夜に滲む歪み
街が眠りに落ちる時間帯は、思ったよりも早かった。
夕刻を過ぎると人の声は薄れ、灯りだけが名残のように路地に残る。
診療所の窓から見える街は、昼間とは別の顔をしていた。
リナは記録帳を閉じ、静かに息を吐く。
今日診た患者たちは、皆同じような症状を訴えていた。
原因不明の倦怠感、胸の奥に残る重さ、眠っても消えない不安。
どれも命に関わるほどではない。
だからこそ、放置されてきた違和感だった。
「……街が、疲れてる」
ぽつりとこぼれた言葉に、カイが視線を向ける。
彼は何も言わなかった。ただ、その沈黙が肯定のように感じられた。
夜の見回りを兼ねて、二人は外へ出た。
風は冷たく、音を運ぶ。
足音がやけに大きく響く路地は、昼の賑わいを嘘みたいに隠していた。
曲がり角の先で、微かな呻き声がした。
壁に寄りかかるように座り込んだ男が、一人。
呼吸は浅く、目は虚ろで、助けを求める声すら出せていない。
リナが駆け寄ろうとした、その瞬間。
影が、動いた。
街灯の下、ありえないほど歪んだ輪郭。
人の形をしているのに、どこか欠けている。
それは攻撃してこなかった。ただ、じっと男を見下ろしているだけだった。
「近づかないで」
カイの声は低く、静かだった。
剣を抜く音もなく、構える気配だけが空気を変える。
リナは気づく。
あれは敵意ではない。
この街に溜まり続けた不調、恐れ、諦めが形になったものだと。
治療では届かない領域。
でも、放っておけば確実に人を壊す。
「……私が行く」
リナは一歩、前に出た。
震えはあった。でも、それ以上に確信があった。
光が、ほんのりと滲む。
派手じゃない。奇跡でもない。
ただ、人を想う気持ちが、夜に溶けただけ。
影は、音もなくほどけて消えた。
残ったのは、静けさと、男の浅い寝息。
路地に風が通り抜ける。
何もなかったように、夜は続いていく。
でも、二人は知っていた。
この街の歪みは、まだ奥深くに眠っている。
そしてこれは、始まりにすぎない。




