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 今から二十年前――

 ドリームマシン「夢ゆめ」が開発された。

 好きな夢、望んだ人生を味わうことが出来る機械だ。

 体験した人の口コミで「夢ゆめ」は飛ぶように売れた。

 だが、半年後、問題が起き始める。

 最初は「学校や職場に遅刻する人が増えた。気をつけましょう」と、苦笑を交えたものだった。しかし徐々に深刻化していき、目覚めない人が出始めた。

 「夢ゆめ」は発売中止になり、購入者からは回収を進めることになった。


 それから月日が流れ、ある秋の日。

 片田舎でひっそりと眠りついていたマシンは、目覚めさせられた――。



 ☆


ひとし、寛太!屋根裏部屋はよろしくな」

「はい。了解」

 明るく父親の声に答えるのは兄のひとしだ。高校二年生になる彼は真面目で優しく、よく出来た青年だ。

「はい。はい」

 それに対して不服そうに弟の寛太は口をヘの字に曲げる。寛太は中学三年生。人より遅い反抗期を迎えようとしている少年だ。

 兄弟は今日、父親の実家をとうとうと売りに出すということで、片付けに駆り出されていた。

 寛太は受験生。それを理由に逃げ出そうとしていたが、兄の通っている高校には間違いなく通る、そう言い切られ連れて来られていた。

 家は田舎には珍しく洋式の家で、二階建ての庭付き。しかも天井には屋根裏部屋があった。二人は父親から命じられて上から折り畳み式の階段を引っ張り降ろして、中に入る。

「うへっつ!息できない」

 長らく密閉されていた部屋だ。埃が溜まり、器官が少し弱い寛太はすぐに咳き込む。

「待ってろよ」

ひとしは小走りで窓際に近づき窓を全開した。新鮮な空気が一気に入り、寛太の咳は治まる。

「兄ちゃん、助かった。ありがとう」

 涙目になりながら礼を言い、ひとしはどういたしましてと笑った。

 この兄弟は世間一般の男兄弟とは異なり喧嘩などしたことがない。兄は弟思いで優しく、弟も素直な仲の良い兄弟だ。

ひとしは近くに置いてあった椅子に腰かけ、部屋全体を眺める。

「変らないな。ここ」

 小さいときによく遊んだ屋根裏部屋。あの時から埃まみれで何があるのか、よくわからなかった。

「うん。変わらない。爺ちゃんに怒られた時、よくここに登ってきたっけ」

「ああ。って言っても怒られていたのはいつも寛太だったけどな」

「そうだっけ?」

「そうだよ」

 家の主の祖父は三年前に他界していた。それから貸家にしていたのだが管理面から売りに出すことにしたのだ。

「爺ちゃん。そういえばオレを目の敵にしてたよな」

「目の敵?いやいや、寛太が可愛かったからだろ?」

「可愛い?!気色悪いこと言うなよ!」

 人よりも成長が遅い寛太は中学三年生にしては小柄なほうだ。小学生から可愛いと言われ続け、中学生に入った今でも可愛いと言われることに頭に来ている。

「ほら。馬鹿な子ほど可愛いっていうあれだよ」

 そんな弟に(ひとし)は追い討ちをかけるように言葉を足す。

「馬鹿な子だって!可愛いって言われるのも嫌だけど、馬鹿って言われるのはもっと嫌だ!」

 兄にからかわれ、寛太は拳を振り上げて怒りを表す。

「怒るな。怒るな。冗談だって。爺ちゃんは本当に寛太のことが好きだったんだ。寛太は皆に好かれるからな」

 そんな寛太の頭を、ひとしはぽんぽんと軽く手で叩く。見上げた兄の顔が寂しげで寛太はふと胸がざわついた。

「さあ。とっとと片付けよう。まずはここにあるものを全部、下に運ぶ作業だ」

「うん!」

 ひとしの顔に笑顔が戻り、寛太は自分の不安が気のせいだと思うことにした。そして 兄と共に屋根裏部屋の置物や箱を下に運び始める。

「兄ちゃん!」

 部屋の荷物の八割ほどを下に降ろし終わった頃、二階にいたひとしは寛太に呼ばれた。屋根裏部屋へ続く天井に空いた穴から、寛太が顔を覗かせていた。

その表情はやけに明るい。

「何?何か見つけたのか?」

「兄ちゃん!大発見だ。上がってきてよ!」

 きらきらと顔を輝かせた弟を見て、仁の胸も躍る。期待を胸に階段を昇った。

「……た、宝箱?」

 そこにあったのは、映画やアニメでお馴染みの蒲鉾形の蓋がついた木箱だ。

「すっごいよね。中身どうなってるのかな?」

 寛太は弾んだ声を出し、木箱を詮索し始める。

「やった!鍵がかかってない!」

「え!寛太!開けたら、」

 鍵がかかってないことをいいことに寛太は留め金に触れる。慌ててひとしは止めようとするが間に合わなかった。

 留め金がいともたやすく簡単に外れ、蓋が開く。

「……何これ?」

 海賊のお宝をイメージしていた寛太は、箱の中にすっぽりと入った銀色の機械を見つけ、拍子の抜けた声を出す。

「……『夢ゆめ』だ」

 しかしその隣のひとしは、驚きの表情でそれに見入っていた。

「夢ゆめ?」

 先程兄が発した言葉を反復し、寛太はひとしに目を向ける。

 箱を開けることを躊躇していたのが嘘のように、ひとしは積極的に動いていた。銀色の機械を箱から取り出し、床に静かに置く。

 直径が三十センチの卵のような楕円形。それに一つボタンがついていて、コードが三本延びている。一本はプラグが先につき電源だとわかる。後二本の先にはヘッドフォンがそれぞれ一つずつ付いていた。

「兄ちゃん?」

 訝しがる寛太の横で、ひとしはその機械を優しく撫でるとプラグをコンセントに繋げる。

「寛太。『夢ゆめ』って機械の話を知ってるか?」

 ヘッドフォンを手に取りながらひとしは尋ねた。その表情は歓喜にあふれており、寛太は益々奇妙な思いに囚われる。

「知らない。何それ。って言うか、兄ちゃん!何してるんだよ!」

 耳にヘッドフォンを装着して微笑んだ兄。嫌な予感が広がり寛太は兄の腕を掴む。

「『夢ゆめ』とは好きな夢を永遠に見れる機械だ」

 しかし兄の動きが早かった。一つしかないボタンを押す。

「兄ちゃん!」

 静かに目が閉じられた。

 口元には笑みが浮かんだままだ。

 体がゆっくりと力を失う。

 ひとしの体が寛太に持たれかかり、小柄な体に負担がかかる。

「兄ちゃん!」

 小さいけど力持ち。寛太は必死にその重みを耐え、兄の体を傷つけないように床に横たえた。

 そして、元凶と思えるヘッドフォンをはずそうと試みる。

「な、なんだよ!いったい!」

 頭部に接しているヘッドフォンの部分は熱で溶けたように、髪と耳に取りつき離れなかった。

「そうだ。電源!」

 寛太はコンセントからプラグを抜き取る。

「兄ちゃん、兄ちゃん!起きてよ!兄ちゃん!」

 そうして体を揺すってみるが、ひとしは微動すらしなかった。


 ――『夢ゆめ』とは好きな夢を永遠に見れる装置だ。


 兄の言葉が蘇る。


「兄ちゃんはきっと夢の中だ。好きな夢を見てるんだ。でも永遠って」

 ひとしはこうなることを知っていて、機械を作動させた。

 だから、起こす必要はないんだ。

 でも、こんなこと……。

 寛太の胸に色々な思いが交錯する。

「まだ兄ちゃんから何も聞いていない。本当に、兄ちゃんはこうなることを望んだの?ちょっと試すつもりだったかもしれない。そうだったら」

 寛太はプラグを再びコンセントにつなげる。

「ヘッドフォンは二つ。きっとオレも兄ちゃんの夢にいけるはずだ」

 確かめるしかない、そう腹を括ると寛太はヘッドフォンを付け、ボタンを押した。



 ☆


 寛太は森の中で目を覚ました。

 鬱蒼と空を覆う緑。

 背中に触れるごつごつとした地面の感触。

「えっと」

 思考が追いつかず、寛太はふらふらと立ち上がる。

「オレ……」

 状況を把握しようと周りを見渡し、記憶を手繰った。


 田舎に来ていたこと、祖父の屋根裏部屋。宝箱。機械。「夢ゆめ」。


「夢、夢なんだ。これ!兄ちゃんは?!」

 寛太は「夢ゆめ」を使って兄の夢に入ろうと試みたことを思い出す。


 しかし状況はわかったが、薄暗い森の中。彼は心細くなった。

 どうしようかと迷っていると、かすかな音が聞こえた。

 それは人の声に思えた。

 耳を澄ませていると、馬の嘶きが聞こえ、次の瞬間に獣の叫び声が鼓膜を刺激した。

「な、何?!」

 嫌な予感がした。

 だがここに一人でいても仕方がない。

 寛太は恐る恐る音のする方向へ近づく。

「!」

 ふいに大きな狼が口を開け、視界に飛び込んできた。しかしそれは寛太に噛み付く前に絶命した。

 頭の天辺から顎まで剣を一気に刺し込まれ、大きな口からは血と涎が流れ出ている。

「大丈夫か?君?」

 ゆっくりと優雅に近づいた白い鎧の騎士。剣を獣から抜き取り鞘に納めた後、騎士が寛太に声をかけた。

 自分より二十センチほど背に高い騎士に、寛太はお礼を言おうと顔を上げる。

「……寛太?寛太なのか?いや、そんなわけが」

 顔を覆う兜のせいでくぐもる声。しかし、その声には聞き覚えがあった。

「兄ちゃん……。兄ちゃん?」

 半信半疑で寛太は白い騎士に尋ねる。

「団長!その者と知り合いなのですか?」

 後方にいた鉄の鎧を付けた騎士が駆け寄ってきた。

 白い騎士は兜を脱ぎその素顔をさらす。

 黒髪のショートヘアに、一重の細長い目、日本人にしてはちょっと高めの鼻に柔らかい微笑を湛える唇。

「……ああ。俺の弟だ」

 それは間違いなく寛太の兄だった。

 

 


「兄ちゃん、すごいなあ。でもこれが兄ちゃんの夢だったんだね!」

 かなりテンション高く寛太が馬の上ではしゃぐ。

 

 ひとしは騎士団長であり、モンスター退治のため城から出てきていた。先程の大型の獣――モンスターを退治したので目的は達成。帰路につく一団に寛太は同乗していた。

 団長の弟なので、騎士が馬を貸す。寛太は初めて乗馬を体験することになったのだが、夢ではなんでもありだった。彼は訓練しなくても馬を見事に操って見せた。

「寛太。この世界と俺達の世界は違う。だから、後で話そう」

 はしゃぐ弟を嗜め、白の騎士ことひとしは颯爽と馬を操り、騎士団の先頭に戻る。

 寛太は兄の夢の中だったと、口をつむぐとその後は黙って馬に乗っていた。

 話す時間はまだたっぷりある。

 兄の好きな夢の中、でもやはり元の世界に帰るべきだと思い、寛太はどうやって兄を説得するか、思いをめぐらせた。

「あ。でもどうやって元の世界に戻るんだろう?うわー、オレ。肝心なこと考えてなかったよ」

 兄の後を追いかけることだけを考え、目を覚ます方法のことを忘れていたと、寛太は冷や汗をかく。

「あ、でも。兄ちゃんがきっと知ってるはず。だって、『夢ゆめ』のこと詳しそうだったし」

 生来からの楽天家。

 寛太はそう決めると、馬から見える光景を楽しむことにした。


 独り言をつぶやき表情をくるくる変える寛太。

 並走する騎士が彼を薄気味悪そうに眺めていたが、超鈍感な本人が気付くことはなかった。





「兄ちゃん!」

 やっと二人っきりになり、寛太は色々話せると安堵の声で兄を呼ぶ。


 あれから間もなくして一行は古城に辿り着いた。

 古城は騎士団が属しているアルレッド城であり、寛太は夢とは思えない迫力に驚きながらも大人しく騎士団に従い、城の中に入った。

 ひとしはさすが騎士団長で、手際よく指示を出して十人の部下を部屋に戻らせる。そして寛太を連れて自室に篭った。

 部屋で二人っきりになり最初に言葉を発したのは寛太だ。

「兄ちゃん。これは夢なんでしょ」

「ああ」

「夢って思えないくらいリアルだよね。白の騎士なんてカッコいいな」

「そうか」

 まじまじと見られひとしは恥ずかしくなる。

「でもオレは元の世界、っていうか夢から覚めたほうがいいと思うんだ。だって、夢は夢でしょ」

寛太は迷いなくそう言い切る。ひとしはそんな弟から視線を逸らし笑った。

「寛太。悪いが俺は目覚めるつもりはないんだ。大体目覚める方法は知らないし」

「え?!」

すっかり兄が知っていると思いこんでいた寛太は、表情を一変させ立ち上がる。勢いで木の椅子が倒れそうになった。

「お前、その可能性を考えなかったのかよ!」

その椅子をかろうじて転倒から救い、兄は呆れた調子で弟に言う。

「だって、兄ちゃんの後を追いかけることで精一杯だったから」

「……俺は追いかけてほしいなんて思ってなかったぞ」

「うん。分かってる。でもオレが追いかけたかったんだ。だって兄ちゃんは何にも説明しないで倒れちゃうし。訳わかんないよ」

 少し非難めいた口調で寛太は言い、ベッドの端に座り込んだ。

 ひとしは大きな溜息をつくと、寛太の肩を優しく撫でる。そして身に付けていた鎧を脱ぎ始めた。 それらをテーブルの上に置き、ひとしは弟の隣に座った。

「俺は現実の世界から逃げたかったんだ。俺が主役である世界に住んでみたかったんだ。馬鹿みたいだけど」

 ひとしは寛太ではなく、天井に視線をさまよわせ、何かを掴むように手を伸ばし自嘲する。

「……兄ちゃん」

 兄の様子に寛太は、二の句を告げなくなってしまった。ただひとしを見つめることしかできなかった。

「お前には本当に悪いことしたと思ってる。だからお前だけでもあちらの世界に帰る方法、目覚める方法を考えよう。方法がわかるかは保証出来ないけど、魔術師がいるんだ。俺のことは召還したってことになってるから、お前もそういう風に考えられるはず。だから元の世界に戻るという方法をとれば、目を覚ますことができるかもしれない」

「うん。そうだね。そうに違いない」

 無理な笑みを浮かべる兄。寛太は心配させないようにとわざと明るい声で答えた。

 


「お前はちょっとこっちで待ってろ」

 それから間もなくして、ひとしは寛太を伴って魔術師の部屋に来ていた。

 部屋の前に弟を残し、兄は中に入る。

 中に入れないことに少し文句を言いたくなったが、兄の夢だし。自分は大人しくしていたほうがいいと、寛太は黙って部屋の前の椅子に腰掛ける。

 魔術師の部屋を訪れるものは多い。そのため部屋の前には受付の男が配置され、数脚の椅子が置かれていた。

「エドワード。ヒトシは中にいるかしら」

 聞き覚えのある声が聞こえて、寛太は顔を上げた。

「恵理!」

 現れたのはふわりと腰周りが広がった空色のドレスを身に纏っている近所に住む幼馴染だった。

 一つ上だが、寛太とは喧嘩友達で、男女年齢に関係ない間柄だ。

「エリーナ王女!」

 椅子から立ち上がった寛太を、受付の男が遮り敬礼する。

「エドワード。ご苦労様」

 王女と呼ばれた女性はふわりと微笑みを返した。

 それを見て、寛太は恵理ではないと確信する。兄の夢の中であることもそうだが、恵理はおしとやかタイプではなかった。このように柔らかく笑った彼女を彼は見たことがなかった。

「エドワード。その者は?」

「はっつ。彼はヒトシ殿の弟君の……」

「寛太です」

 にかっと笑い、寛太は手を指し出す。

 外国では確かに握手が挨拶、そんな風に考えたのだがそれはまったくの間違いだった。

「カンタ殿!」

 エドワードはすぐに怒りを表わす。王女に対して敬礼をしないことで既に怒りを覚えていたのだが、握手を求めた姿勢が彼を余計苛立たせた様だ。

「いいのよ。エドワード。ほら、ヒトシも最初は似たような様子だったでしょ」

「確かにそうですが……」

 二人の話から兄も最初は同じ行動を取ったと嬉しくなる。だがこのことから、かなり前から兄がこの世界に来ていたことが想像できた。ひとしが「夢ゆめ」を使ってから寛太が後を追うまで、わずか数分だった。しかしこの夢の世界ではそれは数日に価するように思えた。

「カンタ殿。この世界はいかがかしら?」

 寛太が考えに浸っている間に、エドワードは王女に説得されていた。彼の態度はしょうがないと諦め、憮然とした表情のままであったが職務に戻っている。

「カンタ殿?」

「あ、えっと」

 寛太は言いよどむ。

 どうですかといわれたが、この世界に来てからわずか数時間。感想と言っても何も浮かばなかった。

「えっと。オレの世界より危険そうですね」

「危険。モンスターのことね」

「はあ。あんなものはオレの世界にいません。いても小さいし、人なんてめったに襲わないですよ」

 夢の世界、ファンタジー。こんなことをいってもしょうがないと思いつつ、寛太は素直に感想を口にした。

「……カンタ殿。この世界も以前はモンスターなど存在しませんでした。数年前から現れるようになったのです。その度に街や村が襲われたりして……。ヒトシのおかげで襲われる回数が減ってきているのだけれども」

「そう。そうなんだ。すみません。オレ、事情も知らないのに。でも兄ちゃんだったら、全部モンスターをやっつけてくれますよ。強いんだから!」

 少し悲しげな表情になってしまった王女を励まそうと、寛太は胸を拳で叩く。

「ってオレが威張ってどうするんだって話ですね」

「……くすっ」 

 はっと気がついて、照れながら指で頬をかく寛太に王女は噴き出した。

「あなたは面白い人ね」

「そうですか?」

 くすくすと笑う顔は恵理と同じで、寛太はちょっと安心する。


「なにか面白いことがあったのですか?」

 ふいに声が割って入った。

「兄ちゃん!」

「ヒトシ」

 それは兄で、扉を背にこちらを見ていた。いつもとちょっと様子が違う気がして、寛太は違和感を覚える。

「王女様。私の弟が何か失礼なことしましたか?」

「いえいえ。それよりも楽しませてもらいました」

「そうですか」

 ちらりとひとしが寛太に視線を投げかける。

 目が冷たい感じがして、胸が痛くなった。

「……兄ちゃん?」

「エリーナ王女。ヒトシ殿に御用があったのではなかったですか?」

 寛太の非礼な態度に堪忍袋が切れ掛かっていたエドワードは、ここだといわんばかりに口を挟む。

「ああ。忘れるところでした。ヒトシ。王が呼んでますわ。なんでも明後日の遠征のことらしいの」

「王女。そんな伝令は兵士に頼んでください。王女自らが伝えることではありませんl」

「エドワード。暇だったのよ。本当あなたは頭が固いわね」

 二人のやり取りに寛太はなんだかおかしくなる。

 しかしひとしの表情は無表情のままだ。

「ヒトシ。大丈夫?」

 王女もひとしのおかしな様子に、エドワードとの口論を止め、尋ねる。

「大丈夫です。少し疲れたようです」

「あら。少し休む?父上には明日とでも伝えるわ」

「大丈夫です。今から参ります。王女様も部屋までお送りしましょう」

「ああ。それはぜひお願いします」

 王女の返事がないのに、エドワードがそう申し出る。

「それでは参りましょう」

 ヒトシは王女に一礼し、先に進むように促す。

「カンタ。また会いましょうね」

 王女は断れなくなり、足を踏み出しながら寛太に笑顔を向けた。

「はい」

 寛太は笑顔を返しながら、兄の背中を見つめる。立派なマントをつけ、兄は近寄り難い雰囲気を出していた。

「……寛太。すぐ戻る。もし何か必要だったら近くの兵士に聞けばいいから」

 顔を向けることはなかったが、仁はいつもの口調で寛太にそう言った。

 それに少しだけ安堵して、その場を去る兄と王女の姿を見送った。


 ☆


「腹へったー」

 夢でもお腹は減る。

 そのことに驚きながら寛太はベッドに体を横たえ、天上を見上げていた。

「兄ちゃん、早く帰ってこないかな」

 ひやりとしたシーツの感触。マットレスは少し固めだった。

「なーんか。夢っぽくないなー。でも夢なんだよな」

 兄にも確かめた。現実とは考え難い。

 馬なんて乗ったことなかったのに、簡単に乗れた。

「やっぱり夢だ。どう考えても。兄ちゃんはいいな。騎士団長で、白の騎士!俺もなりたいー!」

 兄の騎士姿はかなり様になっており、物語の主役としては申し分なかった。

「でもしょうがないか。兄ちゃんの夢なんだから。それより兄ちゃんの様子、おかしかったな。何かあったのかな」

 魔術師の部屋から出てきたひとしは雰囲気が冷たく、違う人のようだった。

「やっぱり無理だったのかな」

 寛太は大きな溜息をつく。


「騎士団長!」

 突然扉を叩く音がして、切羽詰まった声がした。

 寛太はベッドから起き上がると扉に向かう。

「悪いけど、兄ちゃんは、」

 そう言いながら扉を開けた寛太を見て、皮の鎧を着た兵士があからさまに落胆した顔をした。

 それに内心苛立ちながらも、言葉を続ける。

「兄ちゃんは王様の所です。何か用ですか?」

 まだまだ少年。やはり少し拗ねた口調になってしまった。

「そう。そうですか。それならいいです」

「いいって、何?」

 兵士は若かった。多分兄と変わらない年頃で、寛太の言葉を聞くと直ぐに背を向ける。

「あんたみたいな子供に言ってもしょうがない。大体あんたは白の騎士じゃないし。俺一人で何とかする」

「何とかするって。子供ってオレのこというけど。あんたも大人じゃないじゃん。オレは白の騎士の弟だ。兄ちゃんと一緒で外から来た人間だ。それなりの力があるかもしれないだろう?」

「本当か?」

 去りかけていた兵士は寛太の言葉を聞き立ち止まる。振り返り見せた表情は、先程とは打って変わって期待を交えたものだった。

 寛太は内心、自分のはったりを後悔するが、今更引けないと芝居を続けることにする。

「そうだよ。何があったか話してみてよ」

「俺の仲間、ルーカスが城に戻ってないんだ。俺はてっきりに先に戻ってると思ったのに。今頃奴一人で、モンスターに襲われているかもしれない」

 兵士は真剣な眼差しで、寛太に助けを求める。

「わかった。オレが助ける。あんたはどうにか王様の所に行って、白の騎士にこのことを伝えて」

 兄の夢。自分には何も力がないかもしれない。でも馬にも乗れたし大丈夫だと自分に言い聞かせて、寛太はテーブルに置かれた兄の鎧、剣を取った。


 鎧などつけたことがない。だが簡単に装着出来るのが、やはり夢としか思えない。

 剣を背中に巻き付けて、寛太は出発した。

 最後にルーカスを見たという場所を目指して、コンパスを参考に馬で南に駆ける。


「ひぃい!助けてくれ!」

 暫くして男の悲鳴が聞きえた。

「ルーカスさんか!」

 あの兵士と約束したと、寛太は馬を急かす。

 森で最初に出会った獣――モンスター。それと同じ系統の化け物が男に対峙していた。

 彼が乗っていた馬は喉を裂かれ、転がっている。彼自身も体に数箇所の傷を負っていた。

 モンスターと馬の屍。血の匂い。それが寛太の馬を刺激した。嘶いて暴れ始める。

 お陰でモンスターは寛太に注意を向けた。

「落ち着いて。お前は殺されない。オレが頑張るから。お前の仲間が殺されたんだ。一緒に仇を討とう」

 寛太は片手で手綱を握りしめ、もう片手で馬の首を撫でながら囁く。

 すると馬が落ち着きを取り戻し、ゆっくりと近づいてくるモンスターに鼻面を向けた。

「よかった。さあ、今度はオレの番だ。気合をいれるぞ」

 この世界に来て、モンスターに初めて襲われた時、寛太は動けなかった。兄があれを殺さなければ寛太は食われていたに違いない。

 しかし今度は違う。寛太はモンスターを正面から見据え、剣を抜くことが出来た。

「よし。覚悟しろ!」

 モンスターに対してか、自分に対してか。寛太は声を出すと攻撃を仕掛けた。


 夢なのに上手く行かない事もある。

 それが兄の夢の中であるためか。


 寛太は幾度かの攻撃により落馬して、地面を這いずり回っていた。馬自身はどこかに逃げてしまっている。

 剣を支えに立ち上がり、モンスターを見上げる。

 ルーカスがその傍に駆け寄り、助けにきた白い騎士がいつもより小柄な事に気が付く。

「あんた。団長じゃなかったのか?」

「うん。その弟だ」

 間髪いれず綺麗に曲がった鋭い爪が襲い掛かってきた。

 寛太はルーカスを背後で守り、攻撃を剣で防ぐ。

 まだ攻撃を防ぐことができる。力は尽きていない。だが、力で押し返すことが今の寛太には出来なかった。ただ守ることで精一杯だった

 徐々腕が軋み始める。

「ルーカスさん。あんたは先に逃げて。オレ、あんたの仲間に約束したんだ。だからあんただけは絶対に助けるから」

「ふ、ふざけんな。お前一人を置いていけるわけないだろうが」

 モンスターの右拳が振り下ろされる。左爪を押し返し、それもどうにか剣で防ぐ。が、再度左爪が襲い掛かり、寛太はルーカスを突き飛ばし、自分も攻撃を躱す。

「お願い。逃げて。あんたがいると動きづらい。大丈夫。多分兄ちゃんが来てるはずだから」

 兄が王との謁見を終わらせているなら、あの兵士から聞いてこちらに向かってる筈だ。

 ルーカスのことも保護してくれる、寛太はその可能性にかけるしかなかった。

「すまん。団長を見つけたら直ぐに連れてくる。その時まで頑張ってくれ」

「わかった」

 ルーカスの逃げる姿が見て、寛太は安堵していた。これで約束が守れたと満足する。

 モンスターが踏み込み、両手を交互に振り下ろす。手による攻撃を防がれ、今度は寛太の体を噛み砕こうと口を開く。

「死」という言葉が脳裏に浮かぶ。

 何処かで読んだ漫画。夢で死んだ者は精神を破壊され二度と目覚めることがない。

「オレ、死ぬのか」

 死への恐怖が浮かぶ。やりたいことがまだあった。

「死にたくない!」

 そう願った瞬間、寛太の鎧と剣が閃光を放つ。

 モンスターの攻撃が止まる。

「……す、すごい」

 光が止み、寛太は自分の変化に気がついた。

 血と泥に塗れていた白い鎧は黒い鎧と変化し、頭部には新しい兜が装着されていた。

「力も回復してる!今度はオレの番だ!」

 寛太は剣の柄を両手で握り締めると、モンスターに飛びかかった。


 ☆


「ルーカス!」

 必死に馬を飛ばしていたひとし達は、目的の人物の一人の姿を捉えた。

「ジョン。団長!」

 ルーカスも探していた人に会えて心底安堵して足を止める。

「寛太を見たか?」

「弟さんですね!今、モンスターと戦ってます!あっちです!」

「乗れ!」

 ひとしは徒歩で案内しようとするルーカスの体を掴み、自分の前に乗せる。

 二人分の加重がかかり、スピードが多少落ちるが人間の足よりはましである。

「案内してくれ!」

「はい!」

 ひとしの言葉に、ルーカスが力強く答えた。

 

 三十分ほど前、王との謁見が終わり王室を出ると男が待っていた。騎士団の団員の一人ジョンだ。

「お待ちしてました。俺と一緒に森の外に行ってください」

 その一言で始まり、ジョンは額の汗を拭いながら彼の仲間と弟のことを話した。

「行くぞ!」

 王の謁見が終わるのを待たずに、なぜもっと早く連絡してこなかった。

 そんな思いが直ぐに浮かんだが、ぐっと怒りを堪えた。

 今は急いで弟に追いつくことが先だと、足を早める。

 予備の鎧を身につけ、ひとしは馬に飛び乗り、城門を潜り抜けた。


 ジョンは、寛太も外の世界の人間だから、特別な力があると信じている。そのせいで妙な安心感があるようだった。

 寛太がそんなはったりをかましたと、容易に想像できる。

 あいつらしいと思いながら、ひとしは馬鹿野郎と脳裏で罵倒せずにはいられなかった。

 ひとしは、この夢の中、この世界の中では、自分だけが特別な人間だと信じていた。

 だから、寛太が危機に陥っていると思っていた。

 馬の手綱を握り、まだ着かないのかとルーカスが指差す先を見据える。


「!」

「なんだ!?」

 突然前方から光が溢れてきて、空に向かって伸びた。

「まさか?!」

 ひとしは嫌な予感がした。

 あの光、彼には覚えがあった。

 この世界にきて最初に戦った時に、同じ光景を見た。

 いや、見たというか体験をしていた。

 自分だけが特別と気持ちが揺るぐ。

 そして、あちらで感じていた気持ちが蘇る。

 黒くて汚いそれはひとしの心を再び塗りつぶそうとした。


「あ、あれは……」

 到着した面々の前で、一人の小柄な騎士がモンスターの屍の上に立っていた。

 闇に溶け込みそうな漆黒に包まれた騎士。

「……黒の騎士……」

 団員達は視線の先の騎士をそう呼んだ。


 その瞬間、仁の夢は壊れた。

 結局、この世界でも自分は主役になれないと、絶望的な思いが彼を支配した。

 

 


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