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鷲の演説と小鳥のノロケ

 翌日、九条が上沼高校に登校するとその日は全校集会から始まった。

 体育館の中で、御年六十歳を越えた校長のありがたくも長いお言葉が館内を木霊する。

 話の内容を纏めれば、先週の期末考査お疲れ様。あと少しで夏休みだからと言って気を抜くようなことはせず、勉学に努めるようにとのことだったが、何故もう少し端的に話すことが出来ないのだろうかといつも思う。

 人垣が熱気を産み、館内の温度は増すばかり。セミの鳴く声も、規則正しく、時に大合唱で鳴り響けば精神的にくるものがある。

 九条は左足に体重を預けていた休めの姿勢を緩め、首骨をこきりと鳴らした。


「……」


 セミの音にも参っていたが、さっきから妙な視線を感じていた。どちらかと言えば、後者の方が精神的に辛い。意味がないと思いつつ意識を張り巡らせても、やはり霊的な存在は確認できない。となると、それは生者からのものだ。有象無象がひしめき合う館内の中、一体誰が視線を向けてきているのか。


 めんどくせぇ。


 思わず呟きたくもなるし、ため息を吐きたくもなる。しかし余計なことをすれば担任教師からは後で叱責を受けることになり、余計に目立つ。無用な誤解を避けるためにもここは我慢するしかなかった。

 妙な視線を感じるのは何も今日が初めてではない。

 校内を歩いていれば大なり小なり、日に何回かは感じるし、それが気のせいでないことははっきりしている。


 自意識過剰というわけはない、と思いたい。

 九条自身も幽霊を知覚できるようになってからというもの、害意に対して敏感になっているのだ。間違えようもない。

 流石にこれだけあからさまに挑発されれば、手を出したくなる気持ちも生まれるが、何が原因なのか生憎検討も付かなかった。

 分かることと言えば、その敵対心に似た意識を向けてくるのは大半が男子生徒だというくらい。


「えー、続きまして、来週ある美化活動について生徒会から話があるようです」


 進行役の講師が、館内の隅で控えていた男子生徒へとマイクを渡す。

 彼は堂々とした立ち振る舞いで壇上へとあがっていった。


「生徒会長の工藤鷲鷹(くどうわしたか)です。今回は皆さんにお願いがあって壇上に登らせていただきました。あぁ言い忘れていた。不信任決議ならいつでも受け付けますよ」

「出すやつなんていねーよっ!」


 何処からか飛んできたヤジにどっ、と館内がざわめき、静かな笑みがあちらこちらから湧き上がる。

 工藤は掛けたメガネを人差し指で軽く持ち上げると、(こな)れた様子で音頭を取った。


「静かに。そこのあなたも、褒めてくれるのはありがたいですが、皆の意見が一致するとは限りません。私の政策に不備不満がある場合もありますからね。話を戻しまして、今回は来週の十一日、午後から行う市内での――」


 九条はそんな生徒会長の演説を聞きながら、彼が喋る様子を呆然と眺めていた。

 工藤鷲鷹、三年三組。現理事長の孫息子。

 すらりと伸びる長身に、眼鏡の奥には切れ長の瞳。手っ取り早く分類するなら優男な風貌だろう。

 学力はとても優れ、考査ごとの張り紙を見る限りでは学年順位は常に一、二を争うほどの頭脳を持っている。

 此度の生徒会選挙では学校設立以来NO.2の支持率を叩き出し、教師と生徒両面からの信頼も厚い。


 ただ、九条からしてみれば関わりになることのない人だと思っていた。生徒会に入るわけでもなく、部活が一緒というわけでもない。

 学年も違えば、中学が一緒だったという記憶もない。ないない尽しでまるで関わりはない。それなのに。


「ですので、やる気のある方は奮ってご参加ください。内申点も僅かばかりに期待できるかもしれませんよ。ね、先生方」


 軽い冗談を飛ばす中、その視線が一瞬自分を捉えるのは何故だろうと、九条は臆することなく工藤を睨み返した。

 妙な視線の一つは間違いなく生徒会長である。それなのに、九条には心当たりがなかった。せめて原因でも分かれば突っかかるなり、こちらから謝りを入れに行ったりするんだけども。

 わからん……。

 睨み返すも柳に風。工藤は嫌な顔浮かべず口説を続けていた。まるでこちらのことなど眼中にないと言わんがばかりに、やがて話を纏めあげ、壇上を後にする。


「えー、これで全校集会を終わります」


 進行役の講師が終わりの時を告げた。九条はようやく長時間の開放から拘束されることに安堵する。

 もっとも、一番辛かったのは不快な視線に他ならない。

 再度首骨を鳴らし、脱力した声を出す。


「あの校長、毎回毎回話長いよなぁ」

「そうだな」


 教室に向かおうとするクラスメイトの背を追いかけていると、出入り口で声を掛けられる。なんだと思い、声のする方へ振り向けば、担任講師の山口が手招きしていた。


「先生、どうかしたんですか?」

「いや、先生は信じてるんだがな。その、ちょっとな」


 目蓋を開けているのかも分からないほどの細目に、寂れている風貌をした担任教師の言葉はどうにも歯切れが悪い。九条は(いぶか)しげに首を傾げた。

 信じてるって何の話だ。俺、なんかやったっけ? と近日のことを思い出すが記憶に残るようなことは何もない。


「匿名で報告があったんだ。詳しい話は会議室、は聞き耳立つと不味いか。応接室で聞くから」

「はぁ」


 気の抜けた返事をしながら、九条は山口の背を追った。




「俺がこ――、椎名を無理やり誘って、ホテルに連れ込んだ!?」

「違うんだな?」


 思わず小鳥をと叫ぼうとして、下の名前で読んでいるという羞恥心を隠そうと苗字で呼んでしまったが、問題はそこではない。

 担任教師の山口は一階奥、職員室を抜けた先にある応接室へ入るなり、本題をぶつけてきた。

 とりあえず座れとも言われず、開口一番に言われたのは「不純異性交遊なんてしてないよな?」というものだ。 

 意味が分からない。

 九条は詳しい話を聞くべく話を進ませると、どうにも匿名のメールでホテル街から出てくる上沼高校の制服を着た男女を見かけた。という内容が送られてきたらしい。


 それだけならば九条と小鳥が疑われることがないはずではあるが、どういうわけか『たまたま』通りかかったあの生徒会長が、ホテル街から出てくる二人組の顔を見たというのだ。彼は間違いだと思いますがと前置きを置いた上で、二人の名前を名指しして、念のため全校集会前に職員室に情報を伝えにきたらしい。


「工藤が言うにはホテルから出てきたお前が、一年の椎名の肩を抱きながら歩いて行ったという話だが」

「……確かに昨日あの近辺は通りましたけど、一緒に夕飯を食べに行っただけですよ。肩を抱くどころか手も繋いでないです。そもそも付き合ってすらいません」

「食事した場所は? 制服か?」

「喫茶店の美濃屋って所です。駅南にある裏通りの。もちろん制服ですよ」

「そうか。……まあ座れ」


 山口は今更になって座るよう促してくる。山口が座るのを確認して、九条も腰を落とした。黒光りするソファーは僅かに沈み、その身を受け止める。

 向かい合わせに座った山口はふぅと小さくため息を吐いたが、ため息を吐きたいのはこちら側だった。釣られて大きくため息を吐く。なんだこれ、あの生徒会長何考えているんだ。

 変な脱力感だけが九条を襲い、肩の力さえ抜け落ちる。俺、あの人の癪に障るようなこと何かしたかと本気で考えてみるが、やはり答えは出なかった。


「なあくじょ――」


 ガタンッ。

 山口が改めて口を開きかけた時、応接室の扉が勢いよく横に開け放たれる。姿を現したのは、髪を乱した小鳥だった。

 一瞬、どこから話を聞きつけたのかと思ったが、よく考えると小鳥も当事者ではある。彼女も担任教師に別室で取り調べ的なことをされていたのだろうと推測するが、それにしては行動が速い。


 確か小鳥の担当は女性の新人教師だったはずだ。

 おおよそ言い負かされたか、気の強い小鳥を止められず、逃げられでもしたのだろう。

 九条が冷静に分析し、山口が唖然としている中、小鳥は扉の端を抑えていた。力を入れ込んでいるためか片端が浮き上がっている。どこから全力疾走したのか分からないが、乱れた呼吸を整えようともせず、小鳥は言った。


「失礼します」


 妙に語尾へと力の入ったイントネーションで、小鳥は室内に入ってくる。

 なんというか、怖い。

 この小柄な少女のどこにそんな凄みがあるのか分からないが、完全に場が飲まれていた。

 小鳥は無言で九条の横に座ると、急に大人しくなる。かと思うと、呼吸を整えだした。

 ……あっ、これは嫌な予感がする。


「すぅ……はぁ……」

「椎名?」


 不審に思った山口が小鳥に話しかけようとして、


「あのですねっ!」


 小鳥がクロスカウンターだと言わんがばかりに大声で叫んだ。ちょこんと座った状態から僅かに身を乗り出している。有無を言わせないその様子に山口が口篭もり、九条はこの先に何が起こるのか理解した。

 こういう部分がなければまだ可愛げもあるんだがな、と小鳥を一瞥するが、当の本人は頭に血でも昇っているのか気がつかない。これから襲い来るのは言葉の嵐だ。


「先輩はどれだけ誘っても乗ってこない紳士なんですよ。そんな先輩がわたしをホテルに強引に誘い込んだ!? そんなわけないですっ。高鷲(たかす)先生も高鷲先生です。わたしがどれだけ弁明しても怖かったんだろう怖かったんだろう。脅されてるのってあなたはわたしの親か何かですか。いいですか、山口先生。わたしは昨日確かに先輩とあの通りを歩きましたけど一緒にご飯食べに行っただけです。わたしがパンケーキを食べて、先輩がやきそばとサラダのセットを食べてたんです。わたしの食べるスピードに合わせるためにわざわざ時間がかかっても美味しく食べられるものを選んでくれたんですよ。あぁなんて心遣い。小鳥が俺ににパンケーキ一枚あげますって言ってもいらないいらないって遠慮してくれるんですっ。こんなに小鳥を大事に想ってくれる先輩が無理やり連れ込んだなんて! わたしだったら無理矢理じゃなくても許しちゃいますよ。だいたいですね――」


「なぁ、お前ら本当に付き合ってないんだよな?」


 独りで夢想状態に突入してしまった小鳥を他所に、山口が耳打ちをしてくる。


「えぇ」


 思わず生返事をしてしまう。

 こうなってしまった小鳥は誰にも止められない。現に、この耳打ちしている間も気がついていないのか、喋り続けていた。どこへそんなに話す内容があるのか、尽きることのないマシンガントークを聞き流しながら、山口が身を乗り出して話しかけてくる。


「証言が同じだからと言うわけではないが、あとでその喫茶店に確認が取れ次第一旦は不問とする。こちらも判断を急かしすぎたかもしれん。目撃証拠である工藤にもあとでしっかりと確認を取って、それでも問題ありそうなら再度連絡を入れる。これでいいか?」


 まぁ、学校側としては下手に問題を表に出したくないだろうし、妥協案としてはそんなところだろう。そもそもそんな事実はないわけだが。


「個人的に工藤先輩に言いたいこともありますけど、我慢します。見間違えることくらい、誰にだってありますから」

「出来ればホテル街なんて近づかないに越したことはない。これからは気をつけろよ」


 山口が身を引き、ソファーに深く腰掛けた。その時、応接室の出入り口に影が映り込む。視線を向ければ、小鳥の担任である高鷲先生が、不味ったなぁと三つ編みを揺らして、額を抑え天を仰いでいた。


「山口先生っ。聞いてるんですか! そもそも――」

「お、おう。聞いてるぞ……九条、ずいぶんなノロケ話じゃないか」

「どうして俺なんでしょうかね」


 恋は盲目とは良く言うが、これ程のものなのか。小声で話しかけてくる山口の言葉は嫌味でしかない。

 見知った人に好きだと言われる気持ちも悪くはないが、九条の想い人はあくまで風華である。

 小鳥を愛でたくなる可愛さと例えるなら、風華は頼りたくなる姉御肌な美人さんだ。

 小鳥に関しては妹に構ってあげる兄みたいなもので、恋愛感情があるかと聞かれれば、まぁ悩んだ末ないだろうと答えられる。


「清く正しく、純粋に付き合うなら応援してやるぞ。青春は謳歌するもんだ」

「はぁ、そうですか」

「我が校の生徒だと分からなければ、何でもいいんだ」

「……」


 どっちだよ。そしてなんだこのたぬき教師、と九条はジト目で山口を睨みつけてしまったが、口に出すことはしなかった。

 しかし見られていたのか。念の為に迂回したが、これがもしホテル街を突っ切っていたらもっと大事になっていたわけだ。

 だったら今日は一旦家に帰って、私服に着替えてから出歩く方がいいかもしれない。『たまたま』通りかかったという生徒会長に懸念を抱かずにはいられないが……いや待てよ。そもそもどうして生徒会長は俺のことを知っていていたんだ、と九条は思考を巡らせた。


 小鳥は剣道の特待生として入学しているはずで、全国クラスの実力者だから学内でも比較的有名である。それに対して九条は一般入試で普通に入学した生徒だ。

 生徒会長だから学内の生徒を全員記憶している? 有り得なくもないだろうが、可能性としては随分と低い。そもそも生徒会長との面識など今までないのだ。

 それなのに工藤先輩はこちらを知っていて、名指ししてきた。一方的に知られているということは何か良からぬ噂でも立っているのだろうか。


「その時の先輩ったらもう」


 九条が脳内で唸り声をあげる中、怒鳴り飽きたのか、いつの間にか小鳥の話題は思い出話に華を咲かせていた。照れるような顔をして、両頬を抑えて相変わらずくねくねと身を(よじ)っている。

 山口先生は寡黙に喋らず、高鷲先生はどうすればいいのとばかりに小鳥に声を掛けようとして、しどろもどろとしていた。

 なんなんだ、あの生徒会長。


 悩める九条が解放されたのは1限目のチャイムが鳴り始めた頃だった。

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