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先輩、待っててくださいね!

「はぅ……美味しい。やっぱり部活の練習後は甘いものです、はむ」


 最早日課となっている、駅前商店街での買い食い。風味堂の大判焼きを頬張りながら、椎名小鳥は駅南に向かって歩いていた。

 口腔内に広がる甘み。頬が蕩けるような粒あんの感触を確かめながら、残り半分になった生地へと齧り付く。


 美味しいよー。美味しすぎるよー。


 あまりの幸せに頭が沸騰し、天へと昇ってしまいそうだった。本当に頬が蕩け落とてしまったのではないかと、頬へと右手を添えてみるが、柔らかな肌は張りを保っている。いつも感じる自慢のぷにぷにとした素肌がそこにはあった。

 家事の中でも料理がまったく出来ない小鳥にとって、夕飯は決まってこの近辺で済ませていた。

 進学校である上沼高校に入学したものの、通学時間を考えると実家暮らしというのは些か距離が遠すぎる。

 幸いスポーツ推薦枠で入学し、特待生としての待遇を受けているので、授業料は一般入学に比べて幾らか割安だった。


 本来は地元の県立高校へ入学する予定だったが、去年の六月になって、無理言って上沼高校(ここ)に入学したいと押し切ったのだ。突然の変更希望を言う両親を納得させるのは大変だったが、進学校として有名だったし、剣道部の雇われ顧問もそれなりの経歴がある人物だった。別に剣道で生涯生きていこうとは考えていなかったので、使えるものは使わないと損だよ! の精神で利用した。授業料が割安な分、一人暮らしが行える学生マンションへの入居を快諾してくれたので、感謝してもしきれない。


「はぁ、しあわせ」


 これで一蹴先輩と一緒に居られたら、そのしあわせは二倍から三倍。二桁を通り過ぎて無量大数に至りそうなくらいその身に感じることが出来るのに、と小鳥は想いを寄せた。


「まったく、高鷲先生も山口先生にも失礼しちゃいます」


 朝の一件。

 あの一蹴先輩がわたしを無理やり襲うだなんて。


「ありえま、せんじゃ駄目なんだよね……。わたしってそんなに魅力無いの? むね、やっぱり胸なのっ!? お母さん、どうしてわたしを貧しい娘にしちゃったの」


 小鳥が自らの肢体を見つめても、それに答える母はどこにもいない。きっと父さんの帰りを待ちながら料理を作り、備え付けられたテレビでバラエティ番組でも見て笑っているに違いない。

 昨日の帰り道で十年もすればきっと、と願望を語っては見たものの、もう成長の見込みがないことは小鳥自身が一番よくわかっていた。なにせ小学六年からまったく、まーったく変わってないのだ。これでまだ成長期が続いていると言い張る方がおかしい。


「でも、引いて駄目なら押してみるしかないわけで……はむ」


 残りを口内へと押し込み、小鳥は押し潰されて親指に乗っかった粒あんをちろりと舐めた。


「んー、一蹴先輩っていくら押しても照れ屋さんだから逃げちゃうし……先輩が襲われているところをわたしが華麗に助けに入って惚れさせる? いや先輩がボコボコにされてる状況がそもそも」


 見たくはない。そんな格好悪い先輩は嫌だ。小鳥の中での先輩はナイトさまなのだ。

 今の先輩を見ていると、不利な状況に自ら首を突っ込むようなことはまずない気がする。厄介事をとにかく嫌って、無難に立ち回ろうとしているように見えるのだ。

 じゃあ、あの時はなんで構ってくれたのだろうと小鳥は首を傾げた。



 去年の六月、友達である紗智を誘って映画を見に行こうとしていた日。

 世間では好評な恋愛映画であり、期待して一週間前には前売り券を購入し、待っていた。しかし紗智は前日になって急用が出来たとかで、行けなくなったと伝えてくる。

 わたし、映画をひとりで見に行くの?

 ひとりで恋愛ものの映画を見ている状況を思い浮かべて、小鳥はそんな恥かしいこと……と思ったが、前売り券は千円もしたのだ。中学生である小鳥にとって、千円は大金である。なら、見なきゃ損だと勇気を振り絞り見に行った。


『はぁ。ジャックとローズみたいな素敵な恋……わたしもジャックみたいな人が彼氏に欲しい』


 終わってみれば、恥ずかしさなどとうの昔に忘れ去り、見入っていた。

 主演男優の頭の良さと冷静さ、愛する女性に対する情熱を兼ね備え、女性のために無私になる潔さが格好良かった。自身は海上で死を悟りながらも愛する女性には地表で生きることを願うその姿。大人の男性はなんて魅力的なのだろうと小鳥は恋焦がれた。

 いつかそんな恋を自分もしてみたい。いい意味で感傷に浸りながら歩いていくと、前からすれ違う人と肩がぶつかってしまったのだ。浸りすぎた余りに周りに意識が向いていなかった。


『あっ、ごめんなさい。大丈夫ですか?』


 振り返り謝ると、そこには年上の男性が二人いた。大学生くらいだろうか。茶髪と金髪、いかにもチャラそうな姿をしている。確かパンク系というのか、服装も随分と派手だった。

 二人は無言で小鳥を見ていた。まるで値踏みするに舐めまわすその視線が不快で、いつでも人の助けが呼べるよう周囲に視線を移した。が、よく考えれば上映の際、席が空いている方がいいだろうと寂れた映画館を選んでしまっていた。この道は大通りとは二本分道がズレていて、人通りが多いとは言えない。見かける範囲でも十人ほどしかいなかった。見る人が皆、関わりになりたくないのか、知らんぷりをしている。


『お嬢ちゃん、ちょっと遊びにいかない? 謝る気があるならさ』

『省吾、お前こういうのが好みなのかよ。ひくわー』


 また随分と変な人に絡まれてしまった。

 小鳥からしてみれば、二人組の青年たちはズブの素人だとはっきり分かっていた。中学三年の時点で大人相手にも打ち込んでいた小鳥にとって、一般人が自分の相手になるはずもなく、当然いつものように軽く追っ払おうと考えていた。体格差では勝てないので、押さえつけられる前に受け流し、投げ飛ばす。それは剣道ではなく護身術であったが、何か剣道に役立つかも知れないと、手広く過去に手をつけていた。

 省吾と呼ばれた金髪頭の青年の手が、手首を掴もうと伸びるのを見て、身を屈めて懐に飛び込もうとしたのだけれども。


『あんたら、俺の彼女になんか用?』



「ただ純粋にタイプってこともあるんだけど、やっぱり格好良かったし、さ」


 誰に言うでもなく、でも出す声は小さくなっていた。

 先輩との出会いは映画館に行った日、その帰り道。

 先輩に一途になったのもこれといって深い原因もなく、単なる一目惚れによるもの。自身の危険を顧みず飛び込んでくれたその姿に、映画内での主演男優の姿を重ねて見てしまっていた。


「格好良かったし、さ」


 思わずもう一回呟いてしまう。あの時、突如として現れた先輩は「俺の彼女になんか用?」って言って、いや普通に対処出来るんですけど……とか思ってはいたけれど。それは当然小鳥にもあぁ構ってくれてるんだなーと理解はしていた。してはいたけど、軽く怪我しながらも追い払ってくれた姿はやっぱり、その、


「格好良かったし、さ」


 あまりの緊張に口下手になり、しどろもどろしながらもなんとか学校と名前を聞き出して、でもそれが進学校だと後で分かって。

 学力では無理なので得意の剣道を利用し、スポーツ推薦まで使って入学したのだから。

 決意の余りに腰まで伸ばしていた自慢の髪を、ばっさりと切ってしまったほどだ。

 それは、人が聞けば呆れる話だろう。でも例え一目惚れでも、時には自分の感性を信じていいのではないだろうか。


「ちょっと、其処の御方」

「……はい?」


 先輩への思い出の感傷に浸っていると、背後から声を掛けられる。

 振り向けば、地球儀がイラストされた薄手のTシャツに、タイトなジーンズを履き込んだ女性がにこやかな笑顔を振舞っていた。


 其処の御方って、わたしで合ってるよね?


 変な喋り方だなと小鳥は思ったが、その顔はずいぶんと整っており、美人と表現する以外の方法を小鳥は知らなかった。後ろでアップにまとめた黒髪に、やや目つきは吊り上がり気味であるが、気品と清楚さを感じさせる。目の前のようなラフな格好ではなく、着物や浴衣を着込んでいればさぞかし絵になるだろう。


「わたしですか?」

「そうじゃよ娘、ちと道案内を頼みたくてな」


 ずいぶんと気さくな人だった。

 いやー、道に迷って困っておったのじゃと二本の指腹で額を小突いている。何をしててもその動作が絵となり、まじまじと見つめてしまう。思わず見蕩れてしまっていた小鳥はごくりと唾を飲むことで我に返った。


「道案内ですか? わたしが知っている範囲ならいいですけど」

「知り合いがの、喫茶美濃屋という場所にいるそうなんじゃが、生憎ここに来るのは初めてでの。知っておるか?」


 本当に随分とへんてこな話し方だなぁ……。


「美濃屋なら知ってますよ。昨日も行きましたし、ここから近いですから案内しましょうか? えーと……」


 なんて呼べば良いんだろうと小鳥が悩んでいると、お姉さんは察してくれたようで「倉橋じゃ」と軽く自己紹介をしてくれた。


「倉橋さんはどこの生まれなんですか?」

「生まれは京都じゃよ。にしてもお主、ちっこいのう」


 アーケード内を抜け、目的地である美濃屋まで歩いていく。こんな喋り方をするには相応の理由があるに違いないと、質問したけれど返しの刃で気にしていることを指摘されていた。


「お姉さんは……背も普通で、綺麗ですね」


 先輩と同じくらいかなと目測して、いつもの調子で売り言葉に買い言葉で返そうとしたが、残念なことにいい言葉が思い浮かばなかった。

 古臭い言葉使いかと思えば、姿着は随分とラフで着こなれており、アンバランスな印象を与えながらも良く似合っていた。

 仕方ないので、むっと顔をいぶかしめる。

 この人は気さくな人なんかじゃない、人をからかうのが好きなのだと小鳥の直感が告げていた。先程までの先入観を返してもらいたい。


「はははっ、褒めんでおくれ。照れてしまうでの。娘も可愛らしいぞ、妹にしたいくらいじゃ」

「はぁ、どうも」


 分かりきったお世辞を受け流して、歩みを進める。大体ちっこいと言われて嬉しいはずがない。少なからずの劣情感に悩まされているのだ。

 ……にしてもこのお姉さん、スタイルいいなぁ。

 ちらちらとその姿を盗み見ながら、十字路を超えて道なりに進む。日は暮れ落ちているので、辺りを照らしているのはネオンの光だけだった。

 そんな中、今朝方問題にあがったホテル街が見えてくる。ここを通り抜ければ近道なんだけどな、と小鳥が目を向けると、


「あれ?」


 私服姿をした一蹴先輩がいた。珍しくキャップ帽を被って、何やら入り口手前でビル全体を眺めているようだった。

 まさかわたしの他に女の人がっ!? と先輩の周囲に目を凝らしてみるが、それらしい人は誰もいない。一体どういうこと? とビルの方へと視線を移せば、工事用のシートが掛けられていた。そんな所に何の用事があるというんだろう。


「どうかしたかの?」

「あ、いえ、えっと」


 歩みが止まり、随分とホテル街の方へ視線を釘付けにしたようで倉橋さんが声を掛けてくる。

 知り合いを見かけた気がして、とは言い出せなかった。何せ今見ている先はホテル街である。そんなところで見かけたなんて言い出せば、先輩の評価が地の底まで落ちてしまう。


「ここ通ると近道なんですけど、どうします?」

「案内してもらっておるのは妾じゃ、好きにすればええ。無理やり連れ込むような百合百合趣味はないでの」

「百合百合って、じゃあ……ん?」


 その言葉は冗談を言っているように見えて、まぁ本当にそっち系の趣味の人ではないだろうと小鳥は結論を付ける。学校でももう近づくなと警告を受たけど、知っちゃこっちゃない。

 流石に女二人で通るだけなら変な噂も立たないと思いたい。わたしは到ってノーマルなのだ。

 それよりも気になるのは一蹴先輩の後にビルへ入っていった集団のことだ。その数は二十名くらい。


 あれって生徒会長だよね?


 薄暗くはっきりと見ることは出来なかったが、先頭を歩く人物は間違いなく工藤先輩だった。これでも目には少しばかり自信がある。見間違えたとは思いにくかった。

 一体何の用事があるんだろう。先輩が先に入って、生徒会長が集団を引き連れて後に続く。呼び出したのは……生徒会長かな。一蹴先輩が厄介事を率先して作り出すのって想像できないし。


 倉橋さんを連れて、問題のビル前を通過する。中を伺おうにも電気は付いておらず、入り口付近のエントランスは閑散としていた。上階へ上がったのか、人の気配も感じない。話し声も聞こえてこない。なんと言うか、違和感の塊のような空間だった。

 でも呼び出したのが生徒会長だとして、何でこんな所に? しかも二十人近く引き連れて……。


「はっ、まさか」


 闇討ちっ!?

 ホテル街を抜け、十字路へと行き当たる。ここまでくれば、美濃屋は左折したを真っ直ぐ行けば誰だって辿り着く。


「倉橋さんっ。美濃屋ならこの先真っ直ぐ歩いていけばありますから! わたし、ちょっと用事が出来たんで、道案内はここまでで。それじゃっ!」

「ん? 娘、これ、もう行ってしもた。――九条の話をしておったから声を掛けてみれば面白いもんに好かれ、いや憑かれとるのぅ。幽霊といい生き人といい。いやあ愉快じゃ。これは笑いが止まらんのぅ」


 倉橋さんが話かけてくるのを無視して、来た道を駆け上がる。

 昨日勘違いしたSM御用達と怪しく光る看板のすぐ隣、工事用シートのかかったビル前へで足を止める。


「先輩、待っててくださいね!」


 あわよくば助けに入ったわたしを見て、先輩が惚れてくれることを夢見つつ、内部へと駆け込んだ。

いいサブタイトルが思い浮かばない…。

書き直してて、大判焼きにするか今川焼きか回転焼き表示にするかで悩んだのは秘密です

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