一話 人殺
夜の江戸に灯籠が揺らめく。
街の中心部、一際にぎわう屋敷に、ひらりと人の形をした影が二つ降り立った。
「・・・お命頂戴する」
突如、音もなく目の前に現れた影に、屋敷の主人はおののいた。逃げ出そうとするその背を切りつけ、冷たく見下ろす。
「その目、お前は!」
一閃。生温かいしぶきが、細身の影の身体を朱く染め上げた。主人は言葉の続きを言うことなく、ただ静かに足下に転がっているだけだ。
物言わぬ屍の中、それを冷たく見下ろす影の目だけが炯々と蒼く輝いていた。
ぴちゃりと足下で水が跳ねた。
「冷たっ」
真っ白な長襦袢を着た青年が、井戸から水をくみ上げては自らの頭に掛けていた。よくよく見ると、青年の瞳は一枚の布に隠されており、何も見えていないようだ。
しかし、それをものともせず青年は水をくんでは頭からかぶっていた。
「・・・っ」
水の冷たさに白い肌が粟立つ。長い髪は背に貼り付き、雫が音もなく滴った。冷たい水は身体の奥まで染み渡り、心まで凍るようだ。
「青助」
自らを呼ぶ声に、桶を手放し振り返った。自らを蒼井ではなく、幼名である青助と呼ぶのは一人しか心当たりがない。
「宗玄さま・・・」
「また沐浴か」
静かに佇む主の気配に蒼井は身を固くした。宗玄は無機質な声で問う。
「任務の後はいつもそうしているな」
任務という言葉に蒼井は苦虫を噛み潰したような顔をした。
使用人のそんな表情に宗玄もまた苦笑しながら、その労をねぎらった。
「昨日はご苦労だった」
「恐れ入ります」
主からの気遣いの言葉を、蒼井は素直に受け入れることができない。
蒼井の仕事は人殺しだ。昨晩も人を殺した。もう何十人、いや、何百人も殺してきた。今更とは思うが、それでも蒼井は人を殺したことに対する主からの賞賛を受け入れがたいと思っている。
例え、殺した相手が社会を腐らせている悪党であってもだ。
「青助、人を殺すのは嫌か?」
不意に蒼井の心の奥を見透かしたように宗玄は言った。そんな問い、無意味であるはずなのに、それでも宗玄は問うた。
「好き嫌いの問題ではないと思います」
ほんの少しだけ口篭もりながら蒼井は応えた。
「人を殺すことに、ためらいはありません。これが、私の仕事ですから。・・・ただ、血が。どれだけ洗っても落ちないような気がして」
だから、いつも仕事の後は沐浴をする。
もはや一種の強迫行為だった。生温かくぬめりとした感触を振り払うように、一心に水を浴びる。人を殺す度に行われるその行為は、戒めにして浄化だった。
「そうか」
宗玄はそれ以上何も言わない。布に隠された蒼井の瞳。そこから何かを読み取ろうとするようにじっと見つめているだけだった。
「・・・・・・」
蒼井はその見えない目線から顔を逸らした。宗玄はまた、小さく苦笑した。
「夏が近いとはいえここの水は冷たい。ほどほどにしておけ」
煮え切らない部下の様子に、それだけを告げて宗玄はその場を離れていった。
「・・・はい」
初夏の風が吹く。あまりの寒気に全身が震えた。言われてみれば少し、熱っぽい気がする。身体も少し怠い。
「風邪でも引いたかな」
風邪など宗玄に迷惑を掛けてしまう。
蒼井は濡れた着物を着替えるために、自室へと急いだ。
次の話から毎月一日更新となります。
今年から受験生なのでかなりスローな投稿となりますが、ご容赦ください。