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廃ビルに居座る幽霊 下

 ――敵意の塊が眼前へと迫る、とは一体何だったのか。

 なんというか格好悪いことこの上なく、感じていた敵意って何だったんだという疑問。


「くじょぉぉぉう、いっしゅぅぅ。貴様よくもぉぉぉもご、ぐおうっ!?」


 前言撤回。

 確かに敵意は向けられていたが、その原因でもある名も無きゾンビの長には遠慮なしに顎へ狙いを定めて蹴り上げ、そのままの流れで踵落としを決めさせてもらった。顔は見えないが、たぶんあの人だろう。

 しかしなんだこれは、と九条は改めて状況を整理した。

 随分と面倒なことになってないか? 不確定要素ということがあったとしても、今回の場合は些か偶然に偶然が重なり過ぎやしないだろうか。


 背を仰け反らせたまま、ゆっくりと元の姿勢に戻る小鳥の様子。これはその、十中八九憑依されたと認識しても間違いはないだろう。

 風華さんは『これといって難しい類の霊ではない、そなただけで十分じゃ』とかなんとか言ってはいたが、そんな霊は絶対この場にいない。

 偶然に偶然が重なり、何故か小鳥のファンクラブまでこんな場所で集まって何かをしていた。

 小鳥がたまたまこっち方面に走って来て、何故かタイミングが良かったかどうかは分からないが乱入してきた。

 ファンクラブメンバーの内在する負の感情を養分に死霊は力を満たし、何故か憑依出来るまでに成長していた。そしてその魂魄は器――小鳥の肉体へと入り込んでいる。


「いやいやいや」


 今日何度目かになる自身へのツッコミも、そんなものは現実逃避のためにあるようなものへと役割を変えている。

 今の状況は決して優しいものじゃない。

 憑依された小鳥。もし憑依した死霊の性格が凶暴だったらと考えると……。


「死ぬわー、これ、死んじゃうワー」


 呪い殺されるとか、憑き殺されるとか生易しいものじゃない。

 全身が複雑骨折で内臓も数箇所破損していて、終いには内出血がどうのこうので撲殺死体となって発見される。

 ……リアルだ。

 なんかそういう情景が思い浮かぶ辺り、これはフィクションとかじゃなくて、現実味があって嫌だ。


「小鳥はだいじょう、ぶじゃないよな」


 頭を下げ、黙秘を続ける小鳥の表情は見ることが出来ない。

 そして仮に小鳥に憑依している死霊をまずは小鳥の肉体から取り剥がすとして、必要なのは接触。しかしこういう時に限って辛いなと思うのはリーチの無さ。風華さんのように飛び道具を精密に練ることが出来れば苦労はしない。

 しかし、今の九条に出来るのは自身の蹴りに気を纏わせるだけだった。

 対して小鳥は一撃で相手昇天させるだけの威力を持った竹刀持ち。正確には竹刀に特殊能力があるとかではなく小鳥自身が凄いだけなんだが、そのように捕らえても問題はないと判断してもいいだろう。


「……」


 足と竹刀。リーチの差は当然竹刀が勝っており、更に休むことなく身体を動かしていたため限界も近い。既に筋肉が悲鳴を上げているのを軽く無視しつつ、動かしているのが今の現状だった。どこまで動けるか保障も出来ない。


「こうかい、したくない、です」


 小鳥が、いや、小鳥に取り憑いた何かが声を発する。


「まだ、いってない、それに……せん、ぱい?」


 せんぱい。その声は小鳥が発したのか。それとも取り憑いた何かが発したのか。それは分からない。

 顔を上げた小鳥は小鳥であって、小鳥じゃなかったから。

 そこにあったのはいつもにこにこと笑っている小鳥ではなく、今にも泣きそうな顔をした小鳥だった。

 まるで足腰に力が入っていないかのように力なく、ふらふらとした足取り。

 それでも、こちらに向かってくる様子に九条は恐怖し、困惑した。


 一撃。


 それが最初で最後のチャンスだろうか。

 仮にこの一撃を決められなくてもまだ放てるかもしれない。だがそれは無意味な一撃が増えるだけ。数を増せば増すほど、こちらの動きは鈍くなる。

 小鳥の右手に握られている竹刀を凝視する。

 小鳥に危害を加えるのは正直抵抗がある。それでも、憑依したからこそチャンスでもあった。

 精神操作ではなく、死霊本体が小鳥の肉体に入っているのだから。

 今回は先程と違って意味ある一撃が出せる。少なくとも人の身体に則った物理法則しか行えない。懐に入ってさえしまえば、きっと決められる。


 ふらり、ふらりと。

 一歩一歩着実に歩みを進めてくるその様子は、まるで全てに絶望した少女のよう。竹刀を持つ右腕は、動かない。

 まだ。まだ。まだ。

 意識の全てをこれから襲い掛かるであろう竹刀へと向ける。だが腕はだらりと垂れ下がっており、硬いアスファルトからは先端を引きずる摩擦音しか聞こえてこない。

 放たれる一撃さえ交わせば――そう意識しているが故に、九条は気づかなかった。


「……え?」


 乾いた音。それは突如して小鳥の竹刀が手から離れたことを意味していた。

 一瞬の困惑。一瞬の疑問。一瞬の唖然。

 竹刀にばかり意識が向いていたが故に、それが小鳥の手から離れたことで身体がほんの一瞬、硬直してしまい、


「……せん、ぱい。わたし」


 ぼふっ、と腹部に感じる温かい感触と、身体が傾いているという知覚情報。小鳥が抱きついてきているんだ、と脳が追いついた時には、


「――ッ!」


 硬いアスファルトに九条の背は打ち付けられ、押し倒されていた。

 これはマズい。

 そう思えど身体は既に動かない。ナニか、不可視のナニかに両腕は押し付けられていて、腹部には小鳥が、いや、小鳥の器をした死霊が身を重ねている。

 男ならこういう状況は、普通であれば嬉しいのかもしれない。だが今回は状況が状況にして、更に命に関わることときたもんだ。


「小鳥、気をしっかり持ってくれ」


 懇願する声も、小鳥には聞こえているのかいないのか。九条の腹部に顔を埋めていた小鳥は顔を上げ「せんぱい、わたし、わたし……」と声を発する。小鳥はだらりと垂れた右手をゆっくりと持ち上げ、九条の頬へと伸ばしてくる。そして、


「やっぱり、みりょくないですか?」

「……へ?」


 九条の頬にそっと手を当ててから顔を近づけ、そんなことを言ってのけた。

 襲われるとか、そういった緊迫感を全て無視したかのように瞳に涙を浮かべ、頬を赤らめる様子を見るなら普通の女の子でしかなく、なんというか、嗜虐心をそそられる。

 暫し間の長い思考時間。

 しかしいくら考えても結論は出ず、ちょっと待て、と思うばかり。


「……」


 頬を優しく撫でられ、瞳と瞳が交錯する。小鳥の赤く染まった頬は更に赤くなり、瞳は細く、うっとりとした表情に。口から僅かに零れる吐息は時を増すごとに早くなり。これはその、予想していなかった方向に危なくなってやしないか、と九条の身の毛がよだった。


「小鳥、じゃなかった。小鳥に取り憑いているお前! 名前は知らないけど俺に何しようってわけ!?」

「ひっ、ふぇ、ふぇぇぇぇん」

「……」


 泣かれた。なんだこれ。

 涙目になったかと思えば泣き始めて、今度は九条の胸に「ばかばかばか」とか力の込められていない拳を打ち付けていた。


「なんじゃ、まだ片付けておらんかったのか?」

「……は? 風華さん?」


 視覚は固定され、その姿を見ることは出来ない。ただ、目の前にいる小鳥が瞳に涙を溜めて「ひっく、ひっく」と嗚咽を鳴らすばかりでどうしようもなく。この際ご都合主義とかなんでも良く、ただ風華さんが来てくれたのは助かった。歓喜の叫びが九条の脳内でガッツポーズを連想させる。ほんと、風華さんが来てくれて助かったん、だよな?


「そこにいるんですか!? その、助けてくれま――」

「それにしてもなんじゃ。まだ断り続けているということは……。そなたは、もしや相当の女垂らしだったりするのかの。それともただの奥手、かの。男に興味があるなら考えるが――」

「……はい?」


 なんだ、いろいろ侮辱されたような気もするけど待って、風華さん。その前になんか言いませんでしたか。


「そやつの名は雨宮京子。ここで死んだんじゃがの、未練そのものは簡単に解決出来そうじゃったからそなた一人で行かせたんじゃが」

「ちょっと待ってくれません? 話が見えないんですけど」

「この場所を考えればすぐ分かるであろう? しかもそなたと年齢は近いのじゃぞ? らっきーではないか」


 らっきー。ってそれはまぁ置いといて。

 ここ、ホテルの廃墟。

 周囲、ホテル街。

 ホテルの廃墟それ即ちこの場所も以下略。

 そして未練は、なんというか、目の前の小鳥を見てから想像出来るだけに、辛い。

 しかしその一方で不明な点もあるのも事実であって、


「あの、風華さん? その答えが仮に俺の考えていることだとして、こいつには精神操作の類しか出来ないって言ってませんでしたか?」

「ふむ、そなたが何を考えているかは分からぬがその件は詫びよう。嘘じゃ」

「う、嘘なんですかっ!? 俺があんなに頑張って肉体労働したっていうのにそれを風華さんは易々と踏み躙ちゃうんですか!?」

「肉体労働とな……? ふむ、そういえばちらほらと人が転がっておるな。もちろんこれは無関係じゃぞ?」

「……じゃあ、その。ここって廃墟じゃないですか。仮に憑依出来るってか、もうされちゃってるんですけど、これも風華さんが仕向けたことで?」

「ん? おお、よう分かったな。そこの娘が」

「ひっく、ひっく、せんぱい、わたしって、やっぱりみりょくないんですよね、ふぇぇぇ」


 風華さんが続けて発しようとした言葉を遮り、腹部から押さえつけてくる小鳥(の姿をした謎の少女?)が泣き喚く。


「だぁーーーっ! 泣くな、泣くんじゃないって!」

「おぉ、おぉ、おぉ、なんじゃ。雨宮とやらとそこにいる娘との相性はばっちりということかの? 軽く同化しておるではないか」


 尚も面白可笑しく煽ってくる風華さん。変な力が働いていて、全身は金縛りにあったかのように動かせない。視界の外ではきっと、この状況を楽しんで腹でも抱えている風華さんがいるんだろうと九条は思った。いい加減にして欲しい。その姿を想像すると、無性に腹が立ってきた。文句のひとつでも言ってやろうと九条はまくし立てるように口を開いた。


「風華さんも風華さんです! 風華さんが来なかった理由も自分がしたくなかったからという理由であって俺も当然そんな大事なこといきなりはしたくないんですって!」

「早口言葉は妾には聞こえぬのよ。ほれっ、さっさと済ませぬか。先の会話を聞くにどうやらその娘はそなたに気があるようじゃし。見て欲しくないというのなら、暫しこの場から離れるがの」

「そーいう問題じゃなくって! っていうか先の会話っ!? 風華さんちょっと前から来てたんですかっ!?」

「うむ、先ほど遮られてしまったが、そなたがここに来る前からの。そこの娘が大声で『一蹴先輩大好き』と商店街で叫んでおったのでな、ちょっと連れてきた」


 ちょっと連れてきたって、風華さん。何考えているんですか。商店街で大きく叫んでいる小鳥もどうかと思うが、これではまるで――。


「風華さんが全ての元凶ッ!?」

「そうじゃよ」


 即答だった。


「ちょ、ちょっと!」

「では、後は若いもん二人に任せるかのぅ」

「お見合いか! って違う。風華さん、ちょっと待って!」

「ふむ、そなたは妾の身体が欲しいと申すのか?」

「えっ……だーかーらーッ! 何でそうなるんですか! でも、ちょっと、ふ、風華さぁーーーん!」


 いかんいかん。思わず反射的に頷くところだった。(すんで)の所で我に帰り、抗議の声をあげるが全ては柳に風。


「ふぇぇぇん」

「だぁーーーっ! お前は泣くなっつってんだろ!」


 わいわいがやがや。楽しくもないのに賑わっているわけだが、結局は何も進んでいない。

 マウントポジションを維持している小鳥――じゃなくて、雨宮って人は今も泣き続けていた。

 風華さんは、相変わらず姿が見えず。入り口付近に立っているのか目線を動かせないの詳しいことはわからない。


「はぁ……」


 しかし、なんだ。こうして見るべき対象が小鳥しかいないとなると、これは本当に、故意にとかじゃないんだけど、注目する箇所も固定されていて。小鳥も案外可愛い類なんじゃないのか? と思ってしまう。流石にたん付けするのはどうかと思うが。

 背は小さくて、俺に乗っかってるはずなのに全然体重は感じなくて、でも、微量ながらもやっぱり出るところは出ているというか。「ひっく、ひっく」と泣きじゃくる様子は保護欲をそそらせるというか。


「なんで、しんじゃったんですか……けんご、さん……ひっく」


 小鳥が――雨宮さんが口から漏らす言葉はどうやら人の名前。


「きす、さえ……してなかった、のに……」


 って、おい。けんごって誰か知らないけど、キスもしてないのにこんな所連れ込むって相当のアレだな、とか思っていると、


「こわかった、けど、ひっく……はじめて、さそったのに」

「ってあんたが誘ったんかいっ!」

「ひっ……!」

「そなた、怖がらせてどうするのじゃ」

「風華さんが言いますか!?」


 あぁ、なんだ、これ、泥沼……? 泥沼なのか。そうか。そりゃそうか。進めば進むほど深くなって出られない雰囲気だし。このまま進むと何時終わるか分かんないし。

 そっと、腕を動かしてみようと肩に力を入れる。普通に動く。風華さんが何かしたのか。それとも雨宮さんが力を抜いたのか。それは分からなかったけど、先程までビクとも動かなかったのに今は動いた。そして、それが分かれば十分だった。その腕で俺の上に跨っている小鳥の身体を突き飛ばすでもなく、


「……」

「……ふぇ?」


 慣れないことを自分でもしていると実感。左手で小鳥の後頭部にそっと添えて。余った右手を小鳥の腰に添え、抱きつくような形を取って、


「その、怖がらせてごめんなさい」


 九条は弁解を図るため、そして安心させるための行動をした。

 とりあえず宥め、抱きしめてみてから。

 これは小鳥に言っているか、雨宮さんって人に言っているのか。

 一つの身体に二つの意味って、物凄いややこしいことになっているんだと九条は改めて実感した。触ってみて改めて、小鳥は小さかったんだともう一つ実感する。

 いつもテンションが高く、元気な後輩のもうひとつの側面。

 別に永遠の別れとかで流れる回想シーンとかではなかったが、なんとなく、こんなことを考えてしまうのは九条が心のどこかで決心したからなのだろうか。


「こっちとしては早く成仏して欲しいんだけどさ、その、雨宮さんだって未練とかあるだろ? だから、その」


 なんと言えばいいのやら。九条自身にもまだそういった経験はなく、まさか直接ストレートにシてさっさと成仏してくださいとも言えず。


「も――す、――で」

「ん?」

「もうすこし、このままで……おねがいできます、か?」


 遠慮気味に口から零れる言葉。全身の力を抜いて、九条へと身体を預けているのは安心したからか。

 落ち着きある吐息。胸部に感じる、柔らかな感触は……あぁ、これは仕方なくやったことで、俺が望んでやっているんじゃない。と九条の理性の壁を崩壊させるに足るものは静かに上下している。

 静かになって、首を軽く曲げてみる。ここは埃っぽく薄暗い。そして、入り口付近では風華さんが壁に背を預け、静かな笑みを浮かべていた。


「……なんですか」

「いや、覚悟出来る男は格好良いのうと思ってな」


 からかわれた。風華さんらしい言葉だったけど。

 小鳥――雨宮さんが顔を上げた。その小さな口から発せられるのは「なまえ、おしえてもらえますか?」という落ち着きある声。


「九条、一蹴ですけど」

「くじょう、くん? わたし、ね。ばかみたいだった。かってにあせって、かってにしんで、……しんでからも、ずっとこのばに、さ。のこってて。ひとのぬくもりもしらないで、その、すっきりした」

「……そう、ですか」


 雨宮さんが喋っている内容は正直理解し難かった。でも、言いたいことは何となく理解出来て、人の温もりって、何なんだろうなと改めて思う部分もあって。

 それは周囲の環境にいろんな人が居て、小鳥とか、風華さんとか、嫌だと思える時があっても逆の場合があるっていうか。そんな感じ。自分でも理解不能。でも、そんな時も偶にはいいんじゃないと思える自分も居たりして、


「その、めいわくかけて、わるかったから、ね」


 距離あった小鳥の顔が、ふと近づいて、頬に軽い感触。キスされたんだと気づいた時には慌てる間もなく俺自身が困惑していたというか、それ以前に小鳥の身体にまったく力が入っておらず、全身を使って支える方に意識を向けていて、

 ――バイバイ。

 と最後に聞こえた気がして、まるで何事もなかったかのように、再び周囲に静寂が訪れていた。


「いや、マジなんだったの……。ちょっと風華さん?」

 小鳥がズレ落ちないように支えたまま、九条は大きくため息を吐いた。

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