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 天国ってのはやっぱり綺麗な場所だと思うから、綺麗な場所を探すと、そこは大抵いつも大体はどこか高いところになってしまうのはどうしてだろうと思ってリックにそのまま聞いたら「天国ってのは『天』って言うくらいだから上にあるものなんじゃないのか」と大層どうでも良さそうな投げやりの口調で答えられた。はぁなるほどと一人頷いて見せるけれど、リックはそれきり何の反応も寄越さなかったのがちょっぴり寂しい。

 天国という場所がどういう場所なのかは、俺にはよく解らないけれど、そこはとても素晴らしい場所だというのは何となくわかる。だけど、その素晴らしい場所がどういうふうに素晴らしい場所なのか、具体的な事は何一つ解らないから、こうやって歩いて探しているのだけれど、それは中々見つからない。

 こうしてこんな場所へ来て見たのは良いけれど、今回もそこは天国ではなく単なる景色が良いだけの場所だった。

 どんな美しい場所に行っても、天国が近くにあるような感じはするのだけれど、そこはどこも天国ではない。

 とある山間の小さな集落から、なんだかよく解らない樹木が生い茂る獣道を伝って、山の奥へ奥へと登っていくと、木々が突然切れてごつごつした灰白色の岩場に出る、その少し先には同じ色の岩が重なり合って出来た、王宮ぐらい高い崖が現れる。

 そこには空色をそのまま圧縮して封じ込めたような透き通った河が流れていて、そこから巨大な滝となって、突き出た岩にぶつかりながら、どざあどざあと崖下に向かって落ちて行き、上から見ると、滝の途中に小さな虹をいくつも作り出している様子は確かに壮大ではあったけれど、それは俺の求めている天国とはやっぱり少し違うように感じた。けれど、もしかしたらもしかするかもしれない、ということもきちんと考えて、俺は滝のすぐ傍にある上が平たい巨石の上によじ登ると、体に縛った紐を解いて、犬を背中からゆっくり下ろした。

 見下ろせば滝の斜面と、細かな水しぶきと虹、それから崖下に続く河の続きの回りにまた広がる森の続きが見えた。寒くは無いけど、風が少しあるからマントを被せるようにしてそっと犬を抱き寄せる。

 それから、犬は犬だから人間の言葉なんて解らないとは思うけれど、俺は何時もそうしているように犬に話しかけてみる。

「ここもとても綺麗だけれど、天国ではあるのかな? 俺には良く解らないけれど、犬はどう思うかい?」

 そういう風に話しかけても、犬は崖の上から下に広がる森の続きをぼんやり見ているだけで何の返事も返してこないのは、いつものことだからあんまり気にはしないけど、リックに無視される時とは少し違って、ぽっかり穴の開いたような寂しさがこみ上げて来てしまうのは、多分俺が犬の中にレイトを見ているせいなのかもしれない。

 日に日に馬鹿になる犬は、頭の良かったレイトとは全く違うはずなのに、犬とレイトを重ねてしまうのは、レイトにとても失礼な気がするから、普段はなるべく考えないようにしているのだけれど、犬はレイトと外見だけはほんの少し似ていると言ったら、やっぱりレイトに怒られそうだけれど、でも少しでも気を抜くとそんなふうに見えてしまうから困ったものだ。

 そういえばリックは今何をしているんだろうと後ろを見ると、リックはとっくに焚き火を起こしていて、滝へと続く河の岩場に座って、枝と糸とで作った釣竿を垂らしていた。糸の先端は既に河の中へ沈んでいるから見えないけれど、多分針も餌もきちんとついているんだろうと思う。

 ここも天国じゃなかったよと話しかけようと思ったけれど、話しかけたら魚が逃げると怒られそうなので、俺はもう暫く犬と一緒にこの風景を眺めてから、今日中にこの下へ回って近くから滝を眺めてみようとぼんやりとした計画を立てながら、少し自分の体から離れかけた犬をもう一度抱き寄せた。



「お前ね、地獄ってのは天国がどこかにあると仮定して初めて在るものなんだよ」

 ぼうっとしていると、少し笑っているような怒っているようなそんな風な聞き覚えのあるセリフと声が聞こえてきたので隣を見ると、そこには犬ではなくて、彼の背丈と同じくらいの長さの、ぴかぴか光るよく磨かれた銀色の杖を持ったレイトが座っていた。

「それにね、もし天国があってもそこに人がいたら地獄と一緒さね。人が居て感情があって死ぬのが怖いと思って自分の幸せを求めたいと思う限り、皆虫に食われて何度でも戦うし悲しいも沢山あるんだよ。そういうのが悲しいのか、悲しくないのかは個人の違いだけれども、少なくとも俺はそういうのは幸福とはいえないんじゃないかと思うんだ」

 あたりを見回すと、そこは俺の住んでいた国のすぐ傍にある林の中で、俺の背丈の二倍くらいしかない小さい崖の上から滝が目の前でどざあどざあと流れていた。

 ここは、レイトが何時も魔術の修練をしている場所だったのは覚えているのだけれど、俺は大分前に国を出たはずだし、レイトはとっくの昔に犬だけを置いてどこかに行ってしまったはずから、そんな場所に俺もレイトもいるはずも無いから、おそらくこれは夢なんだろうと思ったけれど、まぁ夢でも良いかとそこから深くは考えなかった。

 夢でもレイトに会うのは凄く久しぶりだし、何より折角レイトに会えたのにまたすぐ俺の目の前からいなくなってしまうのは、あんまりにも寂しかったから。

「幸福なんてものはね、人の不幸の上に成り立っているから幸福を求め続ける限り本当の幸福なんてものは絶対ありはしないんだよ。そんなの酷く虚しいだけじゃないかと思うのだけれども、誰もそんな事無いなんて言い張るのは多分虫に洗脳されたか、ありもしない夢ばかり見ている証拠だろうね」

 そこまで続けてレイトが小さく溜息をついた。

 レイトは昔からこんなことばかり言っていた。天国とか、地獄とか、皆が幸福になる方法とか、魔術とか虫とか。俺のよく理解できないこととか。

 昔から馬鹿だ馬鹿だと周りに言われ続けていた俺にとって、頭の良いレイトが語る難しい事はよく解らかった。解らないくせに何かを言っては「馬鹿」と怒られたりしたけれど、レイトの声と楽しそうに語り続ける彼の姿が好きだった俺は、暇な日は大抵こうやって彼の話に耳を傾けていたのは頭の悪い俺でもよく覚えている。

「えぇと、それなら同じ幸福を共有する人が集まって暮らせばいいんじゃないかな」

 そんなどこかで言った事のあるようなセリフが口からさらりと出てくると、レイトに「同じ幸福と言ってもどこの誰のどういう幸福を基準にするんだい?」とこれも聞いたことがあるセリフを返された。

 つまり俺は、昔見た光景をそのまま夢で再現しているということなのかな。

 そういえばずっと昔にレイトが、夢は起きているときに見たことや考えたことを頭の中にいる虫が要らないはみ出たものを食いつぶしながら整頓させている過程で起こっているのだとか、そんなことを教えてくれたような気がする。もしかしたら違ったかもしれないが、物覚えの悪いに俺に知識的なそういうことを教えてくれたのは大抵レイトだったから、おそらくレイトだと思う。

 俺の頭の中に居る虫に食いつぶされて、この記憶も消えるのだとしたらそれは嫌だなぁ。できれば食われたくないけれどもどうすれば食われないで居られるのかな。頭の中の虫に頼めば食わないでくれるかな。

「聞いてる?」

 そんなことをぼんやり考えていると、すこし膨れたレイトが身を乗り出して俺の顔を覗きこんできた。レイトの言葉を上手く理解出来ない俺が考え込んでしまうと、そうして顔を覗き込んでくるのはレイトの癖みたいなものだったから、久しぶりにそれをされて妙に懐かしく感じた。

「聞いてるよ」

 そういう風に笑いながら返して、レイトの手触りの良い金髪をわしわし撫でると、レイトは杖を持ってない手で俺の手を払って「子ども扱いするな!」と怒る。

 俺は別に子ども扱いしているわけでなく、単にレイトの髪のさらさらとした手触りがいいから、ついつい撫でてしまうのだけなのだけれど、それをそのまま伝えてもどの道怒られそうなだけだから、うんごめんねとその場でだけはそう言って、次回にはまた撫でるつもりでいる。

「けれど良かったよ。虫に食われ始めたのかと思った」

 先端に赤い宝石の埋まった長い銀の杖を、座った膝の間に挟ませながらレイトが寂しげに笑った。

 虫というのは俺には全く見えないけれど、レイトにはありとあらゆるところに付着したり埋まったり人の頭に寄生したり人の頭を喰らってそのまま取って代わったりする虫が見えているらしい。それはいつもじっとこちらを常に監視していて陰謀を企てていて人に寄生しては暴動や戦争や喧嘩を巻き起こすらしいのだが、そんな遠くの事よりも時折、近くから罵詈雑言を浴びせかけてくるのが一番怖いのだとレイトは言っていた。

 レイトの魔術の師匠もそれらしきものが見えていたらしいけれど、結局そんなものから逃げ切れずに、食われるくらいならと自殺してしまったらしいから、レイトの周りで食われていないのは俺だけだというのを、いつだか聞いたような覚えがある。「だから寂しい」のだと、かなり昔にレイトが一度だけぼやいたその言葉を、俺は何故か鮮明に覚えている。

「大丈夫だよ。食われないように気をつけるし、もし食われてもレイトのことだけは忘れないから」

 レイトの言葉に、俺は昔言ったはずのセリフをもう一度繰り返した。




 ざぁざぁ音を立てる林の滝の傍。ちょろちょろ流れる川の周りにゴロゴロと転がっている濃い鼠色に、緑色の苔がちょこちょこと生えた大岩の上に、レイトと二人座ってる。

 空がそろそろ赤くなり始めているのを見て、そういえば、この場面もどこかで見た覚えがある気がすると思ったら、「そろそろ帰るよ」とやっぱりあの時と同じセリフがレイトの口から出てきて、それと同時に岩の上からぴょんと彼は飛び降りた。

 先端に赤い宝石の埋まった銀の杖をくるりと半回転させてとんっと地面に付いて、俺を振り返ったのを見て、俺は岩の上から「もう返ってしまうのかい?」と記憶どおりにそう尋ねていた。

「ああ。帰らないとまた虫がうるさいからね」

 レイトは虫に食われた人間も虫と呼ぶ。

 虫に食われて虫に洗脳された人は、もう人とは言えないから虫で良いんだと言っていた。

 レイトは虫とこの世から逃げるために、もうずっと昔から魔術を学んでいるということを俺は知っている。虫と居ることが、レイトにとって酷く苦痛であることも俺は知っている。

 だから本当は、俺が虫のいないところにレイトを連れて行ってやりたいのだけれど、俺にはそれがどんな場所か解らないから、いつもレイトの帰り道を黙って見送るしか出来なかった。それから、早くレイトが虫のいないところに逃げることが出来るように祈るしか出来なかった。

 帰り際に見せた、「ばいばい」と言うレイトの笑みが何時も酷く悲しかった。



 頭に衝撃が走って後ろを振り向くと、そこにはリックが立っていて、キョロキョロあたりを見回すと、そこは巨大な滝の上で、隣には犬がぼんやりと下を見下ろしていた。

「何時まで寝てんだボケっ! 魚焼けたぞ。食わないなら俺が全部食うからな」

 早口でリックがそう言うと、さっと踵を返して焚き火の元へ言ってしまった。

 焚き火には、リックが釣ったらしい木に刺さった魚が四匹、火にくべられて美味しそうにこんがりと焼けていたのを見て「あぁ俺も食う」と言いながら、ぐんにゃりしている犬を抱えて火の傍に歩み寄り、炎を挟んでリックの向かいに座って魚を一本火から取った。

 丸々した魚の背中からむしゃりと噛むと、うま味がじわりと口に広がった。

 今まで食べた魚で一番美味いんじゃないかというくらいで、多分、味にうるさいレイトに食わせても美味いと思っただろうなぁと思いながら、犬にも後で食わせてやろうと俺の膝を枕代わりにぐでんと横たわっている犬の頭を魚を持つ手とは反対の手で撫でてやると、リックが呆れたような声を出した。

「お前、泣くほど美味いのかよ」

 手で拭ってみると透明な液体が目からほろほろ流れていたのに気づいたから、自分でも大層驚いた。

 けれど、おそらくそれはリックが言うとおり魚が美味すぎるせいなのだろうから、泣くほど美味いよと笑いつつ、犬の金色頭をかいぐった。



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