1話 男は語る
バーのカウンターで二人の男女が会話している。
店内は暗い。照明は足下とテーブル上に小さくあるだけだった。仕切りがあちこちにあるため、どこで何をしているか一見してわからないようになっている。
酒に集中できるように配慮であり、よほど大きな声で喋らない限り話が漏れる心配もなさそうだった。まさに隠れ家的雰囲気を醸し出していた。
女は興味深そうに男の話に耳を傾けている。またどこか嬉しげでさえあった。
男は女をどこか哀れみを含んだ目で見ながらも楽しませている。
二人の間には奇妙な遠慮があって、知り合いというほど親しい間柄ではないようだ。
男はちょっと間を空けて、それからまた口を開いた。
……当時は気付いていなかったけど、僕は彼女に惚れていた。
だから今の生活は理想とはいえないけど、悪くはないような気さえしている。
あるいみ僕は夢を叶えたのだから。
知らないってことは恐ろしいことだけど、知っていることが幸いとは限らない。
何が言いたいかって、僕は酔っぱらってるってことさ。
酔わなきゃこんな話をするもんか。
……実のところ善いことをしたいんだ、これは僕の贖罪なんだよ。
まだ人間でいるってことを確かめるためのね。
つまり善いことをするってのは知性があって道徳があるってことだろう、なら化け物じゃないってことになる。
……あぁ、わからないならいいんだ、こっちの話さ。
とにかく君に聞いてほしいんだ、ええとなにから話したものか。
最初から話そうか、まだ時間はある。
……彼女を最初に見たのは大学の飲み会だった。
大学一年生になったばかりの僕らはお酒が飲めるっていうイベントに興奮したものさ。
昔は今ほど居酒屋も厳しくなくて、大学の新入生っていうのは酒を飲むものだったんだよ。
同じ新入生として彼女は来てた。
その時はかわいい人だなとは思ったけど、大学には女性も多かったし、他にも美人がいたからそこまで気にしていなかった。とにかく喧しくて、楽しかった。
自分が大学生ってものになったことを実感できた気がしてね。
彼女とは帰りの電車が同じだった、それどころか家も近所だった。しかも彼女は独り暮らしだったんだ。
僕は下心もあって、彼女となんとか仲良くなろうとした。
必ず挨拶したし、時間割もできるだけ合わせた。
学部が違って同じ授業を取ることはできなかったけど、帰りの電車は同じになるようにしてた。
運がよければ一緒に帰れるからね、実際は運じゃなくて探してたわけだけど。
そうしているうちに彼女のことが分かってきた、実はけっこうズボラだとか、興奮すると考えなしに喋ってしまうくせがあるとか。
首にほくろがあるなんて本人でさえ知らないことも知ることができた。
彼女は東京に憧れがあるらしく、しょっちゅう遊びに行きたがった。
僕は彼女を連れまわしたし、健全じゃないことも平気でやった。
彼女に隙を作りたかったんだ、こんなこと普通だよって、堕落させていった。
人生で一番楽しいひとときだったよ。でも、
ある日とつぜん彼女は消えた。文字通りね。
大学に来なくて、携帯にメールしても返事もない。
家にも誰もいないみたいだった。
誰も探そうとしなかった、彼女の親は遠く離れていたし、大学に来なくなることはよくあることだったからね。
誰かが家出だと言って、それでおしまいさ。
僕は混乱した、なぜ、どうして、授業にも集中できないくらい取り乱していたらしい。
彼女が家出したなんて、僕にはどうしても信じられなかった。
だから、探そうと思ったんだ。