第三話 僕と親友と帰り道
夕暮れ。赤く染まる空。冬の木漏れ日。冷たい風。そよぐ木々。枯れた枝。
嫌な季節だ。だって寒い。
「隼人、寒い。何か僕に温かいものを奢るべきだと思う」
「そうか。奇遇だな。俺も何か温かいものを自分の財布から金を出さずに欲しいと思っていたところだ」
じっと、見上げる僕。じっと、見下ろす隼人。
結局首が痛くなったので手に息を吐きかける僕。
寒いぞくそっ、と地球に文句を言う隼人。
くだらないやり取りをしつつ、僕たちは徒歩で駅まで歩いていた。僕は今向かっている駅から一つ先の駅、隼人は今向かっている駅から三つほど先の駅に家がある。
――ちなみに僕と隼人。知り合ったのは入学式である。
出席番号というものは、最近になって生まれた日付などではなく名前のあいうえお順で決めるようになったらしい。僕の姓名は小島樹。隣のデカ男の姓名は小西隼人。同じクラスならば必然的に隣になるというもの。そんなわけで僕と隼人は入学式で必然的に隣になり、そのまま教室でも出席番号順に座席を作ったため必然的に前後の席となり、同じ帰宅部のため必然的に一緒に帰るようになり、これまた必然的に仲良くなっていった。
これで仲が悪かったのなら、それはよほど馬が合わない人間ということなのだろう。
「――だからさ、当然そうだよな?」
「・・・・・・は?」
ぼーっとしていた僕にいきなり話しかけるな、隼人くん。
突然のセリフに当然の反応として聞き返す僕。しかし、隼人はがくっ、と肩を下ろした。コントだったらきっとずっこけていると思う。
「・・・・お前、聞いてなかっただろ」
「うん」
「清清しいくらいの返事をどうもありがとう。今俺の握りこぶしは、それはもう堅く硬く握り締められているんだが一体どうしたらいいと思う?」
「ブリッコの真似でもすればいいと思う」
「ふざけるな。というか少し想像してしまった俺にふざけるな。止めろ。なぜか酷く俺の尊厳が冒涜されてしまった気がする」
「ごめん。いや、ごめん。僕も想像しちゃった。想像を絶する、というか想像だけど、いや、でもこれはキモイ。うん、ごめん。ちょっと近づかないで」
「おい。さすがに泣くぞ」
マジで涙目になっていた。仕方がないので離れるのは止めにしておく。
「はぁー。何で俺お前なんかと一緒にいるんだろ」
ため息交じりの吐息。こいつはため息が日常化していて大変だ。少し同情しないこともない。こいつの将来の頭のはげ具合に。
「中学のときの予想では今頃俺はウハウハだったのになぁ。同級生の内気な女の子から放課後体育館裏で愛の告白を受け、夕日が落ちる空の下、その全てを受け入れる俺。そして始まる俺の愛憎劇。それから可愛い彼女と屋上で弁当食べたり、一緒に放課後帰ったり、休日遊園地行ったりとかさぁ。そういう計画だったのになぁ」
「・・・・まあ、男だったら一回は憧れることだけど。でも、色々ツッコミたいところがある。少なくとも僕は愛憎劇はしたくない。昼ドラは嫌だ」
「それなのに、連れているのはこいつ」
僕の発言を無視し、ちらりと僕を見下ろす隼人。そしてぺっ、と唾を吐き出しやがった。
僕の中でも現在進行形で文句とか憎悪とか殺意とか沸々と湧き出てきたのだが、もう何か全部面倒臭くなってきた。やっぱり適当に無視しておこう。というか、どれだけベタベタの妄想を抱えて生きているんだ、お前。
少し哀しい眼をしながら隼人を見るも、隼人は僕にお構いなしに話しを続ける。
「ま、これからだよな。今から冬休みだし。今日も街に繰り出すか。な、お前も来いよ。お前、年上の女の人に受け良いし。『可愛い〜っ』とか言われてんじゃん」
「・・・・・・」
それは少なくとも男に対する褒め言葉ではない。
まあ、僕には当てはまらないこともないし、嬉しくないこともないのだけど。
「他にも笹川とか楠木とかも誘ってさ。どうせあいつらも今頃暇しているだろ。同じ寂しい冬を過ごす同士たちだしさ」
「・・・・いや、遠慮しとく」
ポケットに手を突っ込みながら答え、僕は足元を見る。薄汚れた白いスニーカーがアスファルトの大地を踏みしめて、冷えた足の指先は確かにその感触を感じていた。
だけど、なぜか不安定。
そのまま僕はぼーっと足先に顔を向けていた。だけど、上から降り注ぐ隼人の視線はいつまでも誤魔化せない。隼人は誤魔化せないように、露骨に、僕を見ていた。少し居たたまれない気持ちになりながらも、その視線を断固として拒否。
しばらくして隼人のほうが折れたのか、視線を前方へと送った。そしてまた、軽くため息をつく音がする。
「つーかさ。お前もいい加減慣れろよ。冬休み終わって、授業受けて、春休みに入って、もう二年だぞ。俺と同じクラスになれるわけでもないのに」
「・・・・でも、嫌だ」
ぼそりと呟く僕の声は、しかしちゃんと隼人に届いたようで、「あっそ」と短い返事が返ってきた。
少し、寒い。
さっきまでのバカ騒ぎが懐かしいくらいに、今は静かだ。いや、本当は静かじゃない。車の走る音はすぐ横で聞こえるし、他におしゃべりしながら下校する生徒たちもちらほらいるし、ざわめく通行人の足音だってしっかりと聞こえている。
でも、やっぱり静かだと思ってしまう。
ピンと張り詰めた冷たい空気が嫌で、僕は渋々と口を開いた。
「・・・・面倒なんだよ。人と付き合うの。気を使うのとか、嫌われるんじゃないかとか、どうやったら好かれるのかとか、そういうこと一々考えないといけないし。疲れるじゃん。そんな生き方」
「でもな、お前の生き方は寂しいぞ」
僕の方を一目も見ずに隼人はそう言う。
それは紛れもない正論で、反論の余地なんてないほどの断言で、でも、だけど、極論だ。
そんなことはもちろん僕だって理解しているし、わかっている。でも、やっぱり面倒臭い。あまり、人と関わりたくない。
――浮かんだのは今日見た夢の中の場面。
僕を笑顔で見つめる黒く塗りつぶされた先生。小さな隣の女の子。一列に並ぶ園児。僕に向けられる視線。そして、『質問』。
『アナタノ好キナ色ハナンデスカ?』
気持ち悪い。
吐き気がする。
白と黒のコントラストが織り成す道路を見つめつつ、僕は顔を顰めた。そして異常なまでの気分の悪さに堪えていると、突然、頭に重量感。ポンッと誰かの手が頭に置かれていた。
一瞬だけ、気分の悪さを忘れる。
その暖かさを感じて見上げてみれば、隼人が悪ガキとしか形容できない顔で僕を見下ろしている。
ニヤニヤと。
クソ野朗、と言いたくなる。
「あーあ、ダメだな。このお子ちゃまは。結局俺がいないと何もできないんだから」
そして僕の頭に置かれた手は、そのままグリグリグリと僕の頭を撫で回した。サラサラで綺麗で美しい自慢の僕の髪がクシャクシャに。ああ、止めろ。それ一体何時間かけてセットしたと思っている。汚い手で触るな。ちゃんとトイレから出て手を洗ったんだろうな。
言いたいことは山盛りに特上、ライスも付けていい。そんな意味のわからないことを考えながら、とりあえずムカついたので靴を思いっきり踏みつけておいた。
足に感触。
歪む隼人の顔。
短い悲鳴。
ざまーみろ。
足を抑えながらギロリと殺人者のような形相で睨む隼人を無視して、僕はさっさと先を行く。バカに構っている暇はないのだ。外は寒いし、さっさと家へ帰りましょう。
でも、背後の隼人が優しげな顔に変わっているのには気付いていたから、とりあえず数歩先を行きながら、呟いておいた。
小さく、ありがとう、と。
そして更に小さく、さよなら、と。