第4話 異世界作ったの、身内だよ
ジュノーさんを寝かしつけて、俺たちは居間で額を突き合わせていた。
「どうすんだよ、あの子」
「知るかよ」
「本当に、お兄ちゃんの知り合いじゃないの」
「知らないって。会ったこともない」
どうして、俺の知り合いになるんだよ。
女の子の知り合いの数なんて、片手で足りる自負がある。
「ストーカーに狙われたりしてないか」
「ストーカーなら、どうして勝手口で倒れてたんだよ」
「ストーカーが思い余って、アキラが気になるような設定を考えてだな」
「ストーカーに、そんな風に思われるのかよ、俺は」
「あの子がお兄ちゃんを慕ってやってきたという、その可能性は否定できないよね」
どれだけ残念な人間にしたいんだよ、俺を。
いくら彼女がいなくても、そこまで病的な女の子はゴメンだよ。
「俺にだって、選ぶ権利ぐらいはあるはずだ」
「ない」
「ないな」
泣くぞ。
「冗談はさておいて、ただの行き倒れにしてはおかしな子だぞ」
後で気づいたことだけど、靴はそれほど汚れていなかった。
いくらアスファルトの上だけを歩いても、靴についてしまう細かな傷までは防ぎようがないはずだ。
それなのに、靴はさほどすり減っていなかった。
さらに言うなら、持ち運んだ時もそう軽くはなかった。
「やっぱり、演技じゃないの」
「演技にしては、随分と眠りこんでるようだが」
本当に寝ているのかどうか心配になるぐらい、物音ひとつ立てていない。
とりあえず、今は起きるのを待つしかない。
「問題を先送りできるとして、何日ぐらいだ」
ジュノーさんを寝かせている部屋の方を睨んでいた遼一が、視線を戻す。
「この家に泊めるとして、か」
「あぁ」
「お母さんなら、夏休み中はお父さんのところよね」
「先送りにして、答えが見つかるならな」
実際は、見つかりそうにはない。
俺の心の中の声が聞こえたのか、遼一と妹が同じようにため息をついた。
「先送りにしたって、変わらないよ」
「だよなぁ」
どうすればいいんだ。
警察に電話でもするか。
そう思いながら電話機に視線を送った瞬間、インターホンが鳴った。
三人そろって、そのタイミングの気味悪さに視線を交わす。
「……出ろよ」
遼一に促されて、おそるおそるインターホンの受話器をつかむ。
「はい」
『おーい、アキラ』
「あ、おじいちゃん」
『開けてくれんか』
「はーい」
食べ終わった食器の回収に来てくれたのかな。
「智世、おじいちゃんだ。開けてきてくれ」
「はーい」
妹に勝手口を開けに行かせ、俺は食器カゴの中から洗い終えている借り物の食器を取り出した。
遼一が目顔でここにいてもいいのかを尋ねてくるが、遼一なら問題はないだろう。
「なんじゃ、遼一くんも来とるのか」
「お邪魔してます」
「いらっしゃい、おじいちゃん」
「西瓜を持ってきたんじゃ。遼一くんも食べていきなさい」
「はい。ありがとうございます」
「智世、大きいお盆はあるかの」
「いつものでいいよね」
来客時に使う我が家の一番大きなお盆に、切り分けられたスイカを所狭しと並べていく。
今のテーブルを四人で囲み、手を合わせてからスイカに手を伸ばす。
「いただきます」
「いただきまーす」
うん。
夏はやっぱりスイカだな。
「ところで、何か変わったことはないかの」
「特には」
「そうか。それならいいんじゃが」
妹と遼一が陰で視線を交わしているが、そこは無視だな。
おじいちゃんの心配事を増やす必要もないだろう。
「緑髪の迷い人が来たりしとるかと思っとったんじゃが」
「ぶほぉッ」
おじいちゃんの言葉に不意を突かれた遼一が、スイカを吹き出した。
と、いうか、普通、緑色の髪の人間なんて、普通、想像もできないはずなのにッ。
「な、何で……」
おじいちゃんに尋ねかえす妹の声が震えている。
まさか、あの女の子がおじいちゃんと関係してるのか。
「本当におったのか」
「奥の和室で寝てもらってる……」
「日本語は話せたのかの」
「現地語で話しかけてきた後は、日本語だったよな」
「マグシア王国とか言ってたかな」
「他に、妙なところはなかったかの」
おじいちゃんの言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
マグシア王国なんて国、普通に受け入れられるはずがない。
それなのに、何もそこには引っかからないのか。
「あの、おじいちゃん」
「なんじゃ」
「何か知ってるの」
妹がそう尋ねると、おじいちゃんは何故か、遼一に視線を向けた。
遼一を窺うと、理由もわからずに視線はそらせないでいるようだ。
そのうち、沈黙をどう理解したのか、妹がスッと遼一の隣に場所を移す。
「えっと……その」
「あの、トモとは付き合っています」
衝撃の事実だよ、オイ。
道理で、俺がいないときまで家にいるはずだよな。
「どこまで知っておる」
「特殊な能力のことですか」
「他人に伝えるべきではないことはわかっておるの」
「はい。俺も、親友とせっかくできた彼女を失いたくはないですし」
「ならば、話すとしようかの」
そう言うと、おじいちゃんはお盆を片付けるように妹に言いつけ、俺と遼一を並んで座らせた。
お盆を片付けた妹が戻ってくるのを待って、三人で並んだ俺たちにおじいちゃんはゆっくりと話しだした。
「まずは、お前たちに見せたいものがある」
そう言って取り出してきたのは、随分と古い日記帳だった。
表紙の字も、筆で書いているのか、達筆過ぎて読みにくい感じだ。
「これは」
「これは姉さんのノートじゃ」
「姉さんって、おじいちゃんの」
「そうじゃ」
「でも、おじいちゃんの姉さんって、戦争で亡くなったんじゃないの」
「まぁ、この説明の前に、我が一族の特殊な力について説明しておこうか」
妹の質問には答えずに、おじいちゃんは俺に視線を合わせてきた。
「アキラ、説明できるかの」
「起こりうる発生確率を操作できる能力だと」
「まぁ、そのようなもんじゃ。ただ、正確には少し違う」
「どういうことなの」
「確かに特殊な能力を発症しやすいのじゃが、その能力は多岐に渡る。例えば、お前たちの母親には未来を見る能力が備わっておる」
「未来予知って、そんな能力が」
「まぁ、予知というよりは、その未来に遭遇するかどうかを取捨選択する能力じゃな」
もしかして、夏休みの前に父さんのところに行ったのって、あの女の子と遭遇する未来を見てたってことなのか。
それなのに、息子と娘を置いていくのかよ。
と、いうか、なんていう危機回避能力だよ。
「お前たち二人の能力はそれほど変わらないものじゃが、発生確率をいじるだけではないのが智世の能力じゃな」
「うん。多分」
「逆に、アキラは確率を認識できるところにその能力の本質がある」
「俺の方が、より母さんに近いってことなのか」
「そうかもしれん。そして、姉さんにはもっと別の能力が備わっておった」
おじいちゃんの言葉に、俺たち三人の視線がおじいちゃんに集まる。
そこでおじいちゃんが俺たちに告げたのは、予想していないことだった。
「姉さんには、未来をつくる能力。正確には書き記したものが現実となる能力が備わっておった」
「書き記したものが……」
「現実になる能力」
それって、ほぼ全知全能の神に近い。
書き記すだけで現実になるなんて、どこかの青狸ロボの秘密道具より性質が悪い。
と、いうか、現代の教育においてそんな能力が発揮されたら、めちゃくちゃなことが起きる。
小学生の漢字ドリルで書かれていることが実際に起きてしまったら……非現実的過ぎる。
太陽が西からやってきたり、台風が発生したりするぞ。
血の気が引いた俺の表情に気がついたのか、おじいちゃんはことさら柔和な表情を浮かべて見せてくれた。
「まぁ、発動条件はある。背表紙を自分で書いたものでなければ、その能力は発動しなかったらしい」
改めて、おじいちゃんの手の中の日記帳に視線を落とす。
確かにその背表紙の字は人の手で書かれたものだ。
もちろん、その癖は表題の日記帳の題字とほぼ同じだ。
「このノートは、姉さんの字じゃ」
下手な預言書よりも性質が悪いノートだ。
何か変なことでも書かれていれば、それだけで世界がひっくり返る。
「そう。今、簡単にお前たちが気付いたように、姉さんもその危険性に気付いておった」
「もしかして、姉さんが戦争で亡くなったっていうのは」
「戦争のどさくさにまぎれて、異世界の扉を開いたのじゃよ」
異世界……。
まさか、あの女の子の世界をつくったのは。
「正確には、異世界を創りだし、その世界への扉を開き、自らその世界に旅立っていったというわけじゃ」
「それじゃ、あの現実にはありえない緑色の髪って」
「ここに書いてある」
そう言っておじいちゃんが開いたページには、旧字体で書かれた異世界の設定があった。
事細かに設定されたそれは、今時のライトノベルの設定よりもはるかに想像力豊かなものだ。
「これ……マジかよ」
「もしかしなくても、あの女の子、本当に別世界の人間だったのね」
おい、異世界作ったの、身内じゃないかッ。