夜に溶ける鼓動
診療所の灯りが落ちるころ、街はようやく静けさを取り戻す。
昼間の喧騒が嘘みたいに、石畳には夜風の音だけが残っていた。
リナは窓辺に腰を下ろし、深く息を吐く。
今日診た患者の顔が、ひとり、またひとりと脳裏に浮かんでは消えていく。
命に関わるほどではない。けれど、確実に「おかしい」症状ばかりだった。
原因が見えない不調。
治療は効くのに、回復が遅い。
まるで、街そのものが疲れ切っているみたいだった。
「……眠れない?」
背後から、低く穏やかな声。
カイだった。
彼は壁に背を預け、腕を組んだまま、月明かりを受けて立っている。
仮面は外しているのに、どこか影をまとったような佇まいだった。
「うん。ちょっとね」
リナは笑って答える。
無理に明るくしない、その笑みを、カイは見逃さなかった。
「今日の患者、気になる?」
「……うん。身体じゃなくて、心の奥が弱ってる感じがして」
リナは胸に手を当てる。
治療の知識はあっても、処方箋が見つからない夜だった。
沈黙が落ちる。
遠くで、誰かが扉を閉める音。
風に揺れる木の葉が、ささやくように鳴る。
「昔さ」
カイがぽつりと口を開く。
「俺も、理由のわからない熱に悩まされてた時期があった」
リナは驚いて顔を上げる。
カイが自分の過去を話すことは、ほとんどなかった。
「剣も握れなくて、立つのもしんどくて。
でも医者は首を傾げるばかりでさ」
彼は少し苦く笑う。
「結局、原因は……俺が無理してたってだけだった」
その言葉は、静かに夜に溶けていく。
「守らなきゃって思いすぎて、壊れかけてた」
リナの胸が、きゅっと締めつけられる。
今日の患者たちと、どこか重なった。
「この街も、同じかもしれないね」
リナがそう言うと、カイは小さく頷いた。
「だから、お前がここに来たんだろ」
その言葉は、慰めでも命令でもなかった。
ただの事実のようで、でも、温かかった。
リナは夜空を見上げる。
雲の切れ間から、星がひとつ、静かに瞬いている。
「……時間はかかりそうだけど」
「大丈夫だ」
カイは即答した。
「俺たちがいる」
その一言で、張りつめていたものが、少しだけ緩む。
リナは目を閉じ、夜風を受け入れた。
診療所の外では、眠れぬ街が、静かに呼吸を続けている。
その鼓動に寄り添うように、リナたちの物語は、ゆっくりと深まっていった。




