第六話 僕とチャラ男と病院
少しコメディーっぽくなってしまったかもしれません。でも、コメディーではないので・・・・。
退屈だ。本当に。
もう見慣れてしまった風景。
純白のベッドに淡いクリーム色のカーテン。窓から見えるのは芝生とベンチ。暖かな日差しがそこを何かの一場面のように照らしている。視線を部屋へと戻し横に振り向けば、脇に置いてあるのは僕の暇つぶし用の本の数々。主に漫画。他に面白いものなどなく、病院がつまらないと言う腰痛もちの町田さんや糖尿病の岡本さんの意見にも深く同意したい。
そう、ここは病院。
手術後。完全に女となった僕は一週間ほど入院することになった。本当のことを言えば、二、三日でいいはずなのだが、精神的な問題とかがあるらしい。カウセリングとか。
別に僕はそこまでショックは受けていないのに。
・・・・あの日から三年も待ってもらったのだ。とっくに心の準備はできていたし、それにあまり実感がないから悲観しようともできない。ただ股間の一物がどっかに消えうせただけだ。そう、それだけのこと。
しかし、両親に寂しげな悲しげな、そんな表情で説得されては僕とて我慢するしかない。
でもまあ、退屈なのは退屈で、読み飽きた本を漁るしかやることがないのは少し寂しい。
「退屈だねぇ」
ぼそりと呟いてくる声は無視。
さて、これから何をしようかな。弟にいたずら電話でもするか。いや、病院で携帯は禁止だった。ここの看護師さんは厳しく優しくおっかないのだ。
「退屈だねぇ。ね、樹ちゃん」
僕の横で囁くように息を吹きかけてくる男は無視。
うーん、どうしようかな。弟にエロ本を持ってくるように頼んだのに拒否されてしまったし。今日来たらもう一度だけ頼んでみるか。辞書のカバーで隠すなんて初歩的なことは止めたほうがいいよ、と一言言えばきっと弟も素直に――。
「無視するってことは、それはもう俺の好きにしていいよっていう意思表示なのかな?樹ちゃん」
「うるさい」
無視しようにも胸へと手を這わせてこられては無視できない。仕方がないので手元にあるシャーペンを握って、その手が僕の胸を触る前にぐさっとその男の手を刺した。
男はちらりとその刺さったシャーペンに目をやり、僕へと視線を移して冷や汗を垂らし、もう一度その手を見たところで悲鳴を上げた。
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
「うるさい。耳元で騒がないでください」
ちょっとシャーペンに血が付いているのを見なかったことにして、僕はそのシャーペンを病人服の下へと隠す。いつもこの男撃退用に持ち歩いているのだ。血の匂いが日に日に強くなっているのはきっと気のせいではない。
「ぐ、ぐぅ。・・・・な、なかなか強烈なスキンシップだ。さすがの俺もちょっと驚いてしまったよ」
「まだそう言い続けてくるのには驚きと共に敬意を表しますけどね。いい加減、僕に構うのは止めてもらえませんか、倉本さん。というより、勝手に病室を抜け出したりしたらダメでしょう」
そう言い、僕は倉本さんを見る。しかし、ふっ、と倉本さんは笑うだけであった。
「それは厳しいな。だって、暇だし。他に可愛い子いないんだもん。彼女にも振られちゃったしさぁ。ね、樹ちゃん。こんな可哀相な俺を慰めてよ」
「まあ、入院中に四人も『彼女』が来たら振られますよね、普通。見事な修羅場でしたよ」
「あまり思い出したくないことだけどね。あれのおかげで俺入院期間が延びる羽目になったし」
「倉本さん。自業自得という言葉を知っていますか?」
「あはははは。何それ?」
駄目だ。ここに駄目な人がいる。
僕の冷たい視線に気付いたのか、倉本は視線を逸らし口笛なんてものを吹き始めた。まったくいつの時代の人だろう。古臭いにもほどがある。
そんな目の前の男、倉本恭一。それがこの駄目人間の名前である。見た目はジャニーズに入っているような爽やかハンサム系な金髪の兄ちゃんなのだが、中身はこの通りのロクデナシ。そして女たらしである。もう更正不可能なほどに。ちなみにここに入院しているのは骨折が原因とか。詳しいことは聞いていないが腕に包帯を巻いているし、嘘ではないだろう。
この人に出会ったのは三日前、であったはず。確かそうだ。あの衝撃的な出会いは忘れられな・・・いや、嘘。忘れました。本当に。そう、それなのにこの慣れ慣れしさは何だろうと疑問に思う今日この頃である。この人に会ってからまだ三日しか経っていないというのに。あのときから・・・・いや、出会いなんて思い出すのは止めておこう。ん?思い出すって何だ?覚えていないことを思い出すことなんてできないぞ。
「で、何の用です。僕、人と話しをするの、あまり好きじゃないんですけど」
「冷たいなぁ。もしかして前のことまだ怒っている?ちょっと服をガバッと開いて確かめただけ・・・・って、痛い。あの、痛いです。太ももにグリグリとシャーペンを突き刺すのは止めてぇぇぇぇぇぇっ」
「・・・・人の必死の自己暗示を無駄にするな、ボケ」
確かに肉の感触をその手に感じながら、グリグリグリ。ああ、こんな凶暴な性格じゃなかったのにと嘆きながら、グリグリグリ。今日のゴハンは何だろうと考えながら、グリグリグリ。
そして、いい加減飽きてきたのでようやくシャーペンを太ももから離すと、そのシャーペンにはベットリと赤い液体が。
またくだらないものを刺してしまった。
あと一応付け加えるなら、ひっくひっく、と泣く男などどこにも見えない。
まあ、思い出してしまったので簡潔に事実だけ述べることにしよう。
この倉本恭一という名の糞野朗は、暇の余り病院を冒険していた僕を見つけるとすぐにナンパし始め、僕が男だと言うとその僕の病人服をガバッと、ガバッと剥いだのだ。人前であるのに。そのとき幾人かこちらを凝視していた。まあ、一応下着は付けていたんだけど。
「だいたいさぁ。服の上からでもしっかりと分かるくらいのボリュームなのに、男って嘘をつくのが悪いと思うんだよね、俺は」
ふと影を感じ振り向くと、倉本さんはもう回復していた。あ、でもまだ目尻に涙が溜まっている。
「・・・・ん?でも、待ってください。ということは、女って知りながら服を剥いだってことですか?セクシャルハラスメント。刑法とか民法とかそう言う話の問題ですよね?それ」
「あっ、リンゴあるよ。食べる?」
僕の母親が持ってきたリンゴを手にとって見事なまでに強引に話を逸らす倉本さん。
食べると聞きながら自分で齧り付かないでください。僕のリンゴを勝手に齧るな。
「・・・・はぁ」
「どうしたの?」
笑顔で聞いてくる倉本さんを無視し、僕は視線を窓の外へと送る。
何だかもう疲れた。この人に構うのも面倒臭い。早くここから出て行って欲しい。
外の景色をぼーっと見ながら、それにも飽きて、まだ倉本さんの気配を感じている頃。
ちらりと倉本さんのほうを見てみた。そして今の素直な気持ちである「出て行けオーラ」を余すことなく送ってみる。しかし、倉本さんは気付いているのか、いないのか。完膚なきまでにそれを無視した。
本当に、何なのだろう。
「そんな嫌そうな顔しないでよ。ほら、前のことは謝るから。優ちゃんだって暇でしょ?俺も同じで暇なのよ。俺と同じ年代の子って君しかいないし」
苦笑いしながら言う倉本さん。
僕としても前のことはそこまで根にもってもいないし、いや、意外に恨んではいるけど、まあ、そこは我慢しないこともなく。ちょうど暇を持て余してもいるのだが・・・・だけど、それでも、別に話をしたいとは思わない。そもそも人と一緒にいるということが僕は好きではないのだ。面倒臭いし。
ただ、きっとこの人は自分が納得するまで居座るんだろうな、と嫌な確信を僕はまた感じていた。それに、微妙に寂しそうな顔をする倉本さんの垣間見てしまっては断るのもなんとなく気が引ける。人に嫌われるのも僕は好きではない。
仕方がなしに僕はOKの返事を返すことにした。
それでも一応、念のため、貞操のため、不機嫌そうな顔を崩さない。
「・・・・別にいいですけど。僕はあまり話しませんよ」
「いいよ。俺が勝手に質問するから」
・・・・それも嫌だな。
しかし、僕のそんな渋い顔にお構いなし。質問をしてくる倉本さん。どうやらかなりのマイペースな人らしい、この人。いや、わかっていたけどさ。
「えっと、じゃあ、さっき話しにも出たけど、歳の話。樹ちゃんって一体何歳なわけ?俺の見たところ、顔は十四歳。体は十分大人で通用するんだけど」
「すいません。やっぱなしで。僕もう寝ますんで」
布団に入り、横になる僕を倉本さんは慌てて抑えた。
「嘘!いや、ごめん。下ネタはもう使わないから!」
「・・・・これでも一応十六歳です。十四歳じゃないですよ」
「えっ、マジ?じゃあ俺と同い年じゃん」
「え?倉本さん、十六歳なんですか。随分老けていますね」
その言葉はどうやら致命傷だったらしい。
倉本さんはベッドへと崩れ落ちた。体を震わせ、その倒れた体を片腕だけで起き上がる。そんな大げさなと思いつつも、ちょっと禁句を言ったのではないかと不安になる僕。
「ふ、老けている?ち、違う。俺は大人びているんだ。ほらっ、一、二歳年上に見えたとかそんな感じだろ。ね、そうだよね」
ただならぬ雰囲気で僕の肩を掴む倉本さんに、僕はただ頷くことしかできなかった。正直少し、いや、かなり恐い。眼が血走っている。
「ああ、もういいや。うん、同い年ね。全然OK。歳上が好みだけど、同い年も嫌じゃないよ。えっと、じゃあ次。基本に返ろう、自己紹介。ということで、好きな食べ物とかは?」
『優チャンノ好キナ食ベ物ハ何デスカ?』
蘇った。一瞬だけ。だけど、別に、僕は、何も、思わない。
「・・・・ない」
「え?ないの。・・・・ふーん、じゃあさ、好きな歌手は?」
「いない」
「好きなサッカーチームは」
「いない」
「好きな俳優は」
「いない」
「憧れる人とか」
「いない」
「今まで好きになった人とか」
「いない」
「今好きな人とか」
「いない」
「付き合っている人とか」
「いない」
降りかかる沈黙。
嫌だった。本当に、酷く。やっぱり、人と話すのは好きじゃない。
それでも、これで呆れていなくなってくれるだろうと、倉本さん――いや、同い年と発覚したのでもう「さん」は付けなくていいか。倉本の方を見てみると、奴はなぜかガッツポーズをとっていた。
マジで意味がわからない。
「ふふふふ。ということは、樹ちゃんは今フリーということですな。なんだぁ、焦ることないない。ゆっくり愛が育めるってことか」
手馴れた様子で肩を回してくる倉本。だけど僕はそんなことより、この人の反応の方が不思議であった。じっと倉本を見つめる。
今まで僕がこういう返事を返すたび、人は皆沈黙したのに。人は皆困惑したのに。人は皆僕を避けたのに。変な奴だとか、つまらないとか、おかしいとか、陰でどうとか言って。それは奇妙なものを見るというより、嘲笑で。だけど、きっとそれも『当然』のことなんだろうと、僕は思っていた。
何かを好きになることができない僕は、何かに執着できない僕は、誰かと楽しく話しをできない僕は、それゆえいつも独りだったから。僕は僕の世界で、体も心も異分子だったから。それを寂しく思うこともあったけど、人の顔色を窺いながら言葉を紡ぐのも億劫で、面倒だったから。だから、僕はいつも独りなんだと、独りになるしかないのだと、信じていた。たった一人の例外を除いて。
そして、見つけた。もう一人の例外。
眼を丸くして倉本を見る僕は、「あれっ?抵抗しないの?」という倉本の声で覚醒。気付いてみれば、倉本の折れていない、肩に回したほうの手が、結構僕のきわどいところまで来ている。慌てて倉本を振り払いつつ、僕はそれでも倉本をじっと見た。
「・・・・おかしいとか、思わないの?つまらない奴だとか、思わないの?」
「うん?」
「好きなものがないって、おかしいことじゃないの?」
「いや、そんなことないでしょ。別に」
まるでそれが本当にくだらないものであるように――いや、もしかしたら本当にくだらないことだったのかもしれないけど――倉本はあっさりそう言った。僕が一生懸命、悩んで苦しんで、結局諦めてしまったことを。それはもう馬鹿馬鹿しいくらいストレートに。呆気なく否定した。まるで取るに足らないことのように。子供みたいな幼稚な悩みなんだよと言われているみたいに。
それは嬉しくもあったけど、同時にやっぱりムカついた。
とりあえず愛用のシャーペンを取り出す。が、突き刺す前に体を仰け反り素早く回避された。
「・・・・ちっ」
「あ、あのさ。それって凶器だと思うんだよね。簡単に突き刺してはいけないものなんだよ」
「知っている」
「知っているって・・・・」
あははは、とどこか諦めた表情で笑う倉本。
それに僕もくすっと笑みを零した。
――と、倉本が凍りつく。
カチン、みたいな効果音が鳴ったような気がする。僕を凝視してピタリとも動かない。一体どうしたんだろうかとその顔を下から覗いてみると、突然、いきなり、大きな腕で抱きしめられた。って、おい。
「うわぁ、やべっ。見ちゃいけないもの見ちゃった。うわー、うわー。すげぇ。レアだ。もう一度笑ってよ。ほらっ、いー、いー」
抱きしめという名の圧迫から解放された僕は、今度はホッペを指で引き伸ばされた。「いー」と言いながらぐいぐいとホッペを引っ張られる。というか、痛い。口からその音を出すと「いひゃい」になっていた。
再び僕の頭に怒りマークが浮き上がる。
とりあえず絶妙な腰の回転と膝のバネを使いつつ、アッパーを繰り出しておく。それは見事に決まり、倉本にガチンという顎の音を鳴らさせながら、倉本をふっ飛ばさせた。
スローモションで倒れていく倉本。
地面に熱いキスをしながら更に一回転。
そしてそこには一体の屍ができあがる。
しばらく続く沈黙の中でその屍はポツリと呟いた。
「・・・・俺、怪我人なのに」
そんな声はもちろん聞かないふり。
僕は倉本に見えないように、また笑みを零した。
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