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旧作品群

Your zipper is broken and opens.

 東京は成田国際空港から飛び立って十時間。時差十四時間のニューヨークにやってきた。

 時差ボケでかすむ頭を振りながら、ジョン・F・ケネディ国際空港のトイレで身だしなみを整える。前回の取引先ではえらい目にあった社会の窓も、しっかり締まっていることを確認した。しかし微妙に気になったので一度開けてもう一度しっかり閉めた。

 ジィィィィ、と、軽い音がしてチャックが閉まる。それをこれでもかと強く持ち上げて、ようやく安心した。


 空港から、マンハッタンにある営業先まではタクシーで小一時間だ。

 私は英語は堪能な方だと思う。だからこそここに派遣されたのだ。しっかりやらなくてはならない。


 取引先は、ベンチャー企業で今一番勢いのある「M&S」で、会談相手はその若手女社長。Ms.Cameronだ。

 タクシーに乗り込み、目的地を告げてから、ミス・キャメロンについての情報を脳内で整理する。


 年は二九。一八〇の高身長にスレンダーなモデル体型。

 われわれ日本人が最も思い浮かべやすい、外国人スタンダードの金髪碧眼。

 “If you do it as I say, all work succeeds. Therefore it is necessary for you to accomplish my words exactly. Got it?”

 彼女の口癖はこれだ。和訳すると、「私に任せておけば、すべての仕事がうまくいくわ。だから、あなたは私の言うことを聞いていれば良いの。わかった?」こんな感じだろうか。

 この性格だと、下手に出ると相手の言いように喰われて終わるだろう、と就職してからずっと培った取引の勘が告げる。

 丁寧で慇懃な物腰は崩さず、笑顔は絶やさず。されど、相手には譲歩しない。そんな強硬な姿勢が必要だろう。

 今までで一番の難敵に、些細なミスさえ許されないと、否応(いやおう)なく緊張が高まる。だから私は、また社会の窓のご機嫌を確認し、しっかりと上がっていることを確認してから、更に強く上げておいた。

 いつも通りに、いつも通りに事を運べば、この仕事は成功するだろう。緊張しすぎることはない、と、瞑目して深呼吸を繰り返すこと三回。落ち着いた。


 そうこうしているうちに、「M&S」本社ビル周辺に到着する。

 例によって、アポイントメントを取った時間にはまだ半時間ほど余裕がある。まずは、周辺の調査からスタートから始める、その前に、チャックが開いていないかを確認、止めに引っ張り上げる。


 周囲からは時折目線が向けられるが、日本人が物珍しいか、女性陣は私の容姿に注目しているのだろう。それでも声をかけられることはなく、当然チャックが開いているわけではないので、見栄えを考慮して、肩で風を切って颯爽と歩く。私の容姿は武器だと思う。武器は、周囲に対して常に影響を与え続けるのだ。

 たとえば手元に武器があれば、人によってはさまざまだろうが、あるものは葛藤し、あるものは使おうとし、あるものは恐怖するだろう。

 また、例えば包丁を手にしていたとして、それを誰かに刺そうとしたとき、無手の人間と拳銃を構えた人間なら、ほぼ例外なく前者を選ぶ。それは、拳銃が包丁を持った自分に対し影響を与えたからだと言える。同時に、拳銃を持っている人は、包丁を持った人に刺されにくいという安心を得る、という影響を受けるのだ。

 核に対し核をもって抑止力とするのは、その最大の例だろうか。

 だから、私の容姿は、十割プラスの意味で、「顔面兵器」であると言えるのだった。


 そんな益体もないことを考えながら周辺を調査し、細かくメモを取ること数時間。やっと会談が始まろうとしていた。

 ミス・キャメロンの多忙により、場所は「M&S」応接室。クラシックな調度に適度な空調が効いていて、非常に居心地の良い空間だ。この空間を設計した人物とは、仲良くなれそうである。


 社長秘書が、あと少しでキャメロン社長が帰社するので、しばらくお待ちくださいと言いに来て数分経つ。若いしさらに女性であるのに本当に多忙なのだな、と、若干の共感を覚えた。自分も似たような年齢なのである。

 最後に、この前ひどい目にあったズボンのジッパーを確認し、まだミス・キャメロンも帰ってこないだろうと、一度下げてから上げなおそうとした瞬間である。


“Thank you for waiting.”

 

 ノックと、お待たせしました、の声とともにミス・キャメロンが部屋に入ってきた。そのため、内心では焦りつつも、挙動不審で怪しまれないようにかつ迅速にズボンのチャックを上げようとする。まだドアは開ききっておらず、向こうからは見えていないのだ。まだ大丈夫だ、と言い聞かせる。だが、早くチャックを上げよ、とも。





 焦りが悲劇を生んだのか、日ごろの行いが悪かったのか。はたしてその時の私には知る由もなかったのであるが。

 急いで上げようとしていたジッパーが下着の布を噛んでしまう。


 同時にドアが開き切り、ミス・キャメロンが入室する。

 こちらはドアに背を向けるようにして座っていたため、礼儀として立ち上がり、お辞儀をするには振り向く必要がある。だが、振り向くとどうだろう。チャック全開である。

 ゆえ、強引に上げることにする。

 あくまで自然に、立ち上がるのと同期する、流れるような動作で力強く。


 はたしてジッパーを上げることには成功した。

 だが、チャックは下着を噛んだままであるし何よりも。


 根元から折れたスライダーと、手のひらに握られたジッパーが意味することを、考えたくもなかった。

 



 



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