の話だ。

けれどお伽噺ではない、本当のお話。

故に、冬はまだ終わっていない。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ