第6話 おばあちゃんは魔女
「それじゃ、行くとしますか」
必要最低限の荷物を詰め込んだリュックを背負い、俺は見送りに来てくれた遼一たちに笑顔を向けた。
「気をつけてな」
「あぁ。智世のこと、頼むぞ」
「任せろ」
遼一とのやりとりが終わるのを待って、おじいちゃんが俺に声をかけてくる。
「手筈通りにいけば、扉が開くはずじゃ」
「あいよ。頼むよ」
「気をつけて行っておいで」
扉の向こうに異世界があるという、少ない可能性を極限まで引き上げることはしない。
副作用も考えて、確率を引き上げるのは最小限度に留め、あとはおじいちゃんに委ねる。
「この扉の向こうが異世界である確率は、ゼロじゃない」
何があるかわからないからと、俺と身体をロープでつないだジュノーさんが、祈るように手を合わせている。
「会える可能性は否定できないし、帰ってくる可能性も否定できない」
相変わらず、励ましてくれているんだかよくわからない妹の台詞に、緊張の糸が緩む。
知らずに握りしめていた指を大きく伸ばして、扉に視線を戻す。
おじいちゃんが指を折りながら、数を数えていく。
その数が『8』を数えたところで、おじいちゃんが俺の背中を押した。
「行ってくる」
「気をつけてな」
光のまったく届かない暗闇へ足を踏み入れ、扉が閉まるのを待って、前へと進み始める。
ジュノーさんと俺とをつなぐ腰のロープをゆるめたりり緊張させたりしながら、少しずつ前へ。
「長いな」
そう呟いた瞬間、足元が陥落し、俺は奇妙な浮遊感に包まれていた。
「きゃっ」
浮遊感がなくなり、いつの間にか前後が入れ替わっていたジュノーさんが小さな悲鳴を上げた。
「お、重いです」
「ご、ごめん」
この感触は……どうやら、俺はジュノーさんの上に乗っかっているらしい。
あわてて起き上がろうとして、腰のロープがジュノーさんの軽い身体を引き上げてしまう。
「い、痛いです」
不安定な体勢で引き上げられたジュノーさんが悲鳴を上げて、俺はあわてて体勢を戻した。
四つん這いでジュノーさんの上に覆いかぶさる形になって、俺は下にいるジュノーさんにナイフのありかを尋ねた。
「ナイフ、どこにあるの」
「カバンの中です」
「ジュノーさん、とれる」
「……はい」
「それで、ロープを切って欲しいんだけど」
「この体勢だと、ちょっと無理です」
「じゃあ、俺の手の位置、わかる」
「はい」
「ナイフを貸して。切ってみる」
「はい」
ジュノーさんから受け取ったナイフで、腰のあたりのロープを切っていく。
切る瞬間、どうしても上から押し付けるような体勢になってしまうが、さすがに今度は何も言わずに耐えてくれていた。
「さて、上手くいったかな」
二人して起き上がったところで、周囲を見まわす。
扉をくぐった時と変わらずに視界がないが、あの浮遊感は何だったのか。
「はい。周囲から魔力を感じます。マグシアに間違いありません」
ジュノーさんの言葉を信じるなら、上手く異世界に渡れたらしい。
しかしまぁ、俺には魔力なんて感じられないわけだけど。
「とりあえず、外に出たいな」
「はい」
俺の言葉で、ジュノーさんは左右に視線を送ってから、右の方向へと歩き出した。
あまりにも迷いのない決め方で、俺も黙って後に従う。
「イヨ様の魔力を感じます」
「イヨ……それが俺のおばあちゃんか」
「はい。肖像画を見せていただきましたし、間違いないと思います」
おじいちゃんに見せられた写真で、ジュノーさんはその時もそう断言していた。
今回は俺がおじいちゃんと一緒に写っている写真と、おじいちゃんとおばあちゃんが一緒に写っている写真を借りてきている。
「まさかと思うけど、ジュノーさんも今みたいに俺たちの世界へ来たの」
「いいえ。私の場合は、魔法陣の中で移転魔法を浴びました」
「移転魔法ねぇ」
「はい。イヨ様のお力です」
どれだけの力をもっているんだか。
それに、俺たちの世界で生まれて、魔法なんて使えるものなのか。
おばあちゃんの能力は、そこまで人を変えてしまえるものなのか。
「もう少しです」
外界からの明かりだろうか。
前を歩くジュノーさんの服の色が、はっきりとし始める。
「外に続いているのか」
太陽の明かりにしては、妙に赤色の波長が少なく感じる。
洞窟の奥まで差し込んでいるのではなく、一気に抜け出せるのかもしれない。
「太陽の光ではありません」
ジュノーさんはそう断言すると、腰の剣に手をやった。
「物騒だこと」
ここから先何が起こるかは、まったく想像がつかない。
想像がつかないということは、何の確率を読めばいいのかがわからないということだ。
手当たり次第に確率を読んでいるうちに、肝心のものを見落としてしまうとも限らない。
異世界の最初から、随分とこちらの能力を封じてきてくれる。
「どういうことかしら」
前を歩いていたジュノーさんが、そう言って足を止めた。
「どうかしたのか」
「扉があります」
透明度が高い鉱物でできているのか、随分と向こう側の光が透過している。
「押して動くようには見えないけどな」
「引いてみますか」
「押してダメなら、投げてみろってね」
取っ手のような場所は見つからなくても、岩をつかむのに苦労はしない。
手頃なくぼみに手を差し込んだ俺は、岩を引き戸の要領で力強く引いた。
「何となくね、俺が開けるべきなんだろうなって思ったんだよ」
レールの上をこすれ動くような音をさせながら右の岩肌へ収まっていく岩扉に、ジュノーさんが無言で目を丸くしていた。
扉と言えば引戸っていうのは、戦前のの玄関なら当たり前だ。
半分ほど開いた扉の向こうで俺たちを待っていたのは、予想通りの人物。
ただし、予想外の衣装だった。
「俺でよかったのかな、おばあちゃん」
俺の問いかけに動じることなく、写真よりもかなり年を経た高齢のご婦人が微笑む。
「待っていたわ、アキラ」