第5話 孤独
空がややぼんやりと橙色に染まり始めた頃、俺は約束の公園に辿り着いた。
この季節になると日が落ちるのが遅いこともあって、まだ公園には人の姿が残っている。それらを眺めながら利用上の注意が書かれた看板を抜け、中に踏み入った。
懐かしい。最初に抱いた感情はそれだ。
目の前に広がる光景には紫と遊んだ頃の思い出が山のように満ちていて、何一つとして変わっていないことを認識させた。元の動物が何なのかさえわからない奇妙な動物型の遊具が散らばっているのも、昔と同じ。結局あれらは何をモチーフとしているのか、成長した今になってもわからなかった。
そんな奇妙な動物の姿を模った遊具と、学校を終えて遊びに来たのだろう子供達が戯れる空間に、ふと目につく人影を見つけた。
それは周りで遊ぶ、恐らくは小学生くらいの子供達より少しだけ高く見えるくらいの小柄な影。周りに溶け込んでしまいそうな体格のくせに、頭から垂れ下がった上質な絹糸のように長い黒髪が異様に自己を主張していた。そんな奇妙な存在が今、周囲の子供達に囲まれて子供のように砂場を駆け巡っている。
──凍空?
その背格好、黒髪に見覚えのあった俺は眉をひそめつつ、その集団に向かって近寄っていく。
その気配に気づいたのか、黒髪の主がくるりとこちらを振り返る。俺の姿を認めたのだろう、黒髪の主は周囲の子供達に顔を近づけると、何事かを告げてこちらに駆け寄ってきた。
「どうも、如月さん」
軽く頭を下げて会釈しながらの彼女の言葉に、俺は──
「……誰だ?」
そんな言葉を返していた。
「え? いや、凍空ですよ。貴方の愛しい愛しい凍空です」
「ごめん。徹頭徹尾、俺にこんな知り合いはいなかったと断言できる」
「今日は先日とはまた随分と違った形で頭のおかしな発言をしていますね如月さん。一体私の何がどう先日までの私と違うと言うのですか」
それは勿論。
「いや。お前、随分と楽しそうだなと思って」
「そうですか?」
きょとんと小首を傾げてみせる凍空。俺が何を言っているのか心底わからなさそうに首を傾げているのは、恐らくそれが極々自然に零れたものだからなのだろう。
俺は思わず視線を逸らす。
凍空は笑っていた。楽しそうに、子供のような無邪気な笑みを浮かべて笑っていた。その笑みがあまりにも眩しくて何故だか直視してはいけないような、そんな気分にさせられたのだ。
その幸せそうな笑顔に安堵を覚える。どうやら笑顔を浮かべることは出来るようだ、と。その一方で不安も抱く。もし何も起きなくて、もしくは起きてしまったがそれを何とか回避出来たのだとしたら、また凍空に呪いじみた予言の言葉を吐かないとも限らない。そしてまたあの目で射抜かれると思うと、一刻も早くこの場から逃げ出したいという気に駆られた。
幾ら予言が出来るといっても、信じてもらえなければただの冗談と何ら変わらない。
相手の意向を無視して無理矢理未来を変えることが出来たとしても、起こっていない未来を本当は起きていたのだと証明することなど出来はしない。
後に残るのは、憐れみと蔑みの視線を向けられる道化のみだ。
俺は、その視線に耐えられない。耐えられる気がしない。だからこそ、人との交わりを避けてきた。誰とも関わらないように、孤独でいられるように努めてきた。そうして関わりを絶っていくうちに予言をする回数が減り、気を抜いてしまったがためにこうなった。
だから、早く。早く、話を済ませて、立ち去ろう。
「話って、何だ?」
切り出す。言葉にしながら、何となくその内容を察してしまっている自分がいる。
凍空はこちらをじっと見つめ、口を開き、
「それはいいんですが、すみません、ちょっとだけ待ってもらっていいですか?」
こちらの全く予想していなかったことを告げた。
「……は? 何で?」
「いえ、ほら、向こうで子供達が呼んでるじゃないですか? 実は如月さんを待っている間ずっとここで彼らと遊んでいたのですが、つい先程貴方が来た時に無理言って抜けさせてもらったんですよ。それで流石にそろそろ戻らなければならないので、如月さんには申し訳ないのですが、もう少しだけ待っていてもらえないでしょうか」
凍空の指差す方向を見ると、先程まで凍空を囲んでいた子供達がこちらに手を振って何事かを叫んでいた。凍空の言うとおり、呼んでいるのだろう。
彼らに向かって、手を振り返している凍空の横顔に問いかけた。
「どのくらいかかるんだ?」
「そんなにはかかりませんよ。幾ら日が落ちるのが遅くなってきたとはいえ、彼らのような幼い子供を遅くまで遊ばせておく親などいる筈がありません。長く見積もっても一時間程度かと」
「お前の『そんなに』という表現は全く当てにならないな……まぁいいさ、行ってやれ」
「助かります。それでは、行ってきますので」
小さく頭を下げて、凍空はこちらに背を向けて歩き出す。
その背中が不意に、何かを思い出したかのように立ち止まった。
「そうだ。宜しければ如月さんも一緒にどうですか? ただ待っているだけというのも退屈でしょうし」
「いい。遠慮しとく」
苦笑しながら、けれどきっぱりと断った。
理由は勿論、言うまでもない。彼らにあまり近づきすぎると、また何かを口走ってしまう恐れがあるからだ。
凍空は、そんな俺をじっと見つめて。
「そうですか。それでは、行ってきます」
そう言い残して、彼らの元へと駆けていった。
陽が建物の陰に沈み、空が濃い朱色に染まり始めた頃、ようやく凍空達の遊びの時間は終わりを迎えた。凍空を取り巻いていた子供達はお互いに手を振り合い、散り散りになってそれぞれの帰路についていく。
最後の一人に手を振り終えた凍空が、長い髪を風になびかせながらベンチに座っている俺の元へ駆け寄ってきた。
その顔に浮かぶのはやはり、満面の笑顔。
「すみません、お待たせしました」
少しだけ息を切らした様子の凍空に、「お疲れ」と労いの言葉をかけておく。
「今、何時でしょうか?」
「五時……あぁ、今丁度六時になった。宣言通りだな」
時計を眺めながらの言葉に、凍空は小さなため息を漏らした。
「すみません、本当はもう少し早めに終わらせるつもりだったんですけど」
「気にするな。どうせ今日は予定もないし、別に構わないさ。それだけ楽しかったってことなんだろ?」
そうでなきゃそんな顔が出来る筈がないしな、と口にしかけた言葉を呑み込んだ。それは何となく気恥ずかしかった。
だから代わりに、手に持っていたものを差し出した。
「これは?」
「見ればわかるだろ? お茶だよ、そこの自販機で買ってきたんだ」
目に優しい緑色のラベルにシンプルに『緑茶』と書かれた、透き通った若葉色の液体を詰めたペットボトル。ひんやりとした冷気を帯び、表面に涼しげな汗をかいているそれを、お茶とせずに何とするのか。
当然とばかりに答えた俺に、しかし凍空は更に問いを重ねた。
「わざわざ買ってきてくれたんですか?」
「……余計なお世話だったのなら、貰うけど」
「いえいえ、ありがたく頂かせていただきます」
嬉しそうにそう呟くと、凍空はボトルの蓋を開け、口につけて少しだけ傾けた。
その様を、少しだけ眺めてしまう。しっとりと肌に浮かぶ汗、仄かに桜色に染まった肌。健康的に熱を持った肌は、いつもの病弱とすら思わせる白い肌とは正反対のもので、それが生み出すギャップが彼女を妙に艶めかしく見せていた。
服装はポロシャツ一枚に古びたジーンズといったシンプルなもの。身軽そうな衣服に身を包んでいるあたり、どうやら彼らとは成り行きで遊んでいたわけではなく初めから約束でも交わしていたのかもしれなかった。最も、それが普段着だという可能性も十分にあるが。
「いやぁ、それにしても最近の子供はタフですねー。幾ら走り回ってもちっともバテないんですから」
ボトルから口を離し、蓋を閉めながら凍空が微笑む。
貴重な光景だ。夏場で、しかも走り回って汗をかいている凍空が、あれほど暑いのを嫌っていた凍空が笑っている。
それに少しばかり驚嘆しながら、短く応じた。
「子供なんてそんなもんだろ」
「如月さんもそうだったんですか?」
「俺? 俺は……」
どうだっただろうか。遊んでいたような気もするし、そうでなかったような気もする。
ただ一つだけ言えるのは、少なくとも彼らのように大勢で遊んでいたことはなかったということだ。
あまり思い出したくない記憶に手が伸び始めたところで、首を振ってそれを遮った。
「俺のことはいい。それより、さっさと話を始めようぜ」
「おや。如月さん、今日はいつになく性急ですね」
そう言いながら、凍空が隣に腰を下ろす。同時にポケットから小さなタオルを取り出し、肌に浮かぶ汗を拭っていく。
そうしながら、ぽつりと呟く。
「それは、また先日みたいな状態になるかもしれないから、ということですか?」
その響きは、不気味な余韻を伴って朱色の空に消えていった。
「……あぁ、そうだ」
隠す必要もない。短く肯定した俺の言葉に、「そうですか」と抑揚のない返事が答えた。
「まぁ、それでしたら結論から述べることにしましょうか。如月さん、貴方の言葉は正しかった。貴方の言った通り、昨日、私は襲われました」
「っ!」
予想通り、けれど決してそうであって欲しくなかった言葉に全身が震えた。
「怪我は、なかったか?」
「おかげさまで、傷一つありません。言ったでしょう? 対策はあると」
その言葉に、ほっと安堵の吐息をつく。
それが何より聞きたかった。怪我など負っていないと、無事だったと、その言葉だけが今日俺がここに来た理由だった。
「襲ってきた奴はどうしたんだ?」
「逃げられました。捕まえようかとも思ったのですが、夜道でその上すぐ近くに路地裏がありまして、ゴミ箱やら何やらに手間取っている内に姿を見失ってしまいました」
「そうか……ってちょっと待て。お前、そんな時間にそんな場所で何やってたんだよ。確かに俺の言葉は信じられないものかもしれないけど、それにしてもそんな、相手の姿が見えなくなるような時間に一人で出歩くなんて危ないだろが」
「そうですね。普通ならそうするところなんですけど、ね」
含みのある声で呟く。
その言葉に内心で小さく首を傾げた。そしてその疑念に答えるように、凍空は告げた。
「試していたんですよ」
「? ため……?」
「えぇ。貴方のあの予言が、本当に起こるのかどうかを、ね」
……凍空が何を言っているのか、よくわからない。
それは。それは、つまり。
「勿論、自分で探しに行くなんてのは本末転倒ですし、ちゃんと公平を期すためにも普段通りの生活をしてましたけどね。その時も食料品を買って帰る途中だったのですよ。決して自分から襲われに行ったわけではありませんので、そこのところ誤解しないようにお願いします」
様々な疑念が渦を巻く。氾濫しかけたそれを必死に押し止め、少しでも緩和させようと俺は凍空に問いかけた。
「どうして……何でそんな真似を? お前は、俺の言葉を信じていなかったんじゃなかったのか?」
今でも瞼を閉じれば思い出すことが出来る。こちらを射抜く、奇異なものでも見るかのような凍空の瞳。気圧されるような、強烈な拒絶を込めた視線。アレが嘘や冗談の類のものだったとは俺には到底思えなかった。
「あぁ。アレは演技です」
だのに、凍空はそんなことを平然とのたまう。
「だってそうでもしなければ、本当に起こるのかどうかわからないでしょう? あの時の貴方は見るからに必死で、あぁでも言わなければ一人にさせてもらえませんでしたしね。けれど目つきや態度は嘘でも、あの時言った言葉は本当です。もし貴方が一緒にいたら、起こらないという可能性も十分に考えられたわけですしね」
「……つまりお前は、俺の言葉を信じていて、その上で一緒に帰らせてくれという俺の提案を拒否したと、そういうわけか? 俺の言葉の真偽を確かめたかったがためだけに、危険な目に遭うことも覚悟の上で?」
「まぁ、そうなりますね。正直、半信半疑ではありましたけど」
事もなげに頷いてみせる凍空に、流石に表情が厳しいものになるのを止められなかった。
「あのな……凍空。それは正直なところ、笑えんぞ。お前が何を考えて、どういうつもりでそんなことをしたのかは知らないけど、こっちは本気で心配したんだからな」
はっと、凍空が微かに息を呑む。
「そういえば如月さん、良く見ると顔が……」
あぁ、きっと酷いことになっているだろう。何せ二日徹夜した後だ。目の下に隈が出来ているのは確実だろうし、食事もあまり喉を通らなかったからひょっとしたら以前よりも少しやつれているかもしれなかった。
瞼に圧し掛かる強烈な眠気に目を細めながら、
「……色々あったんだよ、これでも。だから、そういうのはもう止めてくれ。次やったら流石に、怒るからな」
「そうですね……すみません。少々、軽率でした」
しゅん、と気落ちしたような謝罪の声。
頭を下げる気配に、俺は黙って首を振った。
「いや、わかってくれたのならいい。それより、話はそれだけか? それだけなら俺はもう帰るけど。流石に今日も予言しちまったら身体がもたないしな」
肩をすくめ、吐息交じりにそう告げる。
凍空はしばしその問いかけに間を置いたあと、呟くような、けれどしっかりとした声で「如月さん」と呼び掛けた。
顔を向ける。視線が交わる。交わった先にある二つの瞳は、これまでに見たことがないほど真摯な光を湛えていて。
「貴方は、その力があるから……だから、他の人と関わろうとしないのですか?」
静かな声が、やけに透き通って耳に響く。
「貴方の学園での評判は、どうにも不思議なんですよ。素行は至って真面目で、成績は優秀。優等生と称して何ら差支えのないはずなのに、交友関係はほぼ桐島さん一人だけでクラスにおいても一人でいることが多く、更にはどういうわけか不良であるとさえ噂されている」
胸に針で刺すかのような、ちくりとした痛みが走る。
それを無視して、痛みなど感じていないとでも言うかのように、あくまで平然とした様子を貫いて凍空に応じた。
「ちゃんとした理由があるからだろ? 同じクラスなら一度は聞いたことがあると思うが」
「暴力事件、だそうですね。過去に数人の少年に重傷を負わせた、と」
頷く。隠すことも、誤魔化すこともする気はなかった。
「ですが、それは確か小学生の頃に起きたことだったのでしょう? それだけで今も不良と噂されることには少々疑問を感じるのですが」
「さぁな。でも噂ってのはそういうものじゃないか? 本人の意志の届かないところで少しずつ形を変えて広がっていく。そこに真偽は関係ない。あいつらにとっては面白おかしくあればそれでいいんだから」
自嘲気味の笑みを浮かべる。それを、凍空は眉尻を下げた沈痛そうな表情で見つめていた。
「如月さんは、それを変えようとは思わないんですか?」
「不良の噂は変えられるかもしれんが、〝予言〟がある以上劇的な改善は望めないだろうな。お前がこの前ので悟ったかどうかは知らんが、アレは俺の意志に関係なく、無差別に、突発的に為されるものだ。そんな厄介なものがある状態で関わってみろ、今度は『疫病神』とか呼ばれるかもしれんぞ? それなら──まだ不良の方がマシってもんだ」
口にしたものが、そのまま絶望の刃となって俺の胸へと突き刺さる。
あぁ、だから救いようがない。
あの暴力事件がなかったところで、〝予言〟がある以上俺に友人が出来ることは決してない。
避けられるだけならまだマシだ。
それが虐めへと変わったら俺は間違いなく堪えられないだろうから。
蔑まれる疫病神より、恐れられる不良の方が何倍も良い。
孤独なら、我慢すれば堪えられないことはないのだから。
──どうしてこうなっちまったのかね。
小さく、呟く。
隣にいる凍空でさえ聞こえるか聞こえないかというところの、蚊の鳴くような微かな声。
その声が、聞こえてしまったのだろうか。
「如月さんは、後悔してはいないんですか?」
何を? と尋ね返す俺に、
「その選択を、です」
告げられた言葉に鼓動が跳ねる。
痛みを伴うそれを無理矢理抑えて、けれどしっかりと頷いた。
「後悔は、していない。あの事件も、独りであり続けたことにも」
それはどこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。
まるでそう口にしている自分を隣で眺めているかのような、自分の意思とは思えないあまりにも他人事じみたそれが凍空に向けて放たれていた。
自信をもってそう言い切れないのは、そうでなかった場合の人生に未練があるから。
孤独という感情が、きりきりと胸を締め付けるから。
孤独は、辛い。辛くて、苦しい。
あぁ、だから──。
「──だから。俺は、お前が羨ましい」
「え? 何か言いましたか、如月さん?」
凍空が隣で首を傾げる。小さな声だったから聞き取れなかったのだろう。
俺は「何でもない」と答えて誤魔化した。
「まぁそんなわけだから、関わりたくても関われないって奴だな。俺だって好き好んでこの現状に甘んじているわけじゃない。けど〝予言〟がある以上、抗うことも出来やしない。多分、俺はきっとこのままなんだろうよ」
「そうですか。けど、桐島さんとは仲が良いですよね? あの人もあまり他の人と話している場面を見かけないですが、桐島さんがあの態度を貫いているのもそういうことですか?」
「あー違う違う。あいつは何でか知らんが、少なくとも俺みたいな厄介なものがあるわけじゃない。あいつとよく一緒にいるのは、あいつが……俺の予言を受け入れてくれた、初めての奴だからだ」
今でも良く覚えている。小さな頃、一緒になって遊んでいた時に、不意に告げてしまった予言の言葉。以前にもすでに何人かの友達に予言してしまっていたことで友達が離れ始めていた頃のことだったから、その時の俺は酷く怯えて、絶望して、紫を呆然と見つめていた。
どんな顔をされるのだろう。どんな反応をされるのだろう。
一つだけ確信していたことは、これで紫と遊べなくなってしまうということ。
そのことに深い悲しみを抱いて泣いてしまいそうになっていた俺に、紫は思案げに眉をひそめながらこう言った。
──詳しい話を、聞かせてもらえる?
その反応は、これまで予言してきた人々が見せた反応とは全く異なるものだった。
その言葉を脳が受け、その意味を理解した頃、ようやく何が起きているのかを理解した。
紫は、目の前のこの女の子は、俺の予言を信じているのだ、と。
蔑むでも、嘲笑するでもなく、ただ俺の言葉を信じて、それをどうすれば避けられることが出来るのかと問いかけているのだ。
それは当時の俺にとって予想外の言葉で、そして何より望んでいたことだった。
予言の特性を伝え、今までの経験から対策を二人で考えて二週間。
予言に反した、健康そのものといった様子の紫はいつもの微笑を浮かべて、
──ありがとう。貴方のおかげで助かったわ。
俺が最も望んでいた言葉を、本当に嬉しそうに口にした。
あの時のあの声、あの笑顔は今でも忘れられない。あの時胸を満たした温かい気持ちは、今でもこの胸に残っている。
「成程……そういうことがあったのですか」
話を聞き終えた凍空は、納得したように小さく頷く。
「となると、如月さんは駄目ですね」
「え?」
「あ、いえ。こっちの話です。それにしても、桐島さんも随分と変わっていますね。言い方は悪いですが、幾ら親しい人でもいきなり不吉な予言をされたら大抵は不快な顔をすると思うのですが」
「あぁ、だからこそ俺は嬉しかった。それまでに何人か予言した人の反応を見ていたが、紫みたいに少しも疑うことなく信じてくれた奴はいなかったからな」
今まで生きてきて、俺の言葉を信じてくれたのは紫と両親と、あと……。
そう考えていて、ふと気付いた。
「そういえば、お前もだな」
「え? 何がですか?」
「いや、そういえばお前も俺の言葉を信じてくれてたんだな、って。こっちの心境も知らずに実験みたいな真似をしたのはいただけないが、試したってことは少なくともそれを嘘や冗談の類とは思ってなかったってことだろ?」
「んー、まぁ、そうとも言えるんでしょうかね。私の場合はどちらかと言えば、半信半疑というところでしたが」
空を見上げながらの凍空の言葉に、それが妥当なところだろう、と頷いて見せる。
何より紫と違い、凍空と俺はそんなに付き合いがあったわけではないのだから、赤の他人同然の男の妄言じみたそれを受け入れられなくても無理はないだろう。
「……ですが、あの時私に詰め寄った、如月さんの必死さは伝わっていましたから。五割じゃなくて、七割くらいは、信じていたと言えるのかもしれません」
穏やかな声が耳に響く。
それがどうにも嬉しくて、それと同じくらい気恥ずかしくて、俺は小さく「あぁ」とだけ答えて頷いた。
凍空が顔を逸らしていてくれて良かった。今凍空と正面から向き合ったら、きっと俺は酷い顔を晒すことになってしまうだろうから。
帰りましょうか、と呟く声。
幻聴なのか、それとも都合の良い妄想なのか。
その響きにどことなく親しげなものが含まれているように感じられて、それが無性に嬉しかった。
ここも伏線の一つ。
当時は色々と考えながら書いていたので、今より時間がかかった分丁寧に作っていた気がするなぁと。