第6話 告白
それから、少しだけ凍空と話す機会が増えるようになった。
とはいってもせいぜい偶然出くわした時に話すくらいのものだったけれど、今までまったく接点がなかったことを考えると増えたと言えるだろう。あとは紫が用事で一緒に帰れない時に時々途中まで一緒に帰るくらいか。
しかし、何と言っても凍空は有名人だ。
俺もそのイメージの質が百八十度違うとはいえ、それなりに名が知れている。
となれば目にもつくし、噂にもなる。その大半は俺達がどういう関係なのかを勘ぐっているらしく、凍空の話では付き合っているのかと聞かれたこともあるらしい。勿論すぐさま否定したらしいが、噂というものはその程度で鎮火するものじゃない。
そうして瞬く間に学園中に広まった噂に、この悪魔が食いつかないわけはなかった。
「青春ねぇ、夏樹?」
「そのいやらしい笑みを今すぐに引っ込めろこの悪魔め」
仏頂面で吐き捨てる俺に、小鳥の囀りのような声が楽しげに響く。
しんと静まり返った教室内。
中庭側の窓に背中を預けるようにして寄りかかり、こちらが顔をしかめる様を見て笑うその表情はどこまでも愉しげなもの。
放課後、いつものように廊下で待ち構えていた紫は俺と合流するなり、目下一番熱いネタであるところの話題を間髪入れずに切り出してきた。
その話題がこいつにとってどれだけの燃料だったのかは知らないが、少なくとも周囲に誰もいなくなるまで話しこめるほどには良質な燃料だったらしい。油を塗りこんだ車輪のように良く回る舌を眺め、ため息を吐いた数は二桁を悠に超えている。
無人の教室、音という概念が失せたかのような静寂に包まれた空間。
目の前の悪魔に対応する術を知らない俺は、ただじっとその〝口撃〟に耐えていた。
「悪魔だなんて失礼ね。私は夏樹と凍空さんが上手くいったのが嬉しくて嬉しくて、ここのところは貴方に会うのが楽しみで仕方がないんだから」
「それ絶対邪な目的だよなこの野郎。お前はどこの噂好きな主婦だよ。何度も言っている通り、凍空とはそんなんじゃないからな」
「でも、友達にはなれたのでしょう?」
その言葉に、少し詰まる。
友達。凍空と俺は、友達なのだろうか。確かに紫と同じとまではいかなくても他の連中に比べればそれなりに話すし、付き合いもする。けれど、それだけで果たして友達と言い切ってしまってもいいのだろうか。あいつは、俺のことをどう思っているのだろうか。
眉をひそめて唸る俺に、紫は静かに笑いかける。
「そんなに考えなくても、きっと貴方と凍空さんは友達よ。学園中が貴方達の仲を噂しているのよ? つまりそれくらい仲良しに見えるってこと。まぁ、そもそも友達なんて曖昧な関係に深く悩む必要はないわ。夏樹がそう思ってさえいればそれでいいのよ」
「そうか? 何というか、その理屈は凄く一方的な気がするんだが」
「そんなことないわ、きっと凍空さんもそう思っている筈よ。恐らく、ね」
「最後の一言さえなければ今ので安心出来たんだけどなぁ……」
「それは自分で確かめなさい。この関係が終わるにせよ、終わるにせよ、凍空さん本人から断言されてしまえば諦めもつくでしょう?」
「気のせいか? 俺にはお前の言葉からは絶望的な未来しか想像出来ないんだが」
気のせいよ、と微笑む紫。不純物の一切混ざっていない純度百パーセントの笑顔は輝かんばかりの神々しさをもって俺に微笑みかけていた。
「それにしても、まさか夏樹に私以外の友達が出来るなんてね。親しくなったきっかけって、やっぱりあれ?」
その言葉の意味を察して、俺は曖昧に頷いた。
「まぁ、そうだな。だからあまり声高に言えるようなことでもない」
「受け入れてくれたのは嬉しいけれど、予言してしまったことへの後ろめたさも感じて少しだけ複雑、ってところかしら?」
「察しがいい、どころの話じゃないな。そこまで言い当てられるとむしろ不気味だ」
「当たり前よ。どれだけの間貴方と一緒にいたと思っているの?」
くすりと笑みを零す。
その表情が、少しだけ翳る。
「……でも。これからは、そうもいかなくなってしまうのね」
そのあまりに寂しげな響きが、妙に心に突き刺さった。
その痛みは甘く切なく、まるでその形を確かめるかのように柔らかく心を締め上げる。
それは激痛と呼べるものではなく、けれど無視出来るようなものでもない。その痛みはただ、つらかった。
「……何でだよ。別に凍空と友達になったからってお前をないがしろにするなんてこと、あるわけないだろ。お前には俺が、そんな薄情な奴に見えるのか?」
「ううん、夏樹が悪いわけじゃないわ。悪いのは私。だって私は、あの子と仲良くする気がないんだから」
だから、少なくともあの子とは一緒にいられない。
そう囁くように告げて、紫は自嘲気味の笑みを漏らした。
その笑みがどうしても納得いかなくて、今まで抑えていたものが膨らんでいくのを止められなくて。
気付けば俺は、ずっと気になっていたことを、ずっと繰り返してきた問いの言葉を口にしていた。
「何でだ? 何でお前はそうも頑なに俺以外に友達を作ろうとしないんだ? お前は俺と違って決して問題があるわけじゃない。なのに、どうしてそこまで一人でいようとするんだよ?」
いつもの問い。細部が違うとはいえ、本質的には同じ問い。だから紫が返す言葉も、きっと同じものなのだろう。
そう思っていた。
「ねぇ、夏樹」
違った。紫の雰囲気が、言葉が、いつものやり取りとは決定的に違っていた。
しばしの間を置いて紡がれた言葉は、風に溶けて消えてしまいそうなほどに儚げな声。
「もし、私にも、貴方と同じような理由があるのだと──そう言ったら、どうする?」
けれど。その言葉は窓から吹き込んだ風に掻き消されることなく、やけに澄んだ響きが鼓膜を通じて脳に伝わった。
その響きに、脳が覚醒したのだろうか。
そういえば、と。今更のように、思考する。
廊下で会って開口一番、凍空の話を切り出された時、俺は勿論嫌がった。嫌がって、とりあえず外に出ようとした。そう提案もしたし、手を引いてみたりもした。
その時の紫の反応を思い出す──あぁ、そうだ。
紫は、それをするたびに俺をからかっていた。からかって、からかい続けて、俺が抵抗を止めるまで饒舌に語り続けていた。
それを少し訝しく思いながらも、からかわれるままに俺はその手を引くのを止めてしまっていた。
それは、もしかしたら。
もしかしたら、今この時、この話を切り出すためのものなのではないかと。
そう思わせるほどの真摯な瞳が、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「俺と同じ……理由?」
「えぇ。貴方と同じ、理由」
鸚鵡返しに繰り返す。
吸い込まれるような異質な輝きを放つ紫の瞳。俺が呑み込まれていくような錯覚に、口内が乾くほどの緊張を覚えた。
「それは、お前も俺と同じ予言の力を持っていると、そういうことなのか?」
問いかける言葉に、しかし紫は首を横に振って否定する。
「いいえ、私の理由はそんなものではないわ。私の理由は、根本から異なるものだから」
異様に含みのある言葉を告げて、紫は微かに微笑む。その笑みに何が込められているのか、今の俺にはまるでわからなかった。
紫は静かに窓から身体を起こし、近くにあった机に指を這わせる。細くたおやかな指が机の木目を撫でていくその様は妖艶で、どうしようもなく心が揺さぶられた。
「私の家は、古い家でね。自分達の秘密を守ることに、酷く厳しいのよ。もしうっかり漏らしてしまったら、どんな手を使ってでもその秘密を守ろうとしてしまうくらいに、ね。だから、私は貴方以外の誰とも親しくなってはいけない。親しくなって、もし秘密が漏れるようなことになってしまったら、どちらも無事では済まないでしょうから」
「秘密……? 秘密って、」
思わず呟いて、しまったと思う。
紫の言葉の中に散りばめられた、最も口にしてはいけない気がする単語。口にするそばから恐怖じみた不安が暗雲のように広がっていく錯覚さえ抱いてしまうその言葉。
それを後悔するよりも早く、撤回する暇すら与えずに、紫の口が開かれる。
「そう──これ」
軋むような、異質な音が断続的に響いた。
次の瞬間、その音がする方向──紫の手が這っていた机を見て、愕然とする。
白く染まった机。
空に伸ばされた枝のように張り巡らされたそれは、表面を伝い、錆びたパイプを伝って床に根を張っている。
茨に絡み取られたかのような机に震える手を伸ばすと、そこからひんやりとした冷気が伝わる──
机に、霜が降りていた。
擦れた声が口から零れる。けれどそれは決して意味のある言葉になりはしない。
呆然とその異状を眺める俺に、紫の声が穏やかに響く。
「これが私の秘密。夏樹、私はね──雪女と呼ばれる妖の一族の末裔なの」
歌うように響くそれに、言葉が出ない。
告げられた言葉に思考が追いつかない。
雪女。
それは俺でも知っている、あまりにも有名に過ぎる妖怪の名前。
吹雪の雪山、白い着物を着た女、咄嗟に浮かんだのはそんなイメージ。
けれどそれがどうしたというのか。
それが紫だって?
そんな馬鹿な。
冗談はよせ、と笑い飛ばそうとしたところで、視界の端に凍てついた机が飛び込んだ。
「信じられないのも無理はないわ。逆の立場であれば、私だってきっと同じ気持ちになると思うもの」
這わせていた指を離し、紫は風にそよぐ黒髪を撫で上げる。微笑むその表情には、少しだけ寂しそうな色が混じっていた。
「けれど、全部本当のことよ。トリックでもないし、夢でも、幻でもない。私は貴方を信頼しているわ。だからこそ、私はこの秘密を貴方に話した。そういう反応をされることも勿論、覚悟の上でね」
その言葉に、締め付けるような痛みが胸を襲った。ありとあらゆる言葉を用いて俺自身を罵りたくなった。
なんて、なんて愚かな自分。
俺が彼女を予言してしまった時、彼女は俺に対してそんな反応をしたか? 俺を奇妙な目で見つめたか?
それが当然の反応だとか、仕方のないことだとか、そんなことはどうでもいい。
俺は、俺が最も嫌がっていたことを彼女に対してしてしまったんだぞ!
絞り出すように必死で言葉を紡ぐ。罪悪感と自己嫌悪に圧し潰されそうになりながら、
「……ごめん。本当に、ごめん」
「謝らなくてもいいわ。言ったでしょう? 覚悟していたって。それに、貴方のと私のでは状況があまりにも違うもの。貴方のはまだ現実的なものだけれど、私はその境界を軽々と踏み越えてしまっているものね」
くすくすとおかしそうに笑う紫が、どうしようもなく切なかった。
ひとしきりそうして笑った後、それでね、と紫は言葉を続け、
「さっきも言った通り、私の家はとても厳しいわ。秘密がばれてしまったら、ばれた方も、ばらした方もただではすまない。勿論ここで言うところの秘密というのは私が雪女だということだから、現状、私と貴方は非常に危険な状態にあると言えるわね」
「な……おい、それは」
「心配しなくても大丈夫よ。ちゃんと回避する方法もあるから」
ころころと笑ってみせる紫に、安堵の吐息をつく。紫の言うところの危険がどういうものなのかは知らないが、危険と言われる以上避けるにこしたことはないだろう。
「それで、その方法って?」
「簡単よ。貴方が私の家に入ればいいの」
「家に、入る? それだけでいいのか?」
「あら、随分と簡単に口にするのね。こっちはそれなりに緊張していたのに。それとも、ひょっとして夏樹は以前から私を、そういう目で見ていてくれたのかしら?」
「? 何を言って──」
ふと。思考が、変な推測に行き着いた。
家に入る。俺はそれを、言葉通り彼女の家を訪ねるだけでいいと思っていた。
けれど。けれどけれど、もしその意味が別の意味であったのなら?
俺の貧弱なボギャブラリーの中で、家に入るという言葉の意味として登録されているのは、その言葉通りの意味と、もう一つ。
「ゆか、り?」
引き攣った声でその名を呼ぶ。
呼ばれた少女は俺の推測こそが正しいのだと、肯定するように柔らかく目を細めて。
「雪女の一族にはね、女の子しか生まれないの。だから私達が子孫を残すためには、どうしても人間の男性を探す必要があるわ。そのために、雪女は生涯においてたった一人だけ、秘密を共有する相手──つまり、例外を作ることが出来る」
それが、貴方。
甘く囁かれた言葉に、脳髄が痺れるような電流が走った。
「夏樹は……私のこと、好き?」
紫を見つめる。
長年一緒にいた、幼馴染の姿。
風になびく絹糸のような黒髪に、女性らしい柔らかな曲線を描いた肢体。
凍りついた机に寄りかかってこちらを覗き込むように見つめる瞳は今、抑えきれない期待と不安に潤んでいる。
綺麗だ。掛け値なしに、そう思う。
その想いがどうにも恥ずかしく思えて、気付いた時には身体全体が燃えるような熱を放っていた。
「お前は……お前は、どうなんだよ」
ぶっきらぼうに問いかけたそれに、
「好きよ」
呆れるくらい真っ直ぐな答えが、心を震わせた。
「私は、貴方が好き。私のパートナーは、貴方しかいないって、ずっと昔から思ってた」
だから、紫は俺以外の奴と付き合おうとしなかったのか。
そんなことを、みっともなく動揺しまくっている頭で考えた。
考えたら、身体がより一層熱を放つのを、体内から外に飛び出そうとしているかのようにどうしようもなく跳ね回る鼓動を、抑えられなくなった。
「夏樹……」
甘ったるい声が、耳に響く。
甘い蜜を放つ花に誘われるかのように、引き寄せられる。
「夏樹は、私のこと、好き?」
繰り返し響いた言葉に、口を開きかけた。
何かを紡ごうとしたその動きは、けれどその時新たに響き渡った音に遮られた。
さりげなく、こんなストレートに恋愛感情表現したのは初めてですね。
初作品にしては色々と上手くできたかなぁとか。
ちなみに本来は次の話と1セットです。
次の話も混ぜると一万文字いきそうだったので切りました。