九条と小鳥の関係
「で、九条? 何があったんだよ」
1限目の古典が終わった直後の休み時間。
目の前の席から半身を乗り出してくるのはクラスメイトの神海俊介だ。神海は九条の机に片腕を乗せると、何か面白いネタでもあったんだろう? と言いたげにその野性味に満ちた視線を向けてくる。短い頭髪をツンツンと逆立させていて、その様子はまるで獲物を狙う獅子のようだった。
「何もないぞ」
「山口のセンコーに呼ばれて1限目を遅刻。これで何もないって言われりゃ、そりゃ詐欺だ」
「詐欺で結構。むしろ俺が詐欺の被害者みたいなもんだ」
「ずいぶんと口がお達者なようで」
小鳥の相手してたら誰だってこうなるよ。
しかし、今朝のことを思い出すとどうにも腸が煮えくり返って仕方がない。
……説明、出来ないよなぁ。
一年下の後輩である小鳥と晩飯を食べに行ったら、何故かホテル街から出てきたと勘違いされて、事実確認のために呼び出されたとは流石に言いづらかった。そんなことを神海に言い出せば、面白可笑しく風潮して回るに違いない。
「なぁ、俺って上沼高校で結構有名だったりする?」
「急にどうした。九条がナルシストだったなんて初耳だぞ」
「違うわ! 朝のことだよ。生徒会長が俺のこと知ってたみたいだからさ」
九条が嘆息しながら説明していると「なに、お前生徒会に勧誘されてるの?」と神海は勘違いしたようだった。
いや、勘違いしてくれるならありがたいんだけどさ。
こいつは俺が生徒会に入りたがる優等生にでも見えるんだろうか。
神海の言葉に対して九条が適当に返事を返そうとしていると、
「そんなわけないか」
先を越されて、神海が評価を改めた。だよなぁ……。
「ああでも、九条が有名かどうかって話だがな。敵は多そうだよな」
確か次の授業は日本史だったよな、と九条が散らかりっぱなしだったシャーペンや消しゴムを筆箱の中に閉まっていると、神海が意外なことを言ってのける。
敵が多い? 何のことだ?
ただでさえ校外では面倒なことに関わっている九条にとって、学校生活ではなるべく平穏に過ごしたいという気持ちがあった。そのため出来る限り問題行動は起こさず、優等生でも劣等生でもなく、生徒間の問題にも触れずに生活してきたつもりである。
「お前、一年の椎名と付き合ってるんだろ?」
それだと言うのに、その敵とやらは小鳥が関係してるらしい。
あいつ、どれだけ人に迷惑かけたら気が済むんだよ。いや、そもそも――。
「付き合ってない」
トントン、と教科書とノートをまとめて机上に叩き、整える。
元気よく反論する気も失せてしまう。担任の山口にも付き合ってないと言ったばかりだ。これでむっとした声が出ないなら、聖人君主にでも成れるに違いない。
「あれだけいちゃいちゃしてて付き合ってないとか。だから敵が多いんじゃねーの」
「はぁ? どういう意味だよ」
「一年の椎名って今じゃ有名だぞ。学内のマドンナを今の副生徒会長とするなら、椎名はその対極、マスコット的な可愛さというか。非公式のファンクラブまであるらしいしな」
あの小鳥がねぇ、と九条はここ半年のことを思い浮かべる。
確かに顔は整っているし、天真爛漫な様子は見ていて気持ちいいものだろう。外面だけのあいつを知っているなら、是非お近づきになりたいと思うのも不思議ではない。
でもあれは性格面が決定的に駄目だ。
その手の情報が疎い九条でもなんとなくわかる。あれを病んでいる……とでも言うのだろう。
というかファンクラブって、マスコットとは言い得て妙だな。
「九条が付き合ってないって言い張るなら、俺が貰っちゃおうかなー」
「おう、いいぞ。そして俺の平穏に貢献してくれ」
「……ほんとに興味ないんだな、信じられんわ」
なら本当に貰ってくれよと神海にお願いしてみると、もう少し発育が良ければ考えたんだがと本気で悩んでいた。
昨日も小鳥に向かって、冗談でそんな話をしていた気がするが、どうやら神海と趣味趣向は似通っているらしい。単にストライクゾーンから離れているだけかもしれないが、小鳥の体型だけで言うなら中学生と対して代わり映えもしない。
九条にも三歳年の離れた妹が居るので、それこそ本当に妹と接しているような感覚にしかなれないのだ。最も、妹である沙織はあんなに暴力的でも口うるさいわけでもないが……。
「こら、九条に神海っ。次の授業のプリント、さっさと受け取りなさいよね」
神海の席の前、つまり九条の二つ前の席から声が掛かる。プリント二枚を二指で挟み、張りを作ってペシペシと神海の肩を叩いていた。後ろから発せられる声とその嫌がらせに、神海が振り返ってプリントを受け取る。
「すまんな、委員長」
「ふんっ。あと委員長って呼ばないで」
気がつけば日本史担当の講師が講壇に立ち、授業の準備を進めていた。
……しかしまぁ、そういうことなのかのかねぇ。
今日の授業範囲をペラペラと捲りつつ、九条は先ほどの話を纏めていく。
結局のところ、どうやら何を勘違いしたか、俺が小鳥と付き合っていると思っている生徒が多いらしい。校内から感じる視線も大半が男子生徒であることを鑑みれば、(一部の女子生徒は特殊な性癖の持ち主としても)つまるところ私怨なんだろう。
まったくもって迷惑極まりない。
別に小鳥は所有物ではないので、じゃあ差し上げますよとは言えないところが残念でしかないが、各々に「いや付き合ってないから」と説明する気にはなれなかった。その場合は決まって「嫌味か」とか、「皮肉か」とか、「小鳥たんを弄びやがって」と言われるに違いない。
「まぁ、いいや」
誰にも聞こえないほどの微量な声で、ぽつりと呟く。
あと二週間程もすれば夏休みだ。そうなれば、都合一ヶ月半はこの状態から脱却することが出来る。
そもためにもまずは目の前の仕事を片付けて、生活資金を蓄えなければならない。
「起立っ」
二限目を告げる鐘の音が響く。日直である男子生徒からの声があがり、授業は始まった。
シーンが飛ぶので分割せざるを得なかった…。
今日中にもう一本あげる予定です