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喫茶リコリスでは閑古鳥が鳴いていた

 ドアノブを押すと、カランカランとカウベル特有の乾いた音が鳴り響く。

 九条は息も切れ切れに膝から床に崩れ落ち、小鳥を撒いたことに安堵した。室内を満たした冷気が熱した体を撫でるように通過し、ひんやりとして気持ちが良い。入り口の扉が閉まったあともその感覚に身を委ね、ぜぇぜぇと息を吐く。


「いらっしゃ――なんじゃ、そなたであったか」


凛と澄み切った声が頭上から降りかかる。九条は肩で大きく息を吸いながら呼吸を整えようとして、


「ふ、風華さんも相変わらずというかなんというか。その口調、良い意味で安心感を覚え、ます」

「む? なんじゃ、急に煽ておって気持ち悪い。それにしても今日は随分と息切れを起こしているようじゃが、何かあったのか?」

「いや、ちょっとばかし追いかけっこを」

「ははは、そうかそうか。元気なことじゃな、そなたは」


 先ほどの出来事を知る由もなく、風華さんは顔を俯かせて読書中だった。時代錯誤な口調でカウンターの奥から話しかけ、ちらりとその顔を覗かせる。

 服装は口調と違いこれといって変わりなく、スレンダーな身体に白黒のベストを着こなしていた。

 後ろでアップにまとめた黒髪に、やや目つきは吊り上がり気味であるが、大和撫子と言っても差し支えないほどの気品と清楚さを感じさせる。確か二十代半ばという話だったが、不思議と頼りたくなる姐御肌な女性だった。今から二年前に出会ってからというもの、妙な縁が出来てしまった人。


 店内に客はいない。客が二組まで座れるテーブル席も、六人座れるカウンター席も、この場を包む穏やかな雰囲気のままガラリとしていた。

 黒褐色と白を基調とされ作られた喫茶リコリスは何故か閑古鳥が鳴いているような状況である。その様子をみて、会話の中で落ち着きを取り戻した九条は電話で呼び出されたことに検討を付けた。


「えっと、忙しそうには見えませんし、もしかして今日の用事ってアレですか?」

「今日は依頼ではないがの。これじゃ、これ」


 本のしおりにでも使っていたのか、風華さんは人差し指と中指で一枚の長方形の紙を挟んでひらひらとさせた。

ただ、重みがあるのかぺらぺらと軽い感じはしない。よく見れば僅かに脱色され、紫色となった彼岸花が押し花としてそこにはあった。


 ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年草。学名ではリコリスと呼ばれ、何を思ってかマスターである風華さんが「響きがいいから()いのじゃ」と喫茶店を立ち上げる際、ここから拝借した。

 またの名前を幽霊花――元を正せば風華さんの生家である倉橋本家が、勝手に出て行った者に対する嫌味も兼ねて同封したものらしい。それがいつしか噂を呼び、ここ喫茶リコリスのマスターに彼岸花の押し花を渡すと、幽霊退治をしてくれるという一種の都市伝説が出来上がってしまっていた。


「……あぁ本家の。それで、今回も二人で?」


 押し花状になり小さく揺れる彼岸花を見て、九条は頭を掻いた。

 今回は本家大元からの直々の依頼――とは名ばかりの、(てい)のいい雑用を押し付けられたに過ぎない。

 個人が直接依頼に来る場合に比べて、風華さんの生家でもある倉橋本家の通達は『あくまで自主的に』仕事に励む場合、見返りが少ないのだ。些細なことから大事(おおごと)に関わることまで、少なからず命の危険性のあるこの仕事は安い賃金で容易に身を張れるものではない。

 だから九条はせめて身の安全を保とうと、風華さんに同行をお願いしたのだが、


「いや、今回妾は出ぬからの。本家からの報告を聞くに小物相手じゃし、小遣い稼ぎとでも思っておれば良かろう。詳しい話は奥でするがの」


 あっさり断られてしまう。いや、これも信頼あってのことだと自身を納得させつつ、九条は現実逃避も兼ねて軽口を叩こうとした。


「そうですか。なら今日は疲れてるんで俺が店番を――って風華さん、冗談です。じょーだん。だからそんな冷ややかな目線に殺気を乗せないでください」

「なぁに、殺気で人は殺せぬから安心せぃ。それになんじゃ、いつの間にかそなたも殺気を感じるまでに成長したか。はっはっは、それは良きことかな良きことかな。感覚の先鋭化は怠るでないぞ。じゃがな、先程の言動は見逃せぬな、そなたは妾の恩を仇で返そうとでも?」

「……恩を与えたとか、これっぽちも思ってないくせ――、いえなんでもないですごめんなさい」


 はぁ、と大きくため息。こういうところは小鳥と同じかもしれない。というか女の人って全員こんな感じなのだろうか。

 そうだとしたら嫌だなぁ、と九条は首筋に冷ややかな汗を垂らしていると、カウンターを挟んでコホンと咳払いの音が聞こえた。


「では、参ろうか」


 ぱたんと本の閉じる音に遅れて、風華さんは立ち上がる。

 その顔はさながら、厄介事を押し付けて楽しんでいる童女のような笑みを浮かべていた。



 案内された部屋はこれといって異変なく、普通のリビングのような場所。

 適当に椅子を引いて座ってはみるものの、何度か来ているはずのこの場所に、落ち着きのなさを感じるのは何故だろうと、九条は周囲を見渡した。

 原因は――やっぱり風華さんとのイメージが合わないからだろうか。というか絶対に合ってない。

 口調やら仕草やら、古来の日本人という表現がぴったりなのに洋食物の喫茶店を経営していたり。今いるこの空間も普通に洋式、というのだろうか。普通の家庭にあるキッチンと変わらない。

 白い壁に調理器具。

 西洋風の木目調で作られたテーブルに同色の椅子。


 これが古民家に古式庭園でも持っていて、その縁側で茶でも啜っていればさぞかし絵になるだろう。雰囲気的にもばっちりだ。

 屋敷を飛び出してというからには何かしらの事情があったものだと伺い知れるが、頑なに和を象徴するものを遠ざけている印象に違和感を抱いてしまう。

 しかしその一方で電話よりも直接の会話を好み、メールよりも手紙を多く利用する。機械音痴だが何だか知らないが、ガラケーくらい扱えるようになってもらいたい。

 ガラケー馬鹿にしてるわけじゃないけど……。


「そなた、今妾の悪口を考えておったであろう」

「いえ、そんなことは」


 無意識に緊張していたのか、出てくる言葉は堅かった。

 沸騰したケトルが甲高い音を鳴らし響かせる。風華さんは椅子から立ち上がりケトルを手に取ると、用意していたティーカップにお湯を注ぎ込んだ。沈んだ紅茶の茶葉が舞い上がり、カップの内面を無数の雫が覆い隠す。


「隠さずとも良い。そんなことで妾は怒りはせぬ」

「いや、別に風華さんが怒るのが恐いとかそういうわけじゃ――」

「そなたの心は読みやすい」


 風華さんは茶帽子を取ると二人分に用意された陶器へと注いでいく。慣れた手つきが様になっていて、動作の一つ一つが魅力的だった。

 見蕩れてしまい、思わず釘付けになりそうな視線を強引に逸らす。

 そしていま心を読まれたら物凄い恥ずかしいことになってると気づき、九条は反応するのが遅れてしまった。


「ちょ、ちょっと!」

「冗談じゃ」

「……」


 思わずジト目で睨みつけてしまった。

 冗談にしては性質(たち)が悪い。

 何より、風華さんの話がどこまで本当でどこから嘘なのか。

 この人なら何でも出来てしまいそうなイメージを持ってしまっているがため、底が知れないのが本当に恐い。

 それでも小鳥と接している時よりは安心感を覚えるし、ずいぶんと気が楽だった。

 その一方でミステリアスな風貌も、時代錯誤な喋り口調も、それはずっと変わらない、一種の憧れのようなもの。

 


 九条が始めて風華に出会ったのは二年前の夏休みが終わりを見せていた頃だった。

 八月の下旬。

 九条を含め友人三人が集まって肝試しをしようと行動に移った時のこと。


 深夜、オレンジ色の外套で照らされたトンネルの中を四人が自転車で漕ぎ進む。

 地元では有名な心霊スポットにして、その名も黄泉下り峠。

 トンネルの位置が峠の中枢に当たることや、ここでの心霊現象から名付けられたそうだが、その当時は何の関係もない、眉唾ものな話だと思っていた。

 供養の方法を見る限り九条家は仏教に関わってはいたが、一蹴は無神論者だった。死んだ人間は無になると思っていたし、魂という存在概念も深く考えたことがない。

 生きた人間以外にこの世にいる者などいない。それが中学三年の九条が出していた結論だった。


 それでも肝試しに参加したのは、いないと信じてしまっているが故に本当に現れたら俺はどうするのか、という九条の好奇心に他ならない。

 それは一種の自己矛盾だったわけだが、結果何もなければ「ほら、いなかっただろ?」と軽口を叩けば良かったのだ。たわいのない話を夏の思い出に刻むのも悪くないと思った……のに結果は散々。

 仲間の三人はいつの間にか消えており、その場には九条を除いて誰もいない。こりゃ嵌められたかと軽い気持ちでとりあえず来た道を戻ろうとしていると、ペダルを漕ぐ度に前輪がガクンガクンと音を立てている。


 一瞬、まさかなと思った。首を流れる冷や汗が生ぬるく、心臓はばくばくと鼓動を増していき、動悸は激しく頭がぼーっとする。

 その先に起こる現象は、黄泉下り峠では有名なものだった。

 九条は思わず首筋を撫でた。

 その現象を体感した者は夜な夜な首を締められる夢を見せつけられ、最後は痣が残って――三日後に死ぬ。

 世間一般ではありがちな伝聞で、九条は不安から更に二、三度摩って何もないことを確認した。

 まったく、あいつらどこに行ったんだよと悪態をつこうとして、


 ――首筋に、ぬるりと伸びる手のような感触を感じた。


 それは生温いくせにまるで生気が篭っておらず、感触は感じるくせに重量を感じさせない不思議なモノ。

 背筋がゾクリと震え、身体が固まる奇妙な光景。その当時の様子を傍から見れば、誰が見ても不信に思うだろう。

 何かが背後にいる。その姿を確認しようにも首は動かせず、声も出ない。その癖耳だけは尋常じゃないほどの音を聞き取り、余計な音まで拾い上げてくる。


《――――――》


 理解出来ない言語。耳から伝わっているはずなのに、それはまるで脳へと直接伝わっているような錯覚を覚え、その音を聞くが故に意識が飛びそうになる。

 そんな、辛うじて意識が繋がっていた時に、


「帰らぬか」


 前方に現れた人影は背筋を伸ばし、身体を縦にして、まるで何かを構えているかのような姿勢で威圧的な声を投げかけていた。


《――――――》


 再び、不可視の対象が何かを発する。九条自身は何を喋っているのかはわからない。だが、そのときは目の前で優雅に立ち塞がっていた女性の姿だけが妙に印象的だった。


「こちらもこれ以上犠牲を出されると困るのでな。悔やむなら、今童がこの場に現れたことを悔やむがよい」


 凛とした澄んだ声。

 女性は何かを構える動作を行った後、打ち出し、引分ける。記憶が確かなら、それは弓道の構えに似ていた。


《――ク、キャァァァァ》


 引いた手から矢が見えた。

 頭上を通過する風の矢が、はらりと頭部の髪を撫でる感覚に襲われ、全身が身軽になった。

 それと同時に聞こえなかった声が妙にリアルに聞こえ、断末魔とともに首筋の感触はなくなり、地にぺたりと腰が落ちてしまう。


「お主、お主や、意識は? 怪我はないかの?」


 駆けつけられてから発せられる声はどこか安心できて、九条はぽつりと呟いた。


「ゆ、み?」


 倒れた自転車を元に戻しながら語りかけてくる女性は、九条が何も考えずに呟いた言葉に表情を変え、何かに感嘆するかのような声を漏らした。


「……ほう。お主、あれが見えたのか。軽く憑依されたが故に素質が開花した、のかの。これも今宵の月からの落し物とは、面白いではないか」


 まるで夢のようなふわふわとした意識から現実に帰ってくる。そこには不敵な笑みを浮かべる女性がいて、今更になって九条は状況を理解した。


「え、あれ、俺ってどうしたんだっ――あんた誰?」

「先の雇い主じゃ」



 と、そしてその言葉の通りに今に至る。

 騒ぎのあった以降、一週間という期間ではあったが監禁がまいのことをされ、強引に拉致られ……とはいえ、突然見えないモノが見え、聞こえていなかったものが聞こえれば誰だって混乱もするし、あの時は九条も制御が出来ていなかった。

 それが自身を案じてのことだと内内(ないない)では理解していたため、素直に受け入れていた。


 そんな風華さんも二年前までは京都にある倉橋の本家で生活していたらしい。が、いい拾いモノをしたとばかりに今ではこちら、岐阜の中途半端な市街地に移住している。

 まあ、拾いモノって、者だけに俺のことなんだけど……と九条は脳内で自嘲した。

 元々倉橋本家での生活に嫌気を指していたのか、出て行く口実が欲しかったようだ。

 その点からしてもきっかけさえあれば直ぐ行動してしまうのは、風華という名の如く風のように縛られないことを好む人だと思う。

 それでも、今もなお九条がここから逃げ出したりはしないのは、あの時の恩以前に最後に向けられた満面の笑みが少なからず原因としてはあった。


「……」


 九条は目の前にある顔をちらりと盗み見る。

 つり上がった眼付きに、整った輪郭。凛々しさを感じさせる雰囲気に、後ろで纏めた一房の黒髪が、肩に触れるか触れないかの距離で無造作に揺れていた。

 小鳥の分類を可愛いとするなら、風華さんは美人なお姉さんだ。

 面倒なことに関わりを持ちたくないと思いつつ、唯一の接点を失い難くがないために、面倒事を引き受ける。


「で、今回の死霊じゃがの」


 つまるところアレというのは幽霊退治なわけであり、その最たるものだった。一般人では永遠に関わることのないもの。

 今現在、目撃例が多くなってきた霊がそろそろ本格的に行動するだろうから、事前に駆除しておけよという『お願い』が倉橋の本家から通達で来たわけで。


「今回も資料はないんですか」

「む、なんじゃ、そなたは童にボケてもらいたいのか?」

「……いや、なんでもないです」

「可憐な乙女をからかわんでおくれ。照れてしまうでの」


 これって素なんだよなぁ、と思わず呟きたくなるほど、間が抜けている。でも堅苦しいというか、なんだかんだでこれが風華さんの長所ではあった。

 九条は小鳥との掛け合いを無駄に影響受けている自身に悪態をつこうとして、


「そなた、今度は何を考えておる。色男や」


 ニヤリと笑う顔が全てを見透かしているように見え、風華さんの話がどこまで本当なのか嘘なのか余計に分からなくなった。


「あっ、店に誰も顔出してないんですけど」

「なぁに、扉が開けばすぐ気づく。客など来ないしのぅ」

「いや喫茶店としてそれはどうなんですか……」


 誤魔化そうにも軽く流されてしまう。

 九条は思った。この人と一緒にいる時間は何を言われても楽しいと。

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