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廃ビルに居座る幽霊 上

「思ったより遅くなっちまった」


 キャップ帽を深く被り直し、九条は呟いた。

 一度家へと帰り、学生鞄を放り投げるところまでは良かったと思う。

 なのに気がつけば溜まっていた洗濯物を洗濯機へと放り込み、待ち時間に掃除機をかけて、ついでに夕飯の仕込みまでやってから家を出ていた。夕飯の仕込みは完全に蛇足ではあったが、今月は金銭面で結構ギリギリなのだ。昨日、小鳥の存在を気にして外食にしたのが何より辛い。


「これは失敗出来ないなぁ」


 上沼高校では生徒の自主性を尊重するという名目のためか、用意された学生寮や学生アパートにも(学生マンションを借りる特待生や一部のリッチメンを別として)食堂という概念がない。昼は校内食堂を利用すればいいのだが、朝と夜は各個人で作るか惣菜を買うかしなければならず、何かしらとお金がかかる。

 九条の家は裕福とは言えない中流家庭なので、最低限の仕送りしかされていない。足りない分は自分で稼げの精神であるため、こうしてバイトを入れているわけではあるのだが。

 収入が安定しなかったら本末転倒だよなぁ、と九条は空を眺めた。


 ネオンの光に遮られ、夜空を光る星光は些か弱々しい。そして目の前のビルには工事用のシートが掛けられていた。

 倉橋本家からのお願い。個人の依頼。どちらにしろ、普通の生活ではまず関わりにならないであろう事象現象。

 一体何をどうすれば幽霊と関わりになるんだろうか。過去の自分に何故信じていなかったなら、肝試しに参加したのだと詰め寄り叱ってやりたい気分だった。


「さっさと除霊しますか」


 廃ビルに巣食う精神感応型と言えば、去年の六月以来のことだ。あの時は期限間近で、しかも入り口付近で男女三人組が揉めていたから介入したが、精神よりも肉体的にしんどかった。お金の為とはいえ、あんなことに関わりになるのはもうごめんである。


「小鳥もあの子くらいお淑やかなら可愛げがあるのに」


 腰辺りまで伸びた長髪の黒髪が印象的だった。前髪を隠して、まるで日本人形のような造形で、映画の帰りなのかパンフレットを握り締めていていたはずだ。おとなしく、礼儀正しい。活発で口うるさい小鳥とは正反対である。

 それに比べて今回はずいぶんと楽そうだ。明日の夕飯は何にしようかなと思いを馳せながら、九条は廃ビルへと歩み出した。

 


 さて、肝心の除霊法なのだが。

 そもそも除霊法というのはそれを行う人によって異なりを見せるものであり、その方法は千差万別という種類が存在する。

 生人と死人。

 その違いは生きているか死んでいるかという点では、はっきりとしている。しかし魂魄という概念では両方とも生きているということになるとは風華さんの言だった。その辺の難しい話は理解できなかったが、つまりは魂を意味する魂魄が除霊には重要となるらしい。

 そもそも魂というものは死んだもの特有のことではあるが、生きた人間にもそれは当然あるわけで、魂が肉体という器に入っているという違いでしかなく、


「なんでこんな面倒なことになってるんだろう、と考えても解決策がこれといって浮かぶわけもなく」


 九条は蹴り続けていた。

 誰だ、今回はずいぶんと楽そうとか言ったの。五分前の俺だよ! とボケツッコミしても反応する者は誰もいない。

 上段、中段、回って、更に一撃。

 次々と倒れていくのは人間。もちろん幽霊とかじゃなく、生きた人間。そしてその奥にいる半透明の存在を見据える。

 三階奥のエントランスに居たのは薄紫色をしたガス、という表現がぴったりくるのだろうか。

 形は定まっておらず、アメーバのようにうねうねと動かしながら存在するそれは、正直、見ていて気持ちのいいものではない。


 対象を確認次第、九条は除霊を進めようと(こん)を意識して左足に力を貯めた。その一撃を放とうとして、背後から襲われたのだ。

 生きた人間に。

 間の伸びた声を発してくるその存在に、身体が勝手に反応して蹴り出していた。

 柔らかい肉の感触。そして「ぐへっ」という声が聞こえたが、これは正当防衛なんだと言い聞かせた。

 だが良く見るとそれは全員が灰色のローブを纏っているものの、ちらちらと見える制服は上沼高校のもので、


「小鳥たんをー」

「返せー」


 こんなことを言っている。

 なんだこの、とりあえずゾンビ化してみました集団。

 しかも軽く二十人は越えている。

 何人かは見たことある連中だっていたし、上級生下級生入り乱れて男女の隔たりなく存在している。


「はぁ」


 自然と出てしまうため息と同時に一度肩の力を抜き、九条は再び身構える。

 それにしてもさて、どうするか。

 この連中がいたって除霊は出来る、と思う。

 風華さんが除霊する時に、己の魂魄の一部を弓と矢として顕現させるみたいに……もっとも、九条にそんな高度な技能は出来はしない。

 九条に出来たのは精々蹴りに気を込める程度だった。足全体に魂魄の一部を纏わせて相手に一撃を与える。内側に衝撃を与え、内から外へと追い出すイメージ、だったのだが。


「だぁーっ! お前ら正気に戻りやがれぇぇぇっ!」


 蹴る。蹴る。蹴る。起き上がる。起き上がる。起き上がる。即ち無限ループ。

「ぐえっ」とか「ふがっ」とかそれっぽい台詞を言いながら、九条を囲んでいるゾンビ生徒達は足から放たれる一撃を浴びて倒れていく。倒れた瞬間を狙ってその人垣を乗り越え、新たに陣地を構え応戦するも、さっきの繰り返し。

 結局のところ、精神操作しか現世に干渉することが出来ない類の死霊は人がいなければ簡単に対処出来るのだが、こうして人が集まってしまうと性質が悪い。憑依しているわけでもなく、対象者の注意をこちらに向けているだけなのだから。憑依などとは無関係。霊にまったく干渉出来ず。


 そもそも精神操作というのは、内的要因である死にたいとか、なんとなく電車が来ている踏み切りに飛び込みたいとか。心の奥底にある感情、或いは無意識に思ってしまうことを働きかけて、指方向性を与えてやるということしか出来ないはず。対象者を思うがままに操るなど不可能なはずなのに。


「小鳥たんをー」

「返せー」


 現に九条は襲われていた。

 そもそも、その意識的に向いている対象が九条自身であって、しかも目の前の全員が向けてくるというのは恐怖を通り越して怒りが込み上げてくる。

 小鳥たんを返せとか言ってくる連中に対して、九条の知る限り心当たりはひとつしかない。

 椎名小鳥非公認ファンクラブ。

 そんな存在が学内にあるという噂は聞いていたし、時より闇討ちしてくる輩もその一部だとは思っていたが、まさかこんなところで集会か何かは知らんが集まらなくてもいいではないか。そんなにお前達は俺を心の奥底から憎んでいるのか、えぇ、どうなんだよ!


「小鳥たんをー」

「返せー」

「いい、加減に、しろッ! う、っとう、しいッ!」


 まずは最も近くに居たやつ目掛けて胸部に一発。近づいて図体の大きいやつ目掛けて腹部に掌底を食らわし、距離を取った所で左脇腹への回し蹴りを食らわしていく。間を空けずに背後から襲い掛かるゾンビ生徒三人組へそれぞれ一発ずつ。薄暗くて相手の容姿とかあんまり分かんないし、気配だけで反応しているから精神的にもきつい。しかもその数一向に減らず。蹴り放った数は数え切れず。今まで二十人強を蹴り倒し、意識を失くしたのが八人いるかいないか。外からの薄明かりしか便りにならない視界の中、正確な数までは分からないが正直……ほんときつい。


 むくり、と再び立ち上げる数が四つ。更に光が届かず、真っ暗な暗闇から現れる影が五つ。ゴールの見えないマラソンもそろそろ終盤かと思えど、先程から相手にしている数は一向に減る気配もない。


《アナタガ、イマオモ……ウコトヲ》


 直接脳に響くような、甲高い声。この世とあの世の狭間を彷徨う死霊の声は、二年前の俺とは違って今では随分とはっきり聞こえている。


《コウカイ、シタクナイ……》


 まったく、ホテルでどんな死に方したかは知らないけど、こうも人様に迷惑をかけてもらっては流石に困る。というか、後悔したくないとか言っているなら、こいつらに何吹き込んだらこう、「小鳥たんを返せー」に繋がるわけ? 物凄い私利私欲じゃないか。馬鹿馬鹿しい。


「だぁーーっ! おい、お前。お前だよ、そこでなんか変なオーラ出しているヤツ。いい加減素直に成仏しやがれって!」


 向かってくる人集りの誰に言うでもなく、最早聞く人が聞けばただの投げやり口調。自棄(やけ)になっているだけだと九条自身でもわかっていた。しかし、こうも同じことの繰り返しにして、本当に「小鳥たんを返せー」とか言っている連中に囲まれて押し潰されたりでもしたら、その、


「…………」


 呪い殺される以前に人として生きていけなくなる気がして仕方がない。いや、矛盾しているけど。それに本当にゾンビのように感染するとかはしないだろうけどさ。

 この空間の奥は光も当たらない真っ暗闇。しかしその中に見えるのは淀んだ空気というか、排気ガスが一定空間を彷徨っているような、そんな場所に存在し、この廃墟と化したホテルを支配領域に生き続ける死霊は無反応。しかし、


「……止まっ、た?」


 不意に、気配が消えた。俺を取り囲んでいたゾンビ生徒達は動きをも止め、ただ静かに、まるで先程まで何事もなかったかのような静けさがこの空間に帰ってくる。


「ふふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふふふ」


 ――しかし、それは唐突に破られた。不気味に笑う声あり。というか、その声は何処か聞いたこともあって、

「くじょぉぉぉう、いっっっっしゅぅぅぅぅぅ……」

「……」


 怪しげな眼鏡にすらりと伸びた長身。何も見えない暗闇の奥、見覚えのある声の持ち主が月明かりに晒されようとした時、


「貴様だけはぁぁぁぁっ、貴様だけはぁぁぁぁふごぉうっ!?」

「先輩を虐めるなぁーーーーっ!」


 突如として現れた小鳥の制裁を喰らい、まるで神が定めた噛ませ犬のような扱いを受けて再び奥へと消えた。

 ……じらした割には何がしたかったんだ。名も無きゾンビの長よ。


「先輩っ、事情は分からないですけど、とりあえずこの場は加勢しますっ!」

「いや、それは嬉しいんだけどさ。小鳥、なんでこんな場所いるわけ?」

「ふぇ? 何か言いましたか、先輩」

「……いや、なんでもない」


 ズバン、ズバン、ズババンと音を立て、時に振り下ろされ、薙ぎ入れられる竹刀の威力はとんでもなく。その、比喩とかそんなんじゃなくて――人が飛んでいた。

 ひゅーんどん。ゴガッ、ドゴッ、ひゅーんひゅーん。

 詳しい情景は、この僅かしか照らされていない空間では分からない。しかし、明らかにこれはその、人という範疇から外れたものではないだろうか。耳から伝わる確かな情報は、ひゅーんひゅーん、ドガッ、ドゴッといった半端ない音。

 ……こいつの方が幽霊なんかよりもずっと化物なんじゃないの。


 しかしそんな中、その行動に影響を受けない存在が、何かを企んでいる気がした。

 廃棄ガスのようドロドロとした雰囲気を連想される目の前の空間。

 それが九条の思い込みであればいい。そして、思い込むよりも前に――成仏させればいい。

 幸いこのゾンビ生徒達の意識は小鳥へと向いていた。名も無きゾンビの長が倒れてからというもの、再びゾンビ生徒は動き始めたのだが、今度はその、くねくねと卑猥な指の動きをしながら「小鳥たーん、小鳥たーん」と小鳥の方へと向かっていた。


「きゃぁーっ、近づくな、この、変態っ! 私の、身体はっ、九条先輩にしかっ! あげないんだぁーーーっ!」


 いろいろと不思議なことを口走っているが、これは後から言及するとして。

 頑張れ、小鳥。

 これは恐らく推測だが、こいつらが今思うことに加え、後悔したくないこととは小鳥に関係することなんだろう。何を考えているかは理解できるような、理解できないような。これも試練ってやつだと思うんだ。……きっと。

 近寄りたくない空間目掛けて、足を一歩、一歩と進めていく。

 その際小鳥は……相変わらず。後ろを軽く振り向けば一心不乱に竹刀をぶんぶん振り回していた。型も何もなくただ乱暴に振るうだけのそれは、確実にだがゾンビ生徒にクリーンヒットし、これまたひゅーんひゅーんと宙へと打ち飛ばしていた。最早人間業じゃない。というか、こんなものを防具を上から受けてひび割れだけで済むとは思えない。


「さて」


 薄紫色をしたガス、という表現がぴったりくるのだろうか。

 形は定まっておらず、アメーバのようにうねうねと動かしながら存在するそれは、正直、見ていて気持ちのいいものではない。だからこそ、すぐに成仏させるべきなのだ。


《コウカイ、シタクナイ……》


 脳内へと直接響くような、甲高い声が再び聞こえてくる。でも、


「こんなことで俺達を巻き込むなよ」


《コウカイ、マダ、ソレニイッテナイ……ダカラ、ダカラ……ダカラァァァァッ》


 それは明らかな敵意を持って、それは俺へと向かってくる。だが、それでいい。こちらにリーチとなるべき部分はなく、自身の足腰を利用しなければならない時点でこうなるのが九条にとってのベストだった。

 変にポルターガイストとか、その他外的要因を使って攻撃されるよりもこうなった方が断然いい。あとは安らかに眠らせるだけ。

 ――敵意の塊が眼前へと迫る。

 この世とあの世の狭間を生きるモノへ向けて、今の九条が行える最速の蹴りを打ち放った。左足を重心に、腰を垂直に捻りつつも筋肉を伸縮させて伸ばし放つ一撃は最も得意とする逆蹴り。それはスカッ――と。


「っておい」


 空振りした。

 あれだけ敵意剥きだしてたのに、無視して急浮上しやがりましたよあのアメーバ。


「せんぱーい。やっと全部片付き――ッ」


 後ろを振り返れば、ゾンビ生徒を一人残らず再起不能に陥れた小鳥がビクンッと、海老のように背を反らしていた。

 その光景を見て、思わず背筋にぞわりとした感触が駆け上がってくる。

 憑依された、のか?

 その現象を目の当たりにした時、九条は思った。


「勘弁してくれ」

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