夜明け前、心臓は嘘をつく
夜明け前の空は、いつも少しだけ残酷だ。
夜の味方だった影を、容赦なく薄めていく。
まだ星は消えきっていないのに、闇はもう逃げ腰で、
その中途半端さが胸の奥をざわつかせる。
彼女は高くも低くもない場所に立ち、
世界が色を変えるのを黙って見ていた。
風は冷たく、でも刺さるほどじゃない。
生きていることを思い出させる、ちょうどいい痛み。
どくん。
どくん。
心臓の音が、静けさの中でやけに大きい。
嘘みたいに整ったリズムが、逆に信用できなかった。
「……まだ、朝じゃない」
誰かに聞かせるつもりもなく、
自分に言い聞かせるほどの強さもない声。
夜は終わりたがっている。
でも彼女は、終わらせる決心がつかない。
思い出さないようにしていることは、
思い出さない努力をしている時点で、もう負けている。
それでもいい、と彼女は思う。
全部に勝たなくていい。
今日は、立っているだけで十分だ。
遠くで灯りが消える。
一つ、また一つ。
誰かの眠りが終わり、
誰かの一日が始まる。
その流れから、少しだけ外れた場所で、
彼女は自分の呼吸を確かめていた。
吸って、吐く。
簡単なはずなのに、意識しないと忘れてしまいそうになる。
足元に落ちる影が、わずかに形を変えた。
光が増えたせいか、
それとも、心が揺れたせいか。
「大丈夫」
口にした瞬間、胸の奥が小さく軋む。
その痛みは、嘘をついた証拠みたいだった。
大丈夫じゃない。
でも、壊れてもいない。
その中間にいる感覚が、今はいちばん怖い。
暁の色が、空の端から滲み出す。
優しくて、冷静で、全部を見逃さない光。
隠してきたものも、
守ってきたものも、
同じ明るさで照らしてしまう。
彼女は目を逸らさない。
でも、踏み出しもしない。
まだ選ばない。
まだ決めない。
夜と朝の境界線で、
ただ、自分でいることを選ぶ。
風が再び動き、
止まっていた時間が、少しずつ流れ始めた。




