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灰色の桜  作者: 黒衛
10/10

十、



覚えている限り最も古い記憶は、人里を彷徨っているところだった。

あれはまだ“冬”が始まる前だったのだろう。田畑には実りがあり、雪も積もっていなかった。

一人ぼっちで畦道を歩いていた。酷く不安で心細くて、ゆるゆると坂を上り行く小道の先を、何度も繰り替えし仰ぎ見ていた。

聡太は幼くて孤独だった。誰とも一緒には居なかったし、一つ所に留まることもなかった。

いくつもの家々を転々としたが、どこにも聡太の居場所はなかった。

村から村へ、また次の村へと聡太は渡り歩いた。

いつかどこかに自分を受け入れてくれる場所があるのではないかと期待して。

見上げた空は明るく青く透き通っていたけれど、一人ぼっちの聡太にとっては、まるきりくすんで凍てついた灰色の世界に居るのと同じだった。

ただ、その青色があんまりにも綺麗だったから、“冬”がやって来ても太陽のことを忘れてしまっても、聡太は本当の空の色だけは忘れなかった。

やがて聡太はある山村の一番外れにある一軒家に辿り着いた。

畑と森以外には何も無く、今にも雪に埋もれて消えてしまいそうな程小さな集落の、更にその片隅にある古い家だった。

山を背にして一番高い所に建っていたので、庭から里が一望できるところが気に入った。

家の中は静まり返っていて、留守か或いは空き家のようだった。

聡太は縁側に腰掛け、ぼんやりと庭を眺めていた。

その時だ。

「おめぇさ、どこん童っ子だぁ?」

聡太は飛び上がる程驚いて、振り向いた。

野良着を着込み白髪を引っつめた老婆が立っていた。

それが婆様だった。

聡太は己の身の上を婆様に話した。婆様は聡太にこの家に居ていいと言ってくれた。

仕事を教えてくれて、本当の子供のように世話してくれた。

聡太は婆様と一緒に暮らした。

自分が婆様の子だと思い込んでいた頃は、この記憶を夢か何かだと思っていた。

多分、本当にあったことなのだろうと今なら分かる。



りーーーーん。

聡太は仏壇の前に座って、お鈴を一度鳴らした。

目を上げた先には、飾られたまま色褪せた幾枚もの写真がある。

婆様と大勢の老人達が笑顔で写っている。

皆この村の住人だった。とうに老いて逝ってしまった。

聡太に残されたのは、この家と思い出だけだ。

聡太は静かに手を合わせ、遠く浄土に去った婆様や翁達のことを思う。

聡太をここに置いてくれ、何も言わずに過ごさせてくれた人達への感謝だ。

そうして、ぽつりと口を開く。

「婆様、やはり人間ばもう残っちゃいねえがし」

聡太は待っていた。

婆様を失ってから、長い年月をずっと待っていた。

いつか再び人の間に子供が生まれるようになり、この里にも人間が戻って来るかもしれないと。

だが、その望みは最早叶わなさそうだ。

ハナがやって来た時、聡太は喜んだ。心から喜んだ。

年若い者がいるということは、どこかで子が生まれ始めたということだ。

やがてはまた里に子供が戻る日も来るだろう、と聡太は期待した。

けれど、ハナはどうやら人ではなかった。

山のもっとずっと上の方から迷い出た雪の化身だった。

どおりで火や湯を嫌ったし、物を知らない筈だった。

恐らく、人はもうどこにも居ないのだろう。

聡太は婆様の写真に向けて問うた。

「おらぁ、最後の仕事が出来たかのう」

聡太の仕事とは、己が宿る家に住まう者を幸福にすることだった。

あんまりにも独りでいたせいで、ハナがやって来るまで忘れてしまっていた。

婆様はその仕事を“座敷童ざしきわらわ”と呼んでいた。

婆様は、聡太の存在を喜んでくれた。最期の時にも寂しくないと言ってくれた。

ハナにもそうできたのであれば良いと思う。

解けてなくなる寸前に、一目サクラの花を見せてやることは叶った。

せめて夢の中ででも、ハナは満開のサクラを目にすることができただろうか。

聡太はもう一度仏壇に手を合わせた。

その前には、花をつけた桜の枝が一差し飾られていた。



最後にそれを覚えていたのはいつ頃だったか。

昔々の話、長い“冬”が始まる前には季節と呼ばれる時の流れがあった。

三百六十余の夜と昼が繰り返す中で、暑さ寒さ、花と実りの時期が順に巡って来るのだ。

聡太は一人山に登った。

桜を見に行った。ハナがあんなにも楽しみにしていた満開の桜だ。

草の上に腰を据え、重そうに花をつけた枝々を眺める。

ふいに風が吹いた。

ざあ、と音を立てて花びらが散る。

ちらちら、ちらちらと宙を舞い踊る花弁が雪のように見えた。

「風花じゃのう」

ぽつり呟く。

風花とは、晴れた日に降る雪のことだ。

風に吹かれた花のような。

今はそれが逆に桜色の雪のように見えたから。

まるでハナのようだと思った。

この光景を見せてやりたいと思った。

今度こそハナを連れてきてやりたいと思った。

零れんばかりの桜色に染まった木々と山々を見せて、驚かせてやりたかった。

聡太は腰を上げる。

「また明日来るべ」

桜へ一声かけて、下り道へと戻って行く。

聡太には仕事が沢山ある。

薪を切って、畑の草を引き、水を撒かねばならない。魚を釣り、鍬を直し、稲の苗を作らねばならない。

そうやって生きていかねばならない。

また独りに戻ってしまったが、もう寂しくはない。

山の上にはハナがいる。

春が終えたら夏が来て、秋を過ぎ、また冬がやって来る。

そうして雪が積もったら、いつかまた雪と共に降って来る日もあるだろう。

それまでには、庭に花の一輪でも植えておこうか。

冬でも咲く花がいい。水仙にしようか、椿や梅の木でも植えようか。

次の冬には間に合うまいが、またその次も冬は巡ってくる。

灰色の桜が降る季節が。



聡太は一人、山間の古い家に住む。

そうして、やがて訪れるだろう冬と少女との再会を楽しみに思った。




――了





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