触れ合い
大きな街に立ち寄ったものだから、俺は宿屋に犬を置いてリックと一緒に買い物に出た。町や村では、大型犬は人に怖がられるから犬は大抵部屋に置いて出てくる。心配かと言えば確かに心配だが、犬だって他人の好奇の目に晒されるよりかは多分部屋の中で眠っていた方が居心地良いはずだと思うから、大抵買い物をするときは部屋に置いてくる。もちろんただ待たせているわけじゃなくて、戻るときはちゃんと何かしらの土産を買って帰っているから、『待て』の練習にもなっているだろうと思う。多分。
今さっき出てきたとき、犬はベッドの横でグズグズとうずくまって眠りこけていたから、もしかしたら『待て』になっていないのかもしれないが。
一人の行動が好きなのか、宿屋を出た途端俺を追い越してすたすたさっさとどこかに歩いていってしまおうとするリックは、街に来れば何時ものことだし夜になればちゃんと部屋に戻ってくるから普段はさして気にも留めないが、今日はちょっと声を掛けてみた。
なんだよ。とギロリと睨まれ不機嫌そうに振り返られると、ちょっと怯む。こういう風によく解らないのに不機嫌にされるのは自分が何か悪いことをしてしまったのではないかとか、どうすれば機嫌を直してもらえるのかとか考えてしまうから苦手だが、少し前に何で不機嫌なのか聞いたら、俺は普段からこの調子だと怒られたからあんまり気にしなくても良いらしいが、それでもやっぱり俺は苦手だから、そのうちで良いからもう少しだけでも言葉の棘を減らしてもらえれば良いなぁと思っている。
「いや、今日は一緒に買い物しないか?」
意を決して今日はそうしようと考えていたことを口に出すと、リックは呆けたような表情を作ってなんでだよ。と問うてきた。普通ならそういう問いを口にされるのが当たり前なはずなのに、クセなのかどうかは知らないがそういう肝心な事がいつも考えたらずな俺は今回も何故かそれに対する口実を全く考えていなくて頭の中で一部パニックに陥りながらうぐとかむぅとか口を動かすだけしか出来なかった。
実は最近気づいたことなのだが、共に旅を始めて以来、時々リックの元気が無くなるような感じがするのだ。だから今日はちょっと一緒に出かけてスキンシップでも取ってみたらどうかという魂胆なのだが、そのままそれを口に出すのも何だか憚られてどう言うべきか今更考え始めて困ってしまうと、リックは鼻を鳴らしてさも詰まらなさそうに「まぁ良いけど」なんて言ってくれた。
そっけない返事だったけど、こういうのが彼の優しさというかそういう類の表現なのは何となく気づけたので素直に喜ばしく思った。
やっぱりというか、この街は大きくてどうやら商業で栄えた街らしい。レンガ造りの大通りには今までに見たことないくらい沢山の露天が両側にずらりと並んでいて面白い。美味しそうな食べ物だけでも珍しいのが色々あって、見ていて飽きなかったりする。俺の居た所も割合大きなところだったが、ここまで大きかったかと言うと実はそんなに覚えていなかったりするからとりあえずカウントはしないでおこうと思う。いや、それを言うと、道中に立ち寄った殆どの国や街のことは実はもうあんまり覚えていなかったりする。綺麗な景色や風景ならば沢山覚えているのだが、栄えている国や村や街のことはそこを出ると殆ど忘れてしまう。食べて美味しかったものや、買ったものなら覚えているが、そこがどういった場所でどういう名前のところだったかと聞かれると、恐らく俺は殆ど答えることが出来ないだろうと思う。多分、天国とは関係の無い場所だからかもしれない。
何を喋るでもなくリックと一緒にぶらぶら歩いていると、パンに肉やサラダを挟んで売っている屋台の隣に貴金属類の装飾品が紅色の布に敷かれて売られているのを見つけたものだから、即座にしゃがみ込んで犬の土産になるようなものはないかと探すと、思い切り後ろ頭を叩かれた。
別に痛くは無いが、振り返るとやっぱりというか怒ったような顔したリックがそこに居た。
「先に食料とか消耗品とか買うものはいっぱいあるだろうが頭使えボケ!」
思い切り怒鳴られてから胸倉を思い切り引っ張られて、何も言えぬ間にあれよあれよとそこから遠ざかってしまった。
ここで恨めしげな顔を一つでもしようものなら、多分リックは花火みたいにバチバチ怒ってどこかへ行ってしまうだろうから、極力申し訳なさそうな顔で「すまん」と呟くと、リックは呆れたと言わんばかりの溜息をついた。
「お前ね、別に犬に土産を買うのは構わんけどさ。これ以上犬にじゃらじゃら付けたらアイツそのうち土産の重みで潰れんぞ」
ずんずん歩きながら言うリックの後ろについて歩きながらそれはつまり、土産は装飾品じゃなくて香水とか食料にしなさいということなのかと考えると、俺の頭を読んだようにリックが「アホ」と言う。
「いくつか買ったら犬に付けてる奴いくつか売れば良いんだよ馬鹿」
あぁ、それは名案だと頷くと、リックは心底呆れたような顔をして、嫌味みたいに盛大な溜息をついた。
「あのな、もう一つ言っておくけど犬に付ける装飾品はもっと少なくした方が良いぞ。あのままにしといたらお前、山賊だの盗賊だのに狙ってくださいって言ってるようなもんだろ」
そういわれれば、リックの勧めで犬に上からローブを着せるようになるまでは結構盗賊やら山賊に襲われてきたような気がするが、旅というのはそれが普通だと思っていたのでまさかそれが犬のせいだったなんて気づきもしなかった。それが顔に出ていたのか、リックはまた盛大な溜息をつくともう一度「馬鹿」と呟いた。
そこからさしたる会話もせぬままに屋台や店屋を回ってリックがどこで習ったのか上手に品物を値切ったり俺がそれを見守ったりしながら旅に必要な買い物を済ませると、犬の土産にこの国特産の花から抽出したという大変良い香りの香油を一瓶購入した。そんなに安い物ではなかったからかリックからは無駄遣いだと咎められたが、じゃあどういうのが土産に良いんだと聞くとリックは好きにしろと答えたから、多分これからはあんまり金を使うんじゃないという警告だと捉えた。あまり自信は無いが、覚えている限りでは今後気をつけようと思う。
夕焼けに染まり、路地に出ていた露店が着々と店仕舞いし始めている中、二人して無言で宿屋への帰り道を歩きながら、俺は今日の反省として全然スキンシップにならなかったことを後悔していた。もう少し俺の頭に話題性があれば良かったのだけれど、俺が知っているようなことは大抵リックが知っていそうだったし、会話をふってもリックは一言でブツリと対話を途切れさせてしまう達人だった。店屋の人と世間話をするときは物凄く長くしかも笑顔で話す事も出来ていたから、恐らく会話は俺の馬鹿さ加減に嫌気が差したのだろうと思われる。
だから、馬鹿でごめんと言えれば良いのだけれども、それを言うと昔した、自分で自分を馬鹿と言わない約束を破ってしまうことになるから、どう謝って良いものかと悩んで悶々と歩いていると、俺より少し前を歩いていたリックがぴたりと止まった。もう少しでぶつかるところだったけれど何とかギリギリぶつからずに俺も止まってようやく気がついた。
前を向くと、多分食べ物屋の前だと思うが、そこに人だかりが出来ていた。わーわーわーわーがちゃんがちゃんばきばきべきべきと酷くうるさい音がして、やれとかそこだとか聞こえてきたから、おそらくそれは喧嘩か乱闘なんじゃないかと思った。
近づいて見てみよう、そして出来れば止めようかと思って人だかりに近づくと、リックが俺の襟首を引っ張って「関わり合いになるな」と声を低くして言った。でもなぁと言いかけると、リックに「いいから!」とぴしゃりと言われて渋々人だかりの後ろをコソコソと通り抜けようとした。その時、すすり泣くような声がしたのでいてもたっても居れなくなって、未だに襟首を掴んでいるリックの手を振りほどいて人だかりの中に割って入った。
リックの手を振りほどいたとき、彼が何か言ってるように聞こえたけれど、今はコチラの方が先だ。
案の定そこは何か食べ物を出す店の前で、三十路後半か四十路全般あたりのヒゲ面の男が二人喧嘩していた。二人とも筋肉隆々で、店の中から引っ張り出した椅子だのテーブルだのをぶつけ合ったのか知らないが、頭から血をだーだー流しながら取っ組み合いをしていて、そこらへんにはテーブルに乗っていたらしき料理の残りだとか皿の破片だとか木片だとかがが散らばっていて、店も通りに面した部分はおよそ半壊しているようだ。すすり泣いていた中年の女性はどうやらこの店の人のようで、喧嘩をしている二人を何とか止めさせようとして「止めてくださいお願いします」と割って入ろうとしては邪魔だと頭に血が上った二人に突き飛ばされていた。
眺めている人間に止める気は無いようで、しかも賭けなどやっていたから仕方なく、俺が割って入ると、案の定邪魔だと突き飛ばされそうになったが、踏みとどまって、互いに殴り合おうとした二人の手を両手で同時に掴んで捻りあげた。
「いや、喧嘩はよくないと思いますよ。店の人にも迷惑かかりますし」
出来る限り威圧しないように笑顔でね? ね? と二人の顔を見ながら言うと、喧嘩をしていた二人の男は呆けたような顔になってから邪魔するんじゃねぇとか言って掴んでいる俺の手を全力で振りほどこうとした。けれど、俺は二人が本当に喧嘩を止めるまで手を離すつもりは無かったから、少しばかり懲らしめるつもりでぎゅうと手を握った。めきめきという嫌な音が鳴った。
途端に、二人の男の口から物凄い悲鳴が上った。
周りにいた野次馬が驚いたような声を発したが、俺もビックリして手を離してしまった。
反対の手で、俺が握った手を押さえて手がっ! 手がぁっ! と叫んでいる。よく見ると俺が掴んだ手があらぬ方向を向いてしまっているのであぁしまったと俺は思った。
二人とも割りと強そうだったから、これくらい力を入れても捻挫するくらいで大した問題はあるまいと思ったのだが、どうやら少しばかり手の骨を折ってしまったらしい。
「あぁ、済みません、済みません」
その場を取り繕おうとして頭を下げて謝るも、逆に何か怖いものを見るような目で見られてしまってどうしようかと思っていると、リックが野次馬の隙間からずかずか割り込んできて、弱いくせにこいつの言うことを聞かないからだ。これに懲りたら良い歳して喧嘩なんかもうすんなみたいなことを折れた手を押さえている二人の男に向かって偉そうに言った。それから、賭けをしてたのか野次馬のブーイングには何か文句あるかみたいな俺が今まで見た中でかなり怖いと思える絶対零度の目で見回して威圧し、すすり泣いていた中年の女性店員には俺には見せた事ないような笑顔で優しく喧嘩の掛け金で店を修理させるように薦めて周囲にもこの店が無ければ賭ける出来事すらなかったのだぞとかなり無理矢理な理由で納得させていた。
リックがあっと言う間にその場を治めてしまった。
二人の男は見物人の一人に病院へ連れて行かれ、その場にたむろしていた野次馬もクモの子を散らすように帰っていった。店の女性店員には何度もお礼を言われているリックを見て、俺は凄いなぁとぼんやりと思いながら眺めている。
こういう風に事態を収拾することは、俺には出来ない。これまでにも幾度か旅の途中で喧嘩を仲裁したことはあったが、リックが居ないと何故か俺が悪いということにされてしまったり、化け物と呼ばれたり、そのせいで宿から叩き出されることさえあって、こういう風に丸く収まることはあまり無かったから、リックは凄いと思う。
ぼんやらりとしていると、いつの間にやら店員との話を終えたらしいリックが俺の額を叩いた。やっぱり痛くは無かったけど、ぼうっとした状態に居た俺ははっとしてリックを見ると、いきなり「この馬鹿!」と怒鳴られた。だから仲裁なんて止めろと言ってるだろこの馬鹿毎度毎度他人の喧嘩に首突っ込みやがってアホたれ! と物凄い剣幕で怒られた。俺は何でリックが人の喧嘩を止めることにこんなに怒るのかあんまり解らなかったりするけれど、恐らく普通で考えればリックが正しいのだろうと思ったのでとりあえずうんごめんねと謝った。するとリックは怒るのをぴたりと止めて眉間に指を置いて盛大に溜息をついた。
「お前ちっとも悪いと思ってないだろう」
確かにその通りなのだけれど、ここで「うん」とも「違う」とも言えばまた怒らせてしまう気がしたので何も言わないでいると、もう一度溜息を付かれた。もうお前みたいな馬鹿なんかと旅なんて出来ないと言われたらどうしようかと正直少し心配したが、リックは「あんまり面倒事には首を突っ込むなよ」と言ってから「怪我とかしてないか?」と聞いてきた。リックがまさか俺なんかの心配なんてしてくれると思ってなかったので少し驚いたけれど、それ以上に心配してくれるのが嬉しかったから、「俺のこと心配してくれてるの?」と聞いたらさっさと答えろ馬鹿と言われたので、素直にしてないよと答える。そしたらリックはそれならさっさと帰るぞと俺に背中を向けてずんずん歩いてしまったから、慌てて後を追って、歩いているリックの背中に「ありがとうね」というとリックは何も言わなくて、「また一緒に買い物とかしような」と言うと小さく「ああ」という返事が返ってきた。
たったそれだけだったけど、それが何だかとても嬉しくて、俺はリックの隣に駆け足で歩み寄って、宿屋までの短い道のりを二人一緒に並んで歩いた。
歩きながら、少しくらいはスキンシップになったんじゃないかと思った。