絶望の淵で見つけた光
シーン1:生存のための「作業」
『竜の牙』が去った後、ダンジョンの最深部には、死体となったミノタウロスキングと、全てのものを奪われたアルトだけが残された。
血の匂いに誘われて、すぐに他の魔物が現れるだろう。装備も、食料も、回復薬もない。普通なら、絶望して死を待つしかない状況だった。
(…死んで、たまるか)
だが、アルトの瞳には、まだ光が残っていた。
仲間は失った。だが、彼にはまだ、己の肉体と、そして脳内に刻み込まれた膨大な知識と経験——【自動機能】があった。
(まずは、安全の確保だ)
彼は、周囲を見渡す。ミノタウロスキングとの戦闘で崩れた岩壁、床に転がる武具の破片、そして魔物の死体。それらは、今のアルトにとっては、絶望の象徴ではなく、生き残るための「資材」に見えていた。
「——【自動機能】、隠れ家造成」
アルトが、崩れた岩壁に手をかざす。すると、岩々が意思を持ったかのように動き出し、魔物の侵入を防ぐための即席のバリケードを組み上げていく。わずか数分で、人が一人隠れるのに十分な、堅牢な隠れ家が完成した。
次は、水と食料だ。
彼は、洞窟の壁に染み出す湧き水を見つけると、【自動機能】で岩を削り、不純物を取り除く濾過装置を即席で作り上げた。
食料は、ミノタウロスキングの死体だ。彼はナイフ代わりに武具の破片を使い、スキルで肉を正確に解体し、保存が効く燻製肉へと加工していく。
夜が訪れ、隠れ家の外から魔物の咆哮が聞こえてくる。
アルトは、バリケードの隙間から、ゴブリンの群れがミノタウロスの死体に群がるのを見つめていた。彼は、隠れ家の入り口周辺に、巧妙な落とし穴や獣用の罠をいくつも仕掛けていた。罠にかかったゴブリンが、彼の新たな食料となる。
これまで、常に誰かのために使ってきたスキル。
パーティーの勝利のために、仲間たちの快適さのために、その力を振るってきた。
だが、今は違う。
初めて、自分自身が生き残るためだけに、【自動機能】を使う。
それは、不思議な感覚だった。誰に命令されるでもなく、誰に評価されるでもなく、ただ己の生存本能に従って「作業」に没頭する。その行為が、アルトの凍てついた心を、少しずつ溶かしていくようだった。
シーン2:古の記憶と決意
数日が経過した。
アルトは、ダンジョンの中で完全に生き残る術を確立していた。
罠にかかった魔物を食料にし、武具を作り直し、より安全で快適な拠点へと隠れ家を拡張していく。
ダンジョンから脱出するためのルートを探していたある日、彼は偶然にも、崩れた壁の奥に隠された小さな空洞を発見した。
その壁には、色褪せてはいるものの、驚くほど精緻な古代の壁画が描かれていた。
そこに描かれていたのは、巨大な黒い竜と、それに対峙する、城壁に囲まれた都市の姿だった。驚くべきことに、その都市は、壁から無数の兵器を生やし、石の巨人を使役して、竜と戦っていたのだ。
(なんだ、これは…? まるで、街全体が生きているみたいだ…)
アルトはその壁画に、不思議と心を惹かれた。何が描かれているのかは理解できなかったが、その光景は彼の記憶の奥深くに、強く刻み込まれた。
その夜、彼は自作のベッドの上で、静かにこれまでの人生を振り返っていた。
『竜の牙』での日々。尽くしても、尽くしても、認められることはなかった。
(僕が、間違っていたんだろうか…)
自問自答を繰り返す。
その時、ふと、彼の脳裏に、幼い頃に読んだ一冊の古い本の内容が蘇った。
ある伝説の職人の物語だった。その職人は、どんなものでも作り出せる魔法の手を持っていたが、彼の価値を理解できない王様によって国を追放されてしまう。しかし、彼は旅の果てにたどり着いた辺境の地で、自分の力を必要としてくれる人々と出会い、彼らのためにその力を振るい、誰よりも幸福に暮らしたという。
(…そうか)
アルトの中で、何かがすとんと腑に落ちた。
自分の価値は、他人が決めるものではない。自分の力が輝ける場所は、それを理解しようとしない者の側ではなく、本当にそれを必要としてくれる場所にあるのではないか。
(もう、冒険者なんてうんざりだ)
感謝もされず、尊厳も踏みにじられるような生き方は、もうこりごりだ。
アルトの心に、一つの決意が灯った。
(見つけてやる。僕が、僕の力で、静かに、穏やかに暮らせる場所を。誰にも邪魔されず、自分のためだけに、このスキルを使える場所を)
彼は立ち上がり、自作の地図を広げた。
王都から遠く離れた、東の果て。ほとんど誰も足を踏み入れない、忘れられた辺境の地。地図の上では、ただ「エルムの森」とだけ記されているその場所に、彼は指を置いた。
夜が明け、アルトは古代の壁画が描かれた空洞を後にした。
手には、魔物の素材から作り上げた粗末だが頑丈な武具。背には、数日分の食料。
その足取りに、もはや迷いはなかった。
過去への決別と、未来への静かな希望を胸に、彼は一人、人里離れた辺境の地へと向かって、歩き始めたのだった。