第二話 僕と親友と日常風景
「樹!帰ろうぜ」
大きく叩かれた背中を発信源とし、僕はビクッと体を震わせた。
そして停止。
このまま再び夢の世界へと羽ばたこうかとも思ったが、すぐにその考えは廃棄する。なぜなら、このまま寝ていたら絶対に碌なことにならないからだ。すでに経験がそれを物語っている。前に無視したら頭が大変なことになっていた。具体的に言えば、頭がワックスでモヒカンされていた。あんな出来事はもうゴメンである。
ということで、起きることにした。
うつ伏せていた顔を上げ、枕にしていた腕を解放し、ちょっとばかり机に垂れてしまった涎を隠しながら拭きつつ、現状確認。
見渡す、なんてことはしない。だって、面倒臭い。首を動かすのだってカロリーを消費するし、貴重なエネルギーも無駄にする。可能な限り省エネをモットウにしているのだ、僕は。
ボーっと眺めた視線の先にあるのは、白いチョークで汚れてしまっている黒板。より視野を広めるなら帰り支度を始める生徒達と机と椅子と黒板とチョークとエトセトラ。
つまりここは高校で、今帰りのホームルームが終わったということなのだろう。もちろん、僕の優秀なメモリーの中に帰りのホームルームを体験したというフロッピーは存在しないので、寝過ごしてしまったようだけど。最前列から三番目、窓際から二列目という、ある程度先生の視覚に入りつつも無視できないこともない座席位置のおかげで僕は最近寝っぱなしだ。
「・・・・隼人。僕、いつから寝ていた?」
「弁当食って、五時間目が始まったときからずっと。サトちゃんずっと恐い眼でお前を見てたぜ。まあ、涙目になりながらも授業は続けていたけど」
「・・・・そっか」
うん。それは可哀相なことをした。明日にでもお詫びをしておこう。
依然に金一封と書いた封筒を謝罪しながらサトちゃんに渡してみたら、飛び跳ねるほどに(というか、椅子から転げ落ちたというのが正しいのだが)驚き、その後、目を見開いて金一封と僕を見比べながら動揺し、最後には諸手を挙げて単純に喜んでいた。実際、中には何もなく封筒だけだとわかると、半泣きでキレられたのだが。どうやら、その月末はピンチだったらしい。
そんなかなりどうでもいい部類に入る、担任とのささやかな出来事を思い出していると突然頭が前のめりに倒される。後頭部に軽い痺れと痛み。判断するに、どうやら僕は頭を叩かれたらしい。
ぐいっと頭を元の位置まで持ち上げる。
「・・・・痛いじゃないか、隼人」
「勝手にトリップすんな。つーか、お前反応遅すぎ。まだ寝ぼけて・・・・ないか。いつものことだしな。まあ、いいや。さっさと帰り支度しろよ。置いてくぞ」
かなり失礼なことを言い放って隼人は上から見え下ろしてくる。上から見下ろされるのも、今僕が椅子に座っているのだから仕方がない、なんて言い訳はこいつには通用しない。何せ、こいつの身長は百八十センチを越えている。そして、僕の身長は百六十センチを越えている。この差はどうしようもない。
なんとなく世の中の理不尽を感じつつ、僕は立ち上がった。
「うん。じゃあ、帰ろうか」
「・・・・何か覇気がないよな、お前。いや、気力がないのか」
腕組みし、渋面でいきなりそんなことを言い出す隼人。「シャキっとしろ」なんてどこぞのコマーシャルで聞いたことのあることを言ってくる。相手にするのも面倒なので、僕は適当に返事を返した。
「まあ、そんなとこ」
「しかも、授業中いつも寝ているくせにその眠そうな顔。毎夜遅くまで起きてんのかよ?」
「まあ、そんなとこ」
「エロ本か?」
「まあ、そんなとこ」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・帰るか」
「そうしましょう」
隼人は呆れたため息を吐き、僕はただいつも通りの無表情で答えを返す。
そして僕と隼人はまだざわめきが残る教室を後にするのだった。