172話 向こう岸へ
まず、空からの攻撃はヴェラドンナとレナが応戦してくれるので、どうにかなりそうだった。
もし、舟のほうに降りてこられても、レナの素早さはとんでもない。そこを返り討ちにするぐらいは訳ないだろう。
隙を狙おうと寄ってきても、ヴェラドンナがナイフを投げる。
なので、空のほうは安心して任せてしまえる。
問題は沼からの攻撃だ。
もちろん、ミーシャにこんなところに棲息してる奴が勝てるわけがない。その部分は俺もなんら心配していない。
問題はミーシャがやたらと動いて、舟のバランスが崩れることだ。
「そっちから出てきたわ!」「あっ、今度はそっちか!」「ご主人様、後ろ通るわ!」
沼から攻撃する側にとったら、どこからでも攻撃が可能だ。こっちはそれに対応していく以外の手がとれない。地の利に関しては、向こうがすべて握っていると言っていい。
敵もまさか舟に上がる勇気はないだろうし、手を出してはひっこめるということを繰り返している。
ただ、ミーシャがあっちっこっち動くことになると、舟がぐらぐら動いて、なかなか前に進めなくなる。
「ミーシャ、もうちょいソフトに動いてくれ! この舟、かなり揺れてるぞ!」
「そんなこと言われても、もぐら叩きみたいにいろんな場所から出てくるんだから!」
もぐら叩きか。言いえて妙だ。神出鬼没の沼の敵に右往左往するしかない。
鳴き声みたいなのが増えてきた。空を見ると、鳥型の奴がさっきよりたくさん目に入る。
「旦那、数で勝負する気ですぜ!」
「おいおい……思ったよりピンチなんじゃないか……?」
舟さえ沈まなきゃ致命傷にはならないと思うけど、転覆ぐらいならいつ起こるかわからないというのが本音だ。沼に棲んでる奴が五体ぐらい同時に手をかけてきたら、一気にぐらっといくぞ……。
「ああ、そっか、そっか。いい手を思いついたわ」
ミーシャが得意な声で言った。
そして、巨大な火球を舟から少し離れた沼にぶち込んだ。
さらに、もう一発。もう一発。とどめとばかりにもう一発。
何をやっているのかと聞こうと思ったけど、やがてミーシャの意図がわかった。
沼の魔物と思しき半魚人的な風体の奴がぷかぷか水面に浮かび上がってきた。
つまり水死体と考えていいだろう。
「あいつら、水面のかなり浅いところにいるでしょ。だから火の玉を撃ちまくっていれば、そこそこヒットするのよ。高温で水面もけっこう熱くなるみたいだし」
「なるほどな。たしかにミーシャなら何発ぶちこんでも、ちょっと浪費したぐらいの感覚だもんな」
こころなしか、舟の上も熱くなってきた気がするけど、命に別状はない。舟が燃えなきゃ大丈夫だ。
沼の魔物はミーシャの攻撃に恐れを抱いたのか、攻撃の手がやんできた。あるいは攻撃に参加してた奴がさっきの火の玉で死んだのか?
ミーシャはなおも火球を撃って、沼からの攻撃を排除する。
それから、「ああ、私が空も担当すればよかったわね」と鳥型の魔物のほうを見た。
さっきよりは小ぶりの火の玉を連射する。
直撃した魔物が何体か火だるまになって、沼に落下していった。
「くれぐれも燃えた奴が舟に落ちないようにしてくれよ?」
そういうリスクがあるので、あまり推奨したくないんだけど、まあいいか。
「頭上に撃ってるわけじゃないから問題ないわ。でも、ふらふら飛びながら落ちることもあるから、その時はその時ってことで♪」
やっぱり、けっこう危なっかしいな……。
心臓バクバクで俺はとにかく陸地に近づくようにオールを漕いだ。
そして、十分もすると――空が静かになった。
もう勝ち目はないと悟ったのか、空を飛んでいた魔物はいなくなっていた。かなりの数がやられたというのもあるんだろう。
「どうやら、切り抜けられましたね」
ヴェラドンナもオールに手をかける。これで、速度は倍近くになる。
「水の上って怖いな。沼でこれなら海はもっと肝が冷えるんだろうな……」
手が疲れてきたなと思った頃、レナが「あっ、陸地が見えてきましたぜ!」と叫んだ。
魔王がいる城にまた一歩、近づいてきたわけだ。
陸地に上がった時、俺は変な感慨を覚えた。
「地面が動かないのってこんなに安心できるんだな」
「言いたいことはわかるわ。私もすごくほっとしてるもん」
ミーシャもふうとため息をついていた。
レナも肩をとんとん叩いていたので、内心怖かったらしい。慣れないことしたから、妙な疲れがあるというのはよくわかる。
舟は何か目印のあるところにでも置いておきたいけど、また荒涼とした原野が続いているのであんまり何もない。壊す奴がいないと信じて、適当な場所に放置することにした。
沼のそばのどこかには違いないから、帰りにずれたところにたどりついても探すこと自体はできる。
さてと身軽になったところで、先に進もう。
次は闇より深い谷だな。




