実力を過信しない方がいいぜ
よく世の中には自分の実力を過信している人、というのが見られるように思えます。
個人的にこういった人を少々哀れに思えて仕方がありません。
ところで、実力を過信する人とはどういった人を言うのでしょうか?
小説のしの字も知らず、世紀に残る名作を書けると考える人がいます。
これはきっと実力を大いに過信しているでしょう。
そういった人を私自身悪いとは言いません。
これも一つの生き方です。
ただ、実際にそれを可能だと考え、できないことに心を壊してしまう人がいます。
思うにこれが私の哀れだと思う実力の過信、完璧主義者でしょう。
完璧主義者というと、良いことのように思われるかもしれません。
ただ、私は再三になりますが良いことだとは思いません。
私の知人にも一人完璧主義者がいます。
この人の考えというのは正直のところ、私には理解のできないものがあります。
私自身、物事を気楽にやる人間でありますから。
さて、件の完璧主義者というのがどんなタイプかと言えば、病的な完璧主義者であったと思います。
病的というと、口の悪い罵倒だと思われるかもしれません。
けれども一種の病的さを孕んでいたと思うため、またこれ以上に最適な言葉を私は知らないために使います。
さて、物事を完成させないと気が済まない、これは全く普通の感情です。
ただ、それを実力の天井を軽く超えたところまで求めて、結局できずに心を折るタイプでありました。
実際、心が折れた結果精神を病んでいたはずです。
改めて言えば、私は自分の実力以上を求め、完璧以外を悪とする人を哀れだと言いたいのです。
ところで、世には「真剣にやり切れば何事もできる」というような主張をする人が一定数いると思えます。
私はどうにもこれを信用が出来ない。
思うに、これは物事をできたからこそ言えることで、結局のところその「できた」の領域がとても高い人には当てにはならないのだと思います。
けれども、その甘言が人の心を惑わすのだとも思います。
結局のところ、私自身お気楽人間ですから完璧主義者の心は分かりません。
けれども、ハードルを高く上げすぎると当然足が掛かってしまう、ということは知っているつもりであります。
こう口にすると、鼻持ちならない人だと言われそうですが、相応の目標を持つべきでしょう。
夢を持つべきではないとは言いません。というよりも、夢のない人のなんてつまらないことでしょう。
ただ夢とは何かを知らなければいけません。
考えるに、夢とは大目標でしょう。
きっとそれまでの段階を踏まないとならないのです。
それまでの過程は小目標です。
例えば、執筆について考えます。
これの大目標を「作品の完成」としましょう。
すると、最初の小目標は「プロットを書き始める」ということになるでしょう。
それから「作品を書き始める」という小目標に移ります。
こういった小さな段階を積み重ねていくべきだろうと私は思います。
例えば、眼前に大きな壁があるとします。
これを乗り越えるのは難しいものです。
だからこそ、私たちは足場を積み重ねていくべきなのだろうと思います。
まとめると最初から大きな目標を定めると、それを乗り越えるまでに大変な苦労をすることになります。
その苦労の末は一つではありません。
ただ、その過程の中で心を壊してしまう前に、一歩下がって目標を見直してみることをお勧めします。




