風船の夜
午前、二時。仄かに蒼い空気の中を、ふわふわ泳ぐ。
ふわふわ。ふらふら。煙みたいに、ゆらゆら、歩いていた。
自販機の白が、眼に痛い。
車の音が酷く五月蝿い。
歪んだ空気がキモチワルイ。
きしきしときしんでいる空。心地よい蒼の闇は、此処にはない。
見上げると、そこには、空を吸い込んでいくような赤い月。
貴方も飢えているの?何を求めるのかも解らないまま、流されていく私のように。
くるくると回って賞賛。ああ、今日の月は、なんて綺麗なんだろう。
欠けたる事もなき望月。永久に輝き続ける、狂気の象徴よ。
――叶うなら、せめて憐れみを。私に、一片の狂いを。
どくん。後頭部で、心臓が跳ねた。私の体は空っぽだから、もうどうでもいい。
私の一揃いの呼吸機関。それは肺、それとも鰓?そもそも、私は、普段呼吸なんかしてたのかな。
わからない。どうやって、私は呼吸してたんだろう。何故、私の体は、こんなに空洞なんだろう。
息を吐いても、吐き続けても、まだ、私の中に空気が。わからない。誰か、私に呼吸の方法を教えて。
私の中に溜まっていく空気。喉の奥に絡みつくざらついた粘体。
温い酸が胃からせり上がり、口を満たす。耐えきれずに、アスファルトの上に撒き散らした。
吐いて、吐いて。枯れるまで、何度も何度も繰り返して、痙攣が止まらなくなったら、
内臓まで吐き出してしまうかもしれない。体の中は空になって、空気だけが溜まっていく。
今なら多分、私の体に切りつけても血は出ない。
夜になるたび、私は流れてゆく。
月を見ても狂う事なんて出来ない私は、ただ、流れるしか……
月を題材とした掌編小説で、「風鈴の夢」と対になる作品です。
古くから、満月は人を狂わせる力があると言われてきました。
日本ではあまり馴染みがありませんが、狼男、人狼の伝説などはその好例でしょう。
私は日が落ちてから散歩するのが趣味の一つなのですが、地上低くを漂う赤茶けた満月を見て
ふと、感動こそすれ、そこから何の変化も、何の力も得られぬ自分に恨めしさを感じました。
この作品は、そんな想いから生まれています。
また少し違った想いを込めた「風鈴の夢」と、併せてご覧になっていただければ幸いです。