六話 夜襲
ぼんやりと囃子の音を遠くに聞く。
街は灯籠と多くの人によって明るく、普段以上のにぎわいをみせていた。
「京の街か」
全ての喧噪を薄布一枚で遮断し、一人呟いた。
宗玄と忠通の護衛として京に来てから早十日、街は日に日に熱を増していた。宗玄は忠通の相手で忙しく、ここ数日言葉を交わしていない。桐士も他の仕事に出ていて、蒼井は一人だった。
宗玄が連れてきた他の護衛は今、宗玄の側で宴会を盛り上げるのに一役買っているところだろう。しかし、蒼井がそのような表の場に居ることは許されるわけもない。
『街の方を見回ってこい』
そう告げられて既に数刻。今更戻ることも出来ず、一人京の街をあてもなくうろついていた。無論姿を見られてはいけないため、被衣を被ってだ。
淡い紫の小袖に、華やかな祝花で彩られた濃紺の浴衣を被衣がわりに被く。少々不格好だが、この際気にする余裕もなかった。
人の隙間を縫うように歩く。今のところ怪しい気配はない。このままぐるぐると歩き続けていては逆に不信に思われてしまうかも知れない。
流石に戻るかと踵を返そうとしたそのとき、空気を裂くような叫びが響いた。
「・・・っ!?」
叫びに惹かれるように振り返る。悲鳴と混乱の合間から”人斬り”という言葉が聞こえてきた。
「人斬り?」
祭りの最中に人斬りなどあってはならない。混乱に合わせて人が集まってきた。この中では姿を見られる危険性が高い。そうでなくとも、この混乱に乗じて宗玄に危害が及ぶ可能性がある。
蒼井は人の流れに逆行し、走り出した。
人目に付かれないように裏路地に入る。遠回りになってしまうが、この方が安全だ。
「ちっ・・・下駄だと走りにくいな」
迷うことなく下駄を脱ぎ捨てる。本当は被衣も脱ぎ捨ててしまいたいが、それは流石にできなかった。
「遠くまで来すぎたか?」
土地勘のない場所でうろついていたからか、気付かないうちに遠くまで来てしまったらしい。中々宗玄の居る宿は見えてこなかった。
少しずつあたりが静かになっていく。
蒼井はそのとき、異変に気付いた。
(おかしい。静かすぎないか?人の姿どころか気配がまるでない)
表通りを見遣っても、人の姿一つ見えない。こんなに静かになることは普通ならあり得ない。そう、蒼井が足を止めたときだった。
「・・・っ!?」
背中に熱が走る。続けて襲い来る猛烈な痛みに、蒼井は膝をついた。その勢いで目隠しと被衣が外れ、晒された瞳は背後に立つそれを見上げた。
「お前は・・・?」
「本当に蒼の瞳なのだな」
背中から滴る朱が地面を濡らしているのが分かる。
目の前の男の手には血でべっとりと汚れた刀。再びその刀が構えられるのを蒼井は愕然と見つめていた。
「死ね、化け物。宗玄諸共な」
「宗玄。お前ももう少し飲め」
真っ赤に顔を染めた忠通が、盃を押しつけてくる。言葉と共に漂ってくる酒気に、宗玄は苦い顔をした。
(相当酔っているな)
宗玄は酒は好きだが酔っぱらいは嫌いだ。たとえ仕事であっても、極力近寄りたくない。
今の宗玄はこれでも仕事中。忠通もそれをわかっているであろうに、酔いで頭が回らなくなっているのか、嫌と言うほど酒を押しつけてくる。
「蒼井の気持ちが少し分かった気がする•••」
蒼瞳の部下を思い出し、げんなりと呟く。
そのとき、控えていた護衛がそっと耳打ちしてきた。
「外の様子が」
報告に、意識を外へと向ける。
「気配がない・・・?」
人の、生き物の気配がない。夜とはいえどまだ宵の口。多少の人通りは合ってもいい。そもそも此処は宿屋が多く建ち並ぶ通りだ。人の気配がないなどあり得ない。
従者に目配せをする。宗玄の意を汲み取った従者は、さっと音もなく部屋を出て行った。
「あの者はいいのか?」
「厠にでも行ったのでしょう。忠通様がお気に留める必要はございません」
愛想笑いを顔に貼り付ける。ここで忠通に本当のことなど言っても意味などない。
(遅いな)
従者を様子見にやってから時間が経っている。おかしいと思い始めた宗玄は、そっと立ち上がろうとした。
そのとき、不意に障子が開け放たれた。
「宗玄!覚悟っ!」
現れた黒ずくめの刺客に、とっさに腰の剣に手を伸ばす。
(間に合わない!?)
斬られると思ったとき、目の前に何かが立ちはだかった。
「・・・・・・っ!」
「青助!」
それは蒼井だった。宗玄たちを庇ったことで、正面からもろに斬りつけられ倒れ込む。よく見ると他にも複数の刀傷が全身にあった。
地面に倒れそうになるのをギリギリで耐え、敵に向き合う。淡い紫の小袖が大量の血で朱く染まり、それでも尚吸いきれない雫が裾から滴っていた。
「お、お怪我は•••?」
息も切れ切れに敵と相対する。宗玄もすっかり酔いの覚めた忠通を背に庇いながら応戦していた。
「青助、他の奴はどうした?」
「分かりません。ただ、外にも何人か刺客が居ました」
他の者はみな殺された可能性が高いということだろう。
「とりあえず片付けるぞ」
「了解」
最後の一人を斬り捨て、血を払う。
振り返るとあまりの惨劇に忠通が気絶していた。
「宗玄様!」
廊下の先から聞き慣れた声が聞こえた。
「桐士か」
他の仕事を終えた桐士がやっと戻ってきたらしい。他の者は誰一人帰ってきてない。
「他の者は皆、殺されていました」
「そうか」
その知らせに宗玄が下を向いたとき、桐士が大声を上げた。
「蒼井!」
血に倒れ伏した相棒に、桐士は駆け寄った。何度呼んでも蒼井は応えることはなかった。か細い息が時折口元から漏れるだけだ。
「宗玄様っ・・・!」
桐士が縋るように宗玄を見遣る。
「忠通公を私の別邸まで運べ」
「蒼井は・・・」
宗玄の応えに桐士は耳を疑った。ここで蒼井を見捨てろとでも言うのか。
「青助は私が連れて行く」
だからお前は行け。その言葉に桐士は渋々ながらに従った。そっと蒼井の身体を横たえ、半ば乱暴に忠通を引きずっていった。
一人残された宗玄は、既に意識のない蒼井に向き返った。
「青助・・・。お前は本当に運がないな」
生まれも、人生も。この男は何一つ恵まれていない。
「本当ならお前は・・・」
その言葉に続きはなかった。それは言ってはいけないことだから。
宗玄は口を噤み、ただそっと蒼井の身体を抱えるのだった。
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